息子と義息

 月が明けた。フレディは男を一人、書斎に呼び出すと、用意していた荷物を渡した。薬と、それ十本分の金銭が入っている。

 「ジュリアスの家に」

 男はそれで了解して、辞儀をすると姿勢よく部屋を出ていった。

 フレディは、この間からずっと、息子とその婚約者の仲が気になってしかたない。息子のほうには相手の婚約者である自覚があるようだが、その婚約者のほうには、まるでその様子が見られない。最も親しい友人の息子に、その心情を聞いてみたいが、それを試みるたびに息子が恐ろしい目をする。自分たちのことに首をつっこむなと無言で脅してくる。

 婚約者を愛するのは素晴らしいことだが、フレディのほうもただの気まぐれで彼らに結婚を命じたわけじゃない。目的もなく息子を男と結婚させようなどとは考えない。

 しかしそれだからといって、フレディはこの結婚を悔いたり、不自然なものだと考えたりはしていない。神は、を、ただ男女のためにつくったかもしれない。ちょうど自分たちのように、女が産めなければ男が産めばいいと。しかし、自分の息子が、ジュリアスの息子が、それぞれを持って生まれたのは、まさに運命というよりほかにない。ジュリアスとの青春を永遠のものにするために、神が、あるいは神さえも知らぬところで起きた奇跡が味方してくれているのだ!

 神か奇跡かの加護を信じてはいても、早く結果が見たくてたまらない。自分の息子が夫として、親友の息子が夫として、永遠を誓うところを見たい。そのあとはもう、なにも心配することはない。懐かしい親友との青春の永遠は勝手にはじまるといってもいい。

 問題はルースの機嫌だ。『花』の『誘惑』は定期的に起こるが、気のある『蝶』のそばにいるとき、その『蝶』に対する『誘惑』が起こることもある。定期的に不特定の『蝶』を『誘惑』するのではなく、そばにいる特定の『蝶』を不定期に『誘惑』するのである。しかしながら、ルークにはその気配が感じられない。

 フレディは息子とその婚約者の様子をうかがいながら食事を進めた。そわそわしてしょうがない。落ち着かない。

 とうとう咳払いした。「ああ、ルーク。その……どうだい、メイナードは?」

 ルークは懐っこく微笑んで、うんうんと頷いた。「いいやつです」

 「きみの夫にふさわしいかな?」

 ルークの隣でメイナードが咳払いした。フレディは震えあがりそうになったのを隠して息をついた。

 「ああ、話したくなければそれでいい。ああ、いい。いいんだ」

 クラウディアは布巾で口元を拭った。「慌てることなんてないわ。だれも彼もが、わたくしが夫にしたような恋愛をするとは限らないんですからね」

 「どんな恋愛を?」ルークが訊いた。メイナードはそれに反応するように、アダルベルトに手を出しはじめた。

 「それはもう、素敵な恋愛よ」クラウディアは布巾をたたみながら微笑んで首を振った。「いいえ、若い子に話すようなことじゃないわ、あんまりに情熱的で、のぼせちゃうもの」

 ルークはまっすぐな目で、フレディとクラウディアを交互に見た。それからいたずらに笑って首を振った。「若いころの恋愛が?」

 クラウディアはもったいぶるように、あるいは恥じらうように笑った。「この幸せは、実際に経験してみることだわ」彼女は夫を見た。「ねえ、ダーリン?」

 フレディは息子とよく似た素振りで、食事に集中するふりをした。


 食事が終わると、フレディは広間を出ていく息子を呼び止めた。

 メイナードは父の声に振り返ると、愛くるしい婚約者と目を合わせた。ルークは一つ頷いて、アダルベルトの背に手をあてて広間を出ていった。メイナードはルークが自ら手をふれたアダルベルトに対して抱いたささやかな嫉妬が罪悪なものに思えて深呼吸した。さっさと父を振り返る。

