五日目
キティは目覚めなかった。
ぼくはマリアと少し話ながら、食事をとった。
「じゃあ、今日はジヤンとキティのお世話もないだろうから、先に部屋に戻るよ」
「エドさん。またあちらでお会いしましょう」
「……ああ」
マリアの口調は出会った頃のそれになっていた。染みついたものは簡単に抜けはしない。
ぼくはダイニング、リビングをでて、1のナンバープレートの部屋に入った。
暗い部屋はぼくが隠れるのに最適で、奥のバスルームへ通じる隙間の影に身を潜める。
少しして、扉を開く音がした。施設の白い光が部屋に差し込む。
マリアが部屋に入ってきた。何か光るものを手に持っている。
それを自分の首に向かって突き立てた。
それは鋭利なナイフだった。
「やめろ!」
ぼくはマリアが手に持っていたモノ。首に突き立てようとしていた鋭利なモノを叩き落とした。小さな小さなナイフだ。
カラカラとナイフが地面に落ちる。
「君はそんな死に方をすべきじゃない」
「……エドさん」
彼女はぼくがなぜ部屋の中にいるのか、その疑問すらぶつけようとしなかった。
それほどまでに彼女の精神は摩耗していた。
「大丈夫。ぼくには全てわかっている」
「マリア。君がやったんだろ?」
「……」
「君がサイクを殺した。そして君はこの計画の実行者側の仲間だ」
長い沈黙。
「はい。そうです。」
マリアは虚ろな目をしている。
「だから、君はそんな風に死ぬべきじゃない。苦しんで死ぬべきじゃないんだ」
「そんな……私……」
彼女の目をまっすぐ見つめる。
「君は何も悪くない。ぼくは知っている。」
彼女には、許しが必要だった。すべてを告白したその上での許しが。
この施設には七人の未成年が必要だった。身体的に健全で健康な未成年が七人。
そこに精神的な条件は求められてはいない。
求めたかったのだろうが、この施設の性質上、それは不可能に近い。
そんな見ず知らずの子供が七人集まっては、不和が起きる確率も高い。
勿論ぼくたちは監視されている。しかし施設が万が一、無法で無秩序な状態になったとき、一々上は施設の事態に介入するだろうか?その可能性は少ない。
事態を収拾して、リセットして改めて始めるのは可能ではあるが非効率的だ。
そして同じ施設に再びそのメンバーを入れることは困難になるだろう。
より良い方法はほかにあった。
七人の中に計画の協力者を一人組み込むこと。
それがマリアだった。
「マリア、この施設の初めから君は自然にぼくたちをコントロールしようとしていたね」
「君はぼくたちがスムーズに施設を過ごせるように行動していたんだ」
そう、マリアは自然に、ぼくたちが素性を明らかにしないことにして、部屋割りを決め、ぼくという協力者を中に求めた。
「だけど、ジヤンとキティに対する心配と愛は本当だった。ヘイに対する恐怖も。そうだろ?」
「でもヘイよりサイクのほうが問題だった。他の人とトラブルを起こしはじめジヤンとキティを怯えさせたし……凶器も持ちこんでいた。その小型のナイフ」
ぼくはマリアの手から離れ、床に落ちているナイフに目を向けた。マリアが自死を図ったナイフは、元々サイクが持ち込んでいた。
「物音がして、私が……ダイニングに見回りにいったら、彼が手にナイフを持っていて。子どもたちになにがあるか……私はナイフを回収しなきゃと思って」
マリアはその時の光景を思い出し震えた。
「なぜナイフを持ち込んでいたのか、どのようにナイフを持ち込んだのかはわからないんだよね?」
ぼくはマリアの背後にある計画者の組織も含めて尋ねた。マリアが施設に入った後もコンタクトをとっていたかどうかということだ。このような状況になっている今、その可能性は限りなく低いと考えていたが。
「わかりません……。サイクがダイニングにいたのと何か関係があるのかもしれないけど……」
「なるほど」
サイクがナイフを持ち込んだ方法、目的は完璧にはわからない。そしてやはりマリアはこの施設に入ってからすべて自分の考えで行動していたのだろう。アバウトな指示だけを受けて。
