家族に会いに

 果たして、世間はルークの想像より長い間、皇族の愉快な話に夢中になっていた。世間が騒がしくなるごとにアダルベルトとの仲も良好なものになって、はじめはその比例するような二つの事象を楽しんでいたルークだったが、あんまりに落ち着かない世間に対していよいよ好き勝手にやってやりたくなって、「もう知ったものか!」と手紙を書いた。特異な体質を持った者がいてなにが悪い? 男から生まれた者のなにが悪い?と、世間の盛りあがりに腹が立ってきたのだ。だれがどう思おうがどういおうが、ルークは皇太子の配偶者になると決めた。弟に会うのはすこし怖くもあったが、返事が届いてその不安も消え去った。


 よく晴れた朝だった。曇った日と雨がぱらぱらと降るような日が繰り返すようだったから、こうした快晴は気分のいい一日のはじまりであるはずだった。思うままに行動を起こすと決めたのだからなおのことだった。

 それが、さあ玄関を出ようかというところで皇太子がひどい姿をさらしている。顔は青白く、そわそわと歩きまわっては突然「ああ!」とか「はあ!」とか声をあげて息を吐く。せっかくの美髪も、品のいい指先で下品にいじりまわすせいで乱れている。

 「ああルーク、ルーク、私はどうしたらいい!」

 「どうもしなくていい。ほら見ろよ、アダが心配してるだろう」

 アダルベルトはさっきから、ルークが皇太子を不安にさせているといいたいのだろう、「るぅく、だめ、だめ」と繰り返している。

 「ああ、ああだめだ。私にはきみの家族に会う資格はない!……ああ、私はきみの弟君おとうとぎみを怖がらせたくない」

 「すんげえ会いたがってただろうが。落ち着け、皇太子。あの返事を見ただろう。きのう、おれが送った手紙に返事があったよな、覚えてるな? それを読んでくれたのはだれだ? おまえだろう。なんて書いてあった? おれという素晴らしい兄貴の気遣いを鼻で笑うような内容だっただろう。そんな無礼極まりないやつが、おまえという優しさの塊みたいな男に会ったところで、どう怖がるっていうんだ?」

 「ああ、だめだ、ああまったく、今までどおりのことをしようなんて考えなければよかった、あんなに朝食を食べるべきじゃなかった!」

 「腹でも痛いのか? なにかいい薬はないのかよ?」

 「ああルーク、ルーク!」

 「いるさ」ルークは声を張った。「おれはここにいる」

 「るぅく、だめ」

 ルークは皇城の高い天井を仰いだ。ああまったく、なんて素晴らしい朝だろう!

 「だれか!」とルークは叫んだ。「だれか皇太子殿下を慰めてやれ!」

 女が走ってきたから、ルークは「皇太子殿下は朝食をしっかり食べたのを後悔してる」と伝えた。

 女は皇太子の顔を見て察して、「胃薬をお持ちします」といってまた走っていった。

 「どうする、皇太子。もうおまえと結婚するっていうのは伝えたんだ、会うのはやめるか? 第一、おれがばかなことをしたせいで二度手間になってるんだ。おれがカイルあいつに直接説明してもいい」

 足の速い女が小罎こびんを持って戻ってきた。ルークが自分のに対抗すべく煽った薬の味を思い出して顔をしかめる横で、皇太子が小罎の中身を一息に飲んだ。

 「そういうわけにもいかない……」

 「小心なくせにこだわりが強いな」

 「弟君も大切な兄がどんな者と婚姻を結ぶか、しっかりと知っておきたいことだろう」

 「たしかに、あいつは高貴な皇太子殿下に謁見したいといってる。あいつはおれと違って貴族ってものに興味があるからな」

 皇太子はなにやらぶつぶつとつぶやいて、突然ぱしんと自らの頬を叩いた。「あ、あ……」と心配そうな声をあげるアダルベルトをよそに、「ここを出てしまえばそれまでだ」となにやら意を決する。

