果物を買いに

 メイナードとルークの仲の睦まじいところを見せつけられて、アダルベルトはすっかり不機嫌になった。それに気づいて、ルークは困って苦く笑い、メイナードはアダルベルトに手をかけはじめた。

 メイナードは給仕人を呼んで、先ほど、さげさせた食事を持ってくるよう頼んだ。給仕人は感じよく受け入れると、食事を持って戻ってきた。

 すぐに、広間には皇太子とアダルベルトと三人きりになる。

 「皇太子も食べてなかったのか?」

 皇太子はただ微笑んで、祈りの言葉をよどみなく並べた。ルークは目を閉じてそれを聞き、最後の一言で皇太子と声を重ねた。

 メイナードは機嫌の悪くなったアダルベルトに、パンをちぎって差し出した。アダルベルトは黙って受けとると口のなかに押しこんだ。

 「アダ、あとでフルーツを食べよう。いちご、さくらんぼ、マンゴーもいい。パインもおいしい季節だ」

 メイナードはアダルベルトの機嫌にいい変化がないのを見ると、また給仕人を呼んだ。

 「なにかフルーツはあるかい?」

 給仕人はすぐに申し訳ない顔になった。「きょうはもう、なにもないのです」

 「そうなのかい?」

 「きょうは奥さまがご友人と茶会を開かれるのでして、そのためのデザートにすっかり使ってしまったのです」

 「ほう、そうだったんだね、ごめん。戻っていいよ、ありがとう」

 給仕人は深々と頭をさげて戻っていった。

 「よし、アダ、このあとは買い物にいこう」

 「正気か?」ルークは思わず大声を出した。

 皇太子はようやくなにか思いあたったようにルークを見た。「まだ本調子ではないのかい?」

 「そんなことじゃない、おまえが街をうろうろしていては大変なことになるだろうが!」

 皇太子は肩をすくめた。「みんな、私たちには大した関心がないものだよ。これまでに苦労したことは一度もない」

 「本気でいってるのか?……」

 「心配はいらないよ。きみもアダも、私が守る」

 ルークはマッチに火がつくように頬が熱くなって、パンをちぎって口に押しこんだ。口のなかがいっぱいになってしまって、ミルクで口のなかのパンを湿らせた。


 食事が済むと、それぞれ着替えをしたのだが、部屋から出てきた皇太子は、あろうことか、あの日ルークに婚姻を申しこみにきたときとおなじ格好をしていた。アダルベルトがシャツにジャケットを重ねた、金持ちには見えるが特別目に立つ格好ではなかったことも、皇太子の格好がルークに与える衝撃を大きくした。

 「ばかか、おまえは。なんだその格好は!」

 皇太子はなんでもないように両腕を軽く広げた。「正装だよ」

 「買い物に出かけるのに正装するやつがどこにいる? しかも、素晴らしい商人のもとへまぶしいダイヤモンドを買いに出かけるんじゃない、ただ市場へ果物を買いに出かけるんだ」

 「たしかにみんな私に関心を持たないけれど、それでも時折声をかけてくれるひともいる。そのときに寝間着ねまきみたいな格好なんていうのは、あまり望ましくないだろう?」

 皇太子なら寝間着でも品よく見えることだろうと思ったが、ルークは黙って、代わりに息をついた。

 「ほんとうに、今までもそんな格好で出かけてたのか?」

 「場合によっては、皇族の者としてちょっとした仕事をすることもあるから、あまりいい加減な格好では出ないんだ」

 「然様ですか然様ですか」


 ルークは外に出るとチョッキのぼたんを閉めた。

 驚いたことに、市場に着いても皇太子の存在が騒がれることはなかった。みんな、ちょっと辞儀をするくらいのものだった。

 「おやおや、皇太子殿下にアダルベルトさん!」果物屋の青年とも中年ともつかない男が嬉しそうに声をあげた。生まれ持った顔立ちの無味に近いさっぱりさを、鼻のしたの茶色のひげでちょっと味つけしたような茶髪の男だった。