「それで、ナイフだけはなんとか回収しなければならないと君は考えた」
「死んでしまうなんて……突き飛ばしてしまっただけで、死んでしまうなんて……」
マリアは涙を流す。そう、あの時も涙の痕があったし、その夜からマリアは十字架のネックレスをつけてはいなかった。罪悪感がそうさせていたのだろう。ただ彼女は手で十字を切るようになった。
そもそも何故個室にトイレがあるのに共同トイレに行く理由があるのか。
推理するまでもない。あまりにも簡単な。
そう、ひどい事件だった。
ただ……なぜマリアがこのようなトラブルに巻き込まれたときに計画者が手助けをしないのか。今でも疑問だ。
女性であり非力なマリアでなく、ヘイのような体格、経歴の人物こそが計画の協力者に向いた人選だと思えた。いや、実際にぼくを襲ったように、ヘイをメンバーの一人にしていることも抑止力の一つだと考えられていたのかもしれない。
それでも想像以上に計画は切羽詰まった状況だったのか、計画の協力者、=マリアも、ぼくたちとそこまで変わりない立場であったのか。
だから、彼女はなにも悪くない。
「君はなにも悪くない」
ぼくは彼女のナイフを自分のズボンのポケットに入れる。それでも彼女が自死を望むのなら、ぼくにできることはもうないと思った。少なくとも、ナイフを使った苦しみのある死だけは、彼女にしてほしくない。ただそれだけの想いだった。
「ぼくはリビングにいるよ」
「……」
「君は……苦しんで死ぬべきじゃない」
ぼくは再びその言葉をつぶやき、彼女の部屋からでた。
リビングでは緩やかな時が過ぎた。
ぼくはただ、時が流れるのを待った。ひどく長く感じた。
その間、ぼくは自ら過去を思い出していた。
様々な過去を。
救えた命と救えなかった命。
様々な人々が浮かんできては消える。それらは多くの言葉を口にする。
感謝の言葉もあれば、憎悪の言葉ある。
勿論。ぼく自身が死に追いやった命もある。
数えきれないほどの人々だ。
ぼくは、その一人ひとりをハッキリと覚えていたことに、今気が付いた。
生きてきて、これまでの選択に後悔することはない。
ただ、どうしようもないことがあるのも事実だ。それが人生なのだから。
そんな状況に陥ったときも、もがかなければいけない。
抗うのは辛いことだが、自分を見失ってはいけない。
そういう時ほど、人を恨んではいけない。
環境に立ち向かわなければいけない。」
そんなことが実際に可能なのか。」
これほど説得力を持たない正論があるだろうか。
ぼくは、父親に対してそう思ったものだ。
視界の隅に人影が写り、思考は中断された。
「マリア……」
「あなたの部屋で……寝かせてもらってもいいですか?」
マリアのその言葉の意味を、ぼくはすぐに理解することができた。
「ああ、勿論」
「一緒に来てもらってもいいですか」
その言葉には少し戸惑ったが、ぼくは無言で立ち上がり、彼女の後ろに付き添った。
マリアがぼくのベットに横たわる。
「ぼくは……」
「わたし……サイクさんを……」
「うん」
「サイクさんもなにかに怯えてたのかもしれない……だからナイフを」
マリアが話し出して、ぼくは床のカーペットに座り込んだ。
ベットを背もたれにして彼女と会話する。
「そうかもね」
「ヘイさんも……子供たちと遊びたかっただけかもしれない」
「どうだろうね」
「私……ひどいことを」
「……」
「ジヤンとキティは……私と一緒にいて楽しかったかしら」
「そうに決まってるよ」
「よかった」
「ああ」
「エド、ありがとう」
「こちらこそ、マリア。ありがとう」
どれくらい話をしただろうか。
夜は過ぎ。
ぼくはいつ間にか眠りについていて。
マリアは安らかに息を引き取った。
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