 「なんですか」

 「ルークとはどうだい」

 メイナードはうんざりした。「まあ落ち着いてくださいよ。どうしてそう急ぐんです」

 「私はこの結婚に人生を懸けているといってもいい」

 「だったら尚更、落ち着いてください。急いでなんになります、焦ってなんになります? 急いだ分だけ焦った分だけことがうまく運ぶんなら、私だって急ぎ焦ります。でもそうじゃない。物事はゆっくり丁寧に進めていくべきなんです」

 「きっと結婚してくれ。私の人生が懸かった結婚だ」

 「だったら」メイナードはちょっと感情的に応じた。「二度とルークを急かすようなまねはしないでください。私だって彼が。ええ、どうしようもなく。離れたくないんです。彼をただのひとじゃなく、私のそばにいるべきひとにしたいんです。それをあなたのせっかちにじゃまされては、たまったものじゃない」

 父はなにもいわなくなった。メイナードはつづける。「今、神はルークです。私たちの運命は彼の心のなかにある。私は彼に愛される努力をして、父上、あなたは、神の顔色をうかがっていればいいのです。神の怒りを買わぬよう、ご機嫌をとっていればいいのです。神を急かす人間なんて、いないでしょう?」

 メイナードはいうだけいうと、さっさと外へ向かった。きょうはルークと馬にのる約束をしていた。の独り言を聞いている暇などなかったのだ。


 ルークはアダルベルトとの接し方に苦心していた。土を這っている小さな虫をしゃがみこんで熱心に眺めている彼に声をかけたが反応がなく、一人でああだこうだとしゃべっているうちに、よほどそれが不快だったのだろう、アダルベルトは半べそかいた状態になった。

 「ああ……ほんとうだよ、こいつらはパンくずを落としてやると、喜んで巣に運んでいく。今度やってみるといいよ、な?」

 ルークが痩せた背に手をあてると、アダルベルトはそれを拒んでいるつもりなのか、体を大きく揺らしはじめた。

 「ああ……。うん、皇太子だろう? すぐにくるよ、ちょっと親父さんと話があったみたいなんだ」

 アダルベルトは咳払いするように強く唸ると、ルークに向けてこぶしを振りまわしはじめた。ルークは荒っぽいこぶしを何発か喰らいながら、「皇太子ならすぐにくるって、ちょっと待っていようよ、な?」と声をかける。

 新たに頭に振り落とされたこぶしに「あいてて……」とつぶやいたところで皇太子がやってきた。慌てた声でアダルベルトとルークとを呼ぶ声が聞こえてきて、ルークは救われた心地がした。

 「ルーク! アダがパニックを起こしたら私を呼ぶようにといっただろう」

 「パニックってほどでもないと思ったんだ。それに、おまえは親父さんと話があったんだろ?」

 「そんなのは決して重要じゃない。きみのためにも、アダのためにも、私を呼ぶべきだ」

 「……悪かった」アダルベルトのためにもといわれると弱る。

 皇太子はアダルベルトを抱きしめて、彼の髪や額や頬にくちびるをあてている。「アダ、大丈夫。私の声が聞こえるね?」

 アダルベルトにとって、皇太子の存在は安心そのものらしい。アダルベルトは皇太子の胸に顔を寄せてすこし泣くと、やがて落ち着いた。

 「きみは無事かい?」

 「おまえじゃ嫌だと激しく拒まれて、心がへこんだ以外にはな」

 ルークは笑ったが、皇太子はなにかに気がついたようにぴくりとまぶたを動かして、手を伸ばしてきた。いかにも品のいい指先は額に近づいてくる。ルークは思わず身を固くして目をつぶり、首をすくめた。

 「あ、」と皇太子の静かな声がした。「すまない。ただ、額が赤いように見えて……」

 「あ、いや……問題ない、大丈夫だ」自分の額に指先をあてながら、ルークは自分の心臓がどきどきと騒いでいるのを聞いていた。体が熱い。怖いのか?——いや、違う、怖くはない——……。せっかく答えが出たのに、またすぐに新しい疑問が湧いた。

 怖くないなら、なんだっていうんだ?……——。

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