 「アーニー。調子はどうですか」

 「最高ですよ、皇太子のお姿を拝見できたんでね。アダルベルトさんも元気そうでなによりです」男はルークを見た。「皇太子殿下、そちらの青年は?」

 皇太子がルースの背に腕をまわした。「ルーク・バログ、私の大切なひとです」

 男は愉快そうに笑った。「そうですか、まるで恋人みたいだ!」

 ルークも皇太子の背に腕をまわした。「どうだ、お兄さん、おれは皇太子に似合うか?」

 男は穏やかに微笑んで頷いた。「とてもお似合いです」

 彼はそれから、ぱちんと手を合わせた。「さて、なにをお求めですか?」

 皇太子がアダルベルトをそっと促した。アダルベルトはなにか一つを欲しそうに見ると、決まってそのあとに皇太子を見た。皇太子はそのたびに優しく頷いた。

 アダルベルトはそうして、次々に果物を選んでは皇太子に渡した。

 アダルベルトはメイナードが笑って頷いてくれるのが嬉しかった。彼が優しく笑ってくれるたび、自分の選んだものがメイナードの気に入ったものなのだと思った。

 ふと、アダルベルトは皇太子の袖をついついと引いた。それから果物を指さした。

 「よし、パインだね。アーニー、これで」

 皇太子から両腕に抱えるほどの果物を受けとって、果物屋は「アダルベルトさんはほんとうにパインがお嫌いですね」と笑った。

 皇太子はルークにとっての大金をなんでもないように払って、大きくふくらんだ袋を受けとった。

 「どうもありがとう、アーニー。あなたに幸あらんことを!」

 果物屋は丁寧に辞儀をして皇太子一行を見送った。

 ルークは、アダルベルトと自分の間を歩く皇太子を呼んだ。「アダはパインが嫌いなのか?」

 皇太子は「食べるのは好きだよ」と穏やかに応じた。「でもさわるのが苦手なんだ、硬くてちくちくするからね。キウイもちょっと苦手だ」

 「へええ。それじゃあ、も苦手なんじゃないか?」

 「ああ、そうだ、あまり好きじゃないね。きみはアダのことがよくわかるね、ルーク」

 ルークはちょっとふざけることにした。「おれは神の化身だからな、全智の天才を持ってるんだ」

 メイナードにその冗談は通じない。「きみはたしかに、神の化身だろう。神はきみによく似たお姿をしているのに違いない」

 ルークが困っていると、「まあ、皇太子殿下!」と女の声が弾けた。

 女は若く、かわいらしい顔立ちをしていた。ルークは自分とおなじ歳頃の彼女の、素朴なかわいらしさに、なんだかほっとした。このごろは女も男も上等なものを着て、しぐさには品だったり威厳がある者ばかりがそばにいた。城で働いている者でさえ、ルークのよく知る、田舎で忠誠とは無縁な暮らしをしている者とは違った。それがこの女は、ルークが女性と聞いて思い浮かべる姿によく合った印象を与える。着ているドレスも、それと聞いて思い浮かべるものに近い。まさに、これまでのルークとおなじような暮らしをしているように見える。

 彼女は赤みがかった茶髪を揺らして跪いた。「ああ、ああ皇太子殿下! このごろ、おばの——ハンナおばの体調がすぐれないのです。ああ皇太子殿下、どうか、おばのために祈ってはいただけないでしょうか!」

 ルークは女の切羽詰まった様子にきょとんとしながら、皇太子に差し出された、大量の果物でふくらんだ袋をほとんど無意識に受けとった。ずっしりとした重みのある袋を両腕に抱える。

 女は悲痛な声で訴えた。「おばは、おばは、これまでもずっと苦しんできたのです。おばには子がありましたが、しかし、その無垢の天使は恐ろしい悪魔の手によって、おば夫婦の元から消えてしまいました! その子はわたくしとおなじような歳だといいます、まだまだ幼いうちに、悪魔はおばの元から、かわいい天使を奪ってしまったのです。このことを話して聞かせてくれたおばの悲しい声、悲しい顔! わたくしは、とても忘れられません。ああ、皇太子殿下、悪魔はなおも、おばを苦しめようとしています! どうか、どうか、おばのために祈ってはいただけませんか……」

 「顔をあげてください」と皇太子はいった。女はまずゆっくりと顔をあげて、それからすこししてゆっくりと立ちあがった。

 「あなたは美しい。神はきっと、あなたの祈りを聞き届けてくださるでしょう。おば上はこれ以上の苦しみを受けず、あなたもまた、おば上が苦しみから解き放たれることで、この恐ろしい世界に光を見つけられることでしょう!……」

 「ああ、皇太子殿下、どうかお力をお貸しください!……」

 皇太子は「ええ、ええ」と頷いた。

 女はうつむいて目元を拭い、何度も何度も頭を深々とさげて去っていった。

 ルークは女を見送ってからしばらくしてようやく現実の世界に戻ってきたような心地がして、「皇太子?」と声をかけた。

 「皇太子、ああ……えっと、今のはなんだ?」

 「仕事の一つだ」

 「おまえは聖職者か?」

 「皇族私たちは、この世界に生きる者のために祈るのが仕事だ。彼らを悪魔の手からお守りくださいと」

 「皇族ってそういうひとたちだったのか? でも皇太子、おれはおまえがそんなふうに祈ってるのを見たことがないぞ」

 メイナードはルークの腕に預けた袋をとりあげた。「きみはどうだか知らないけれど、私のフィアンセはいつも、その時間は眠っている」

 ルークは皇太子の目や口や声のいたずらな表情に、恥ずかしさで熱くなった。「そ、そういうことは、もっと早く教えてくれよ!」

 「それじゃあ、ルーク」

 「なんだよ」

 「きみを正式に、私の配偶者としていいかい?」

 ルークは顔が燃えるように熱くなって、水のなかにでも飛びこみたくなった! あんまりに顔が熱いから、これでは髪が炎の形に逆立っているかもしれない。

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