 「アダ、皇太子は大丈夫だって、ね。元気になったぞ、よっしゃいくぞーってしてるんだ」

 「るぅく」

 「うん、皇太子は大丈夫だ。『』」

 「ない、じょーう?」

 「だいじょうぶ。大丈夫だ」

 「だいじょーう」

 「そう、大丈夫。アダはおしゃべりさんになったな。じょうずだよ」

 アダルベルトはぽんぽんと頭をなでるルークにかわいらしく笑うと、皇太子の袖を引きにいった。「アダ」と微笑む彼に「だいじょーむ!」と声援を送る。

 「るぅく、だいじょーむ」

 「そうだ、おれが大丈夫っていってるんだから大丈夫なんだ。アダはちゃんとわかってくれてる」

 メイナードは不快感の落ち着きはじめた腹に手をあてた。「ああ、ルーク……私はきみを夫にすることを許されるだろうか?……」

 「だれにさ? おれのかわいい弟に、それとも皇族の話で連日賑わい散らすみなみなさまに? そんなもの、許されなくても夫にするんだよ、な? おまえと、おれが、こんなに望んでるんだから。外でなにをいわれようが放っておけばいい。仕事に忙しいひとびとが、娯楽のために話してるだけなんだ」

 「きみが傷つくことがあってはならない」

 「おれは傷つかない。傷つけようとするやつがいたときには、全身で挑発してやるさ。おれはおまえが思うほど繊細じゃない」

 ルークは改めて皇太子を呼んだ。「皇太子、なにも考えなくていい。おれのことだけ見て、おれのことだけ考えてればいい。おまえがぞっこん惚れた、ばかで性格もよくないけど、おまえを愛してるおれのことだけだ。散々振りまわしておきながら、実際にはおまえに、きっと早いうちに惚れてたおれのことだけ。おれは傷つかない、だからおまえも、そんなに怖がることはないんだ」

 皇太子が普段の面影を感じさせる微笑を浮かべたから、ルークはゆっくりとくちづけした。じっくりと皇太子のぬくもりとやわらかさとをくちびるに刻んだあと、音を立てて離れた。

 「いこうか」と皇太子。

 ルークは彼が自分で乱した髪を整えてやった。「これが終われば、騒がしい声を聞きながらの日常が戻る」

 「騒がしいかな」

 「いや、意外とそっとしておいてくれたりして」

 皇太子は「楽しみだ」とわかりやすく強がりをいった。ルークは強がりに気づいたのを隠さないで「その意気だ」と頷いた。


 二人の男は、うまやでずいぶん待ったようだった。ルークは廐番のオーガスト少年が連れている仔馬を見て感動した。思わずそちらへ寄っていく。

 「ああ、生まれたのか! もうだいぶ大きいな」仔馬の愛らしさにたまらずその頬をなでると、仔馬はおとなしく、ルークの好きにさせてくれた。

 「先月のうちに生まれたんです。ジュネヴィーヴはじょうずに産んでくれました」

 「そうか、そうか。よかったなあ、おめでとう。オーガスタスだよな」

 「ええ、ええそうです!」オーガストはルークが覚えていたことへの驚きを隠さなかった。

 「覚えてるよ」

 だって、とルークが勢いに任せて言葉をつづけようとしたところに、「ルークさま、そろそろ」と一方の男が促した。ルークはオーガストに「ちょっと出かけるんだ」といって、男のほうへ戻った。

 「エドウィンで乗馬の練習をしたと聞きましたが」

 「ああ、そうだよ」

 「メイナードさまといきますか、それともお一人で?」

 ルークはちょっと迷って、「皇太子といこう」と答えた。

 皇太子は「私と?」と驚いたようにいった。

 「なにかまずいか?」

 「そんなことは……」

 丁寧に抱きあげられてから皇太子の愛馬にのせられるまでの間に、ルークは皇太子の頬に赤みがさしているのを見た。しかし彼はなんでもないようにルースの後ろにのって手綱を握った。


 城を出たはいいが、それほど進まないうちに日が暮れた。太陽と入れ違いに昇ってきたのは痩せ細った三日月で、その明かりを頼りに夜道を進むのは難しかった。まだある程度体力が残っているらしい馬は退屈そうにあたりの草を喰んだ。

 ルークは皇太子のマントに彼と二人で横になった。不安なのか、ただの優しい愛情表現なのか、皇太子は後ろからルークを抱きしめた。腹のあたりで組まれた手を愛おしんで、ルークは自分の手を重ねた。

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