会いたい

 薔薇はアダルベルトの分も土に挿してみた。ルークがふと思いついて、数を稼ごうと枝を短くした。花の部分は惜しみつつ切りとって、皇妃に保管を任せた。皇妃は「アダの白薔薇は幸運に恵まれていたのよ」といって困ったように笑いながら花を受けとった。

 黄色の薔薇が美しい姿を見せてくれることを祈って、夕食の時間を迎えた。アダルベルトは機嫌よく食事を進めた。

 フレディはサラダを食べながらアダルベルトの様子を見た。「アダ、すっかり元気だな」

 「ルークに花をもらってご機嫌なんです」とメイナード。

 フレディは息子の声に広間の窓辺を見た。なにやら土を詰めこんだガラスの容器に葉のついた青い枝がいくつか突き刺さっている珍妙な光景を見たのだ。

 「ところであれはなんだ?」

 「ルークが出先でおもしろい話を聞いて、それを試してるんですよ。なんでも枝はああしておくと、うまくすれば根を生やしてまた花を咲かせるっていうんです」

 ルークはパンを飲みこんでいった。「世のなかにはすごいひとがいまして、皇帝、新種の薔薇を生み出すなんていう神みたいなことをするひとがいるんですよ、その超人がそういったんです」

 「土に突き刺しておけば育つと? 種もなく新しい株が生まれるなんて、そんなのは摂理に反している」

 ルークは小さく笑った。「ひとが新種の花をつくってるんですよ、その時点でおかしなことが起きてます。だったら、そういうこともあるかもしれないと思うか、おれの出会ったただのおじさんに見えた男が神だったと思うしかありません。どっちにしても、枝を土に突き刺せば根っこが生えてくる可能性があるわけですよ。なんだかおもしろいじゃないですか」

 「でも」今度はメイナードがいった。「きみの会ったのは神じゃない」

 「まあそうだろうさ、皇太子。神が人間の暮らす世界に降りてくることがあるにしても、おれとあんなふうに気さくに話してくれる理由はない。あのおやじさんは、ただのものすごいひとだったんだよ」

 「そうじゃない」メイナードはたまらずいった。

 一方のルークは困り果てて眉根を寄せる。「どういう意味だよ?」

 「神はの姿をしていない」

 ルークは皇太子の慣れない様子の言葉の使い方に笑いそうになった。皇太子は庶民的な言葉がことごとく似合わない男だ。

 「なんだよ皇太子、それじゃあ実際の神の姿を知ってるっていうのか?」

 「知っている」

 メイナードは確信を持っていったのだが、ルークには意地を張った子どもの口調に聞こえた。

 「そうかそうか、皇太子は神に謁見えっけんしたことがあるんだな? まるで相手が人間みたいに」

 「神は、ひとの心を摑んで離さない、強烈な魅力を持った姿をしているんだ」

 「へえ。男、女?」

 「男」

 ルークはいよいよ笑いながら「そうかそうか」というよりほかなくなった。「ほんとうに会ったことがあるのかよ?」

 「私には、神はきっとこんな姿をしているという像があるんだ」

 「へえ、それはすごい。さすが高貴な血を持ってるだけある、庶民より神に近い存在なんだ」皇太子があんまりに真剣なので、ルークは嫌味じゃなく、しみじみといった。


 就寝前、ルークは部屋の前をうろうろして皇太子を待った。

 ようやく廊下を歩いてくる姿を見つけると、「皇太子」と呼んだ。短くくちびるをふれ合わせて、ルークは皇太子を見た。

 「アダは、もう、許してくれたかな?」

 「きみはうまく距離をちぢめたと思う」

 「もう、手紙を出していいかな?」

 「手紙?」

 「おれの家族に。会ってほしいっていっただろ」

 「ああ」皇太子はしばらく考えるように黙りこんでから、何度か頷いた。「いいんじゃないかと思う。しかし、私は今すぐにでもきみの家族に会いたい。この強い欲求がそう思わせているのかもしれない」

 「アダには、まだ早いかな。だって、たしかに喜んでくれたけど、アダにとってのおまえは、一輪の花よりずっと価値があるはずだ」

 「きみだってそうだ。一輪の花より大切なはずだ」

 「一輪の花で一輪の花以上の点をとれたとは思えないな?」

 メイナードは手のひらでルークの首や肩や胸をなでた。「不安ならその心に従えばいい。きみはきっと正しい。今だと思ったときに手紙を出せばいい」

 ルークは胸がどきどきして体が熱くなるのを隠して「ほんとうなら」と声を出した。「今すぐにでも出したいさ。でもアダが心配なんだよ」

 「るぅく、」と声がした気がして、ルークは皇太子と同時に振り向いた。気のせいではないと知ると「アダ!」と声が出た。

 「どうしたんだよ、こんなところまで」

 アダルベルトは皇太子のきたほうからやってくると、抱えていたものを突き出した。

 「本?」

 「アダ、私のお部屋で待っていてといったでしょう?」

 「るぅく」

 「おれ?」

 「ごほん、よんであげよう」

 「アダが読んでくれるのか?」

 アダルベルトはずいずいとルークに向けて本を突き出す。

 「ああ、皇太子がやってくれてるんだろ、いつも。きょうはおれに読んでほしいってこと?」

 「よんで、あげよう」

 ルークはアダルベルトにとっての黄色の薔薇の価値に驚きながら彼の突き出す本を受けとった。

 ルークはおまえも一緒にと念をこめて皇太子を見た。彼は穏やかに微笑んで頷いた。二人で「よし、読んであげよう」と声を重ねた。

 部屋に入ると、アダルベルトはベッドの前、床に直接座った。

 ルークはベッドに腰をおろした。皇太子はランタンに火を入れてからルークの隣に座った。

 表紙を開いてみたのはいいが、皇太子が黙ったままなので腕を突いた。「あまり長い文は読めない、おれはせりふが限界だ」

 皇太子はゆっくりと物語の開幕を読みはじめた。主人公やその家族、また彼らの暮らす世界まちについての描写だった。皇太子の穏やかな声は、聞いていてルークも心地よく、あまり長く聞いていると眠ってしまいそうな、不思議な安心感があった。

