一日目(3)

ぼくはヘイの声がしたリビングのほうに向かった。


リビングにはサイク、ヘイ、ジヤン、キティ、マリアがいた。ぼくが到着して、サイ以外の全員がそこに集まったことになる。


「なにをしてるんですか?」

ぼくはそう問いかけたが、その空間から答えは返ってこない。


ヘイとサイクが向かいあっていた。正確に言うと、サイクはしりもちをついていて、彼を見下ろすようにヘイが立っている。怯えたような顔をサイクに向けていた。


「いてて……。ひどいな。ヘイ。急になにをするんだ?」

サイクがヘイを見上げて言った。挑発的な声色に聞こえる。


ヘイはサイクの質問には答えずに顔を赤くしてぶるぶると震えていた。


ジヤンとキティはマリアと一緒に積み木で遊んでいたのか、三人で床に座り込んでいた。この状況に怯えているようだ。マリアが二人を両手で抱きしめている。


ヘイは三人に目を向ける。


「ち、ちがうんだ。こ、こいつがボクを……」

そうつぶやき、足早に彼はリビングを去っていった。


ヘイは後から現れたぼくには一度も目をくれなかった。


「くそっ、やれやれだな」

サイクはそう言って立ち上がり、落ちた眼鏡を拾い、元々しわくちゃなシャツを整える。


ぼくはマリアたちのもとに駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


「ありがとうございます。私たちはなにもされてません」


「そうですか。なにがあったんですか?」


「詳しくはよくわからなくて。二人の様子を見ていたので。ただ、サイクさんがヘイさんに話しかけていて、それから口論になったんだと思います」


「なるほど」

饒舌だったサイクだが口は災いの下になったようだ。狭いこの施設だとなおさら。


これでマリアを悩ませる相手が一人から二人になった。


「なにかトラブルに対処できるように、ぼくは寝るまでこのリビングにいますよ。まあ部屋にいてもやることもないですから。」

ぼくのその提案にマリアは目を輝かせ、笑顔になった。


「エドさん。ありがとうございます。この二人のことを考えると、狭い個室にいるよりもここで何か遊んだり話したりしたほうがいいと思って。私もここにいるつもりです。」


「そうですね、そのほうが良いと思います。約束もありますから。」


ジヤンが「ん」と積み木の一つをぼくに差し出した。つまり、一緒にどうかと誘われたが、ことわってぼくは三人の積み木遊びの光景をソファに座って見守ることにした。


実のところ、小さな子供とのふれあいには慣れていない。


「エド。騒がせて申し訳ないね」

ソファの横にサイクが座りながらぼくに話しかけてきた。


「さきほどは大丈夫でしたか?なにがあったんですか?」


「おいおい、まずはその不気味な敬語をやめてくれよ。同年代だろ?仲良くしようじゃないか」


「そうだね。わかったよサイク」

サイクの口角がより一層上がる。


「いや、なにも変なことをしたわけじゃないんだよ。彼とも仲良くしようと色々聞いてただけさ。そしたら急に怒りはじめて、突き飛ばされたのさ」


「ここでは、他の人に色々聞くのはご法度じゃないか?」


「そんなルールあったか?別に大したことは聞いてないよ。ただ、彼が異常に動揺していただけさ」


「人それぞれ事情がある」


「そうだねエド。確かに。そうすると君は、に落ち着いているね。彼とは正反対だ」

サイクの青い目が鋭くぼくを見つめていた。笑みは残っている。


異常という単語を強調した彼の話し方は、挑発行為だ。


「そんな風にヘイに話しかけたのか?彼が怒るのも無理ないよ」


「いや?普通に話しているだけなんだが。それよりぼくの質問に答えてくれないか?」


「質問?なにも聞かれてないけど」


「なぜ君はそんなに落ち着いているのか?このホワイトルームで」


「なぜって?ここには皆、納得してきているんだろう。覚悟を決めて。落ち着いていてもいいだろ?ぼくらは子供だけど」

ぼくの言葉を聞いて、サイクは一瞬きょとんとした顔をして、笑みがもどった。


「くっくっく。確かにそうだね」


「それに、ぼくから見たら君も異常に落ち着いているように見えるけど?」


