おばのこと

 婚礼まで済ませてやればこっちのものだった。世間の大好きな皇太子殿下の配偶者が男だったことも手伝ったか、世間はもうそういうものらしいと諦めたようにかつての穏やかな静かさをとり戻しはじめた。

 「なあ、メイナード」玄関の前、服の肩や胴や裾を払いながらルークは夫を呼んだ。

 「なんだい?」

 「おまえの出生について世間が騒いだのって、水浴びのときのせいだよな」

 「水浴び?」

 「おれが駄々をこねて、なんとかおまえに水浴びの許可をもらったことがあっただろ。そのとき、川までの道でそういう話をしただろう。カイルのことと一緒に」

 「ああ」

 「静かな森だったけど、実際にだれがしかがいたんじゃないか? そのひとがおれたちの話を聞いてたんだ」

 「そうかな」

 「ああ、その……それだったらおれのせいだと思って……」

 「そんなことはない。私も軽率だった」

 ルークが微笑むと、そばでアダルべルトが嬉しそうに笑った。

 「メイナード、おまえは寛大だな」

 メイナードは小さく首を振った。「そうでもない」


 市場はきょうも賑わっていた。通りを多くのひとがいき交うほか、酒屋に値切るひとがいたり、装飾品を試着して世辞をいわれているひとがいたり、花屋で種類を指定するひとがいたりした。

 「ああ、皇太子殿下に旦那さま! アダルベルトさん!」

 メイナードがアーニーと呼ぶ果物屋ははきはきとした声をあげた。

 「いやあ、このたびはおめでとうございます! いやあ、たしかに親しげには見えましたが、いやあ、まさかほんとうにご結婚なさるとは!」

 ルークは冗談半分、自慢半分にメイナードに腕を絡めた。「どうだ、皇太子殿下の配偶者にふさわしい男だろう?」

 「ええ、ええ。なんだか周りが騒がしかったものですからな、どうなることかと、差し出がましいようですが気になっていたんです。いやあ、それがお二人が成婚なされたら、途端に落ち着きを見せはじめたじゃないですか。いやあ、なによりです、ほんとうに、ほんとうに」

 アーニーは思い出したように手を叩くと、「さて、きょうはなにをお求めで?」といった。

 メイナードはアダルベルトの背に手をあてた。「さあアダ、選んでごらん」

 アダルベルトはあれもこれもと選んではすべてメイナードに渡した。

 「ああアダ、この時期はブルーベリーがうまいぞ」

 アダルベルトはルークの指が向いたのをみて、大きなかごにたんまりと入ったブルーベリーを二つ、メイナードに渡そうとした。しかしメイナードがすでにたくさんの果物を抱えているのを見るとすこし考えるようにしてぴたりと動きを止めて、ひらめいたようにかごをルークに突き出した。ルークは素直に受けとったが、思わず「ほんとうに?」と口に出した。「ほんとうにこんなでかいの買うのか?」

 「るぅく、あだ、めーなーお」

 「三人で食べるならこれくらいいるって?」

 「あー……ああ、あ、あ」

 「ああ、親父さんとクラウディアさんだな。みんなで食べれば……」ルークはついメイナードの抱えている分まで見てしまった。城にいる全員で食べることになりそうだ。

 アダルベルトは「だめ」といった。

 「え、違うのか? えっと、まあ……アーニー、これで」

 「アダルベルトさんがきてくれると、自分はほんとう嬉しいですよ」アーニーは素直な笑顔でいった。

 メイナードはルークにとっての大金をなんでもないように払って、大きな袋二つを受けとった。

 「るぅく」

 「うん、なんだ?」

 アダルベルトは袋に入りきらずにルークが受けとったブルーベリーのかごを指さした。

 「ああ、これな。みんなで食べるんだろう?」

 「だめ。あ、あー、ああ……」

 ルークはアダルベルトの表現を、ブルーベリーに手を加えて配るのだと読んだ。

 「毎年、この時期になるとブルーベリーをジャムにして配るんだ」

 ルークはメイナードを見た。「そんなことやってるのか? でも、なんでブルーベリーだけなんだ? 皇城の味を配られるなんて、ブルーベリーに限らずみんな喜びそうだけど」

 「実は、四年か五年前に、こうしてアダと買い物にきたのだけれど、ものすごい量のブルーベリーを選んだんだ。結局、城では食べきれなくて、すこしでも保存がきくようにとジャムにしてもらったんだ。それでも私たちが使うには多くて、近くのひとに配ったんだよ。そのときは三つくらいのびんだったけれどね。そうしたらアダがそれを気に入ったようで、毎年ブルーベリーをたくさん買うようになった。なんなら食べるためにというより、ジャムにして配るためにね」

 「それから恒例の行事になってるわけだ? でもいいな、皇城のジャムがもらえるなんて」

 「もう今年で五回目か六回目だからね、好評だよ」

 ルークはふと思いついて、なんだか嫌になった。「なかにはメイナードに会うためにくるご婦人もいるんじゃないか?」

 ルークの素晴らしい夫は、「皇太子というのはどれほどの世間知らずだろうと見にくるひとはいるかもしれないね」といって笑って、ルークを安心させた。

 アーニーに改めてあいさつして道を戻ると、「皇太子殿下!」と聞き覚えのある声がした。見覚えのある顔をした素朴な愛らしさのある彼女は丁寧に丁寧に辞儀をした。

 「皇太子殿下、ハンナおばについてお願い申しあげました者です」

 「ええ、もちろん覚えています」

 彼女は顔をあげると微笑んだ。「おばですが、皇太子殿下のおっしゃったように、もう苦しまなくなりました」

 メイナードはなにも知らずに素直に言葉を受けとった。

 「おばが苦しみから解放されたものですから、わたくしもほっとしています」

 ルークには彼女の笑い顔が寂しいものに見えた。

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