 ルークはいよいよやってきた括弧かっこのなかを読んだ。

 「兄さん、帰ったんだね」


 ふと気がつけば、アダルベルトは床に横になって眠っていた。二人でそれに気がつくと、ルークは開いていた本を閉じた。

 「おまえと二人のときもこんな感じなのか?」

 「ああ。アダをベッドに寝かせてから、聖館せいかんにいくんだ」

 「せいかん?」

 「聖なる館と書いて、神に祈る場所だ」

 「おれが暢気のんきにいびきをかいてる間におまえが祈ってる場所だな」

 「きょうはきみもいくかい?」

 「いや、皇族だけが入るような場所だろ? おれはまだ……」

 皇太子はベッドをおりてアダルベルトのそばにしゃがんだ。彼の髪を指先でく。「他人を呪う私が立ち入るような場所だ」

 ルークは改めて、皇太子のアダルベルトの両親への憎しみを知った。「アダは、今、幸せなんじゃないか」

 「今と未来がいかに幸せでも、傷ついた過去は消えない」

 ルークはそれについてなにもいえなくなった。ただ、「おれも祈ろうかな」と、ちょっとだけ話を逸らしてみることしかできなかった。

 皇太子はランタンの照らすところで優しく微笑んで頷いた。

 「そうだ、皇太子、おれは今まで雨を太陽をとしか祈ったことがないから、ちゃんと世のために祈る正しい所作を教えてくれよ」

 皇太子は小さく笑った。「わかった」

 アダルベルトを彼自身のベッドに寝かせて、皇太子は階段をおりていった。ルークはそれにつづく。

 玄関の扉を閉めて、ふと思い出すように気がついた。「なあ皇太子、そんな神聖なところにいくのに寝間着でいいのか?」

 「むしろこうした質素な服装がいいんだ」

 「そうなのか?」

 「あまり着飾らないほうがいい。極力、人工的なものを持ちこまないほうがいいんだ」

 「じゃあ極端なことをいえば、朝でも夜でも素っ裸で手ぶらで入るのがいいんだ?」

 メイナードは顔が燃えるように熱くなった。「あまりそういうことをいわないほうがいい!」

 「なんだよ、だってそういうことじゃないか」

 「そうかもしれないが口に出すものじゃない」

 「わかったよ、静かに、無心でいくのがいいんだな」

 「そのとおりだ」と、メイナードは無心とは程遠い心境で答えた。

 「なあ、皇太子?」

 「静かに」

 「なあ、皇太子ってば」

 瞬間、今しがた出てきた城の外壁に背を押しつけられた。気がつけばなにをいおうとしたのかも忘れて、噛みつくようなくちづけ受け入れていた。くちびるだけでなく、もっと深いところまでふれ合うようなくちづけ。ルークは皇太子の頭の後ろに手をあてて精一杯応えた。

 ようやくくちびるが離れたが、ルークはやられっぱなしではと変な悔しさに駆られて、短く乱暴なくちづけを押しつけた。

 「礼拝の直前にこんなことするやつがどこにいるんだ!」

 「私は、静かに、無心でいくんだといったはずなのだが」

 ルークの叩きつけたくちづけのあと、同時に、互いにささやくような小声で叫んだ。

 「ああ、たしかにいってたさ。なのに急にどうしたよ」

 「きみは自重すべきだ。きみは、あんまりに軽率だ!」

 「おれのなにが皇太子殿下をこの奇行に駆り立てた?」

 「私はこれまでに何度もいっている、きみは魅力の塊だと。きみの存在が、きみをきみたらしめるもののすべてが、絶えず私を魅了する。私は当然、きみの声も愛している。だからきみの言葉には不思議な力が宿る。なにをいっても私を深く感動させ、煽動する。だからきみは自分の発言に、いやそれに限らず言動に細心の注意を払う必要がある。それを怠れば、今のようなことが起きる」

 ルークはちょっと下から皇太子を睨んで、直前に彼がしたようなくちづけをした。

 「おまえは頭が悪いのか単に想像力がないのか知らねえけども、おれにとってのおまえも、おまえにとってのおれとおなじだ。おれだって、……おれだっておまえを愛してる。だから、今みたいなことには、おれの軽率さを抑える力はない。急だと、そりゃ驚くけど、それだけだ。……嫌じゃない」

 「そういうところだ」

 「なにが」

 「私たちは今どこへ向かっている? そうだ、聖館だ。私たちは静かでなければいけない。無心で、清らかな心でなければいけない。それをきみは妨害する」

 「おまえだってそうだ、こんなときにあんなふうに!……」

 「きみが考えなしに発言するからだ」

 「おれがなにをいった?」

 メイナードは勢いに任せて口を開いたが、『す』の音を立てたきり声が出なかった。代わりに顔が熱くなった。「そんなことだから、自覚が、注意が足りないといっているんだ!」

 「おまえだって!——」

 ルークは、いいや、よそうと自分にいい聞かせて、壁に背中を預けて夜空を仰いだ。深く、ゆっくりと呼吸する。清らかな無心になれるよう意識した。部屋の前で寝間着をはさんで感じた手も、直前のくちづけも忘れようとした。

 メイナードも一歩さがって、目を閉じて深呼吸した。

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