サイクの笑みがより大きくなり、声を出す。心から笑っているようだ。

「くっく……はっはっはっは!。エド。君は面白いね。頭も良いし。俺に似ている気がするよ」


「それはどうも」


「なおさらどうしてこのホワイトルームにいるのか気になった」


「さっきから言ってるがホワイトルームってこの施設のことか?君が勝手にそう言っているのか?」


「まあ呼び方は気にしないでくれ、そう言われてる場所もあるってだけだ。話を変えないでくれよ?」

つまるところ、彼が聞きたかったのはそのことなのだろう。なぜ、この施設に来たのか。


ため息をついて言う。

「それを知ってどうする?知ったところでもう無意味じゃないかな?それに、全員似たようなものじゃないか?」


「それならそれでいい。ただ知りたいだけさ。好奇心で」

サイクの瞳はこの上なく純粋できらきらしている。求めているモノ。それ以外なにもいらない。そんな調子の瞳だ。


「意味なんて必要かな?」

ぼくは反射的に目をそらす。


「遠慮しとくよ。もう何も思い出したり考えたくないし、残りの時間をゆっくり過ごしたいんだ」

前を向いて淡々と答える。


「他の人にそのことを聞くのもおすすめしないよ。きっと誰も答えない」


「そうかい……残念だ。心変わりを待ってるよ。エド」

サイクはスッとソファを立ち上がり、部屋を出ていった。


「ぼくたちは似ているから、わかるよ。くっくっく…きっと君はぼくと話したくなるはずだ」そう言い残して。


彼の後ろ姿を見て、ぼくはつぶやく。

「また無事に会えたらね……」


それからリビングにやってくる者はなく、時間は穏やかに流れた。どれくらいの時間が経ったのかもわからなかったが。必要最小限の音量で夕ご飯の時間のアナウンスが鳴り、ダイニングの横の搬入口に食事が運ばれていた。


エレベーターのような仕組みだろうけど、ほとんど音もなくいつの間にかそこにあった。

簡素な紙パッケージの、機内食のような食事。マッシュポテトに、味付けされた豆など。紙のスプーンも付いていた。


(ぼくの国の食事にそっくりだ)

それだけが感想だった。


全員同様のこの食事については何も言うことないだろう。


食事の残骸は元の搬入口に戻した。


ヘイやサブ、サイクは食事のときにダイニングにぽつぽつとやってきたが、特に会話するでもなく、自室に戻っていった。すれ違いもあり、全員が施設の共用部にいることはなかった。


食事後、ぼくはソファに座ってぼんやりと、ただ時が過ぎるのを待っていた。


マリアはジヤンとキティに絵本を読んでいた。

《七匹の蛍》という絵本だった。外でも散々目にしたことのある絵本だ。


ジヤンが眠くなったようで、ぼくたちは解散することになった。


キティが3の部屋、ジヤンが4の部屋。マリアとぼくが見送った。


「ちゃんと鍵をかけるんだよ」


「うん。エドにいちゃん」


「また明日ね。二人とも」


そうしてぼくはマリアと二人になった。それから言葉も交わさずに少し歩き、先にぼくの部屋の前に着く。7と刻まれている扉の前。


「では、マリアさん」


「今日はありがとうございました。エドさん」


「エドでいいですよ、それに敬語もなしで」

そう言ってから、サイクも今日同様のことを言っていたことに気付いた。


「じゃあ、エド。私にも敬語なしで」

マリアは微笑んで言う。


ぼくらはまだ話足りないという雰囲気だったが、話すことはすでになかった。


「わかった。マリア。おやすみ」

ぼくは扉を開けて言った。


「おやすみなさい」

手を軽く振ってマリアが廊下の先に歩いて行った。


(敬語じゃないか、マリア)

ぼくたちは、二人ともまた明日とは言わなかった。


ベッドに倒れ、眠りにつく前。ぼくはサイクと交わした会話をいくつか思い出していた。


ふっと自然に笑みが浮かぶ。


ぼくとサイクは似ている。そうかもしれない。


最後の日々を、あいつと話すのも悪くはないかもな。

きっと明日も彼は生きている。そうして、強い睡魔に身を任せて眠りについた。


次の日、サイクとヘイは目覚めることはなかった。


彼らは息を引き取っていた。

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