第38話

 その後、少女を村まで送る。そしてボンヤリと境内内に腰をかける。そのまま道通様は頬に手をついて考える。


 やはり、買い被りすぎだ。そう感じる。

 自分はいつも人を傷つけてばかり。誰かを守るために力など使ったことなかった。だからこそ信仰を失ってしまったのだろう。


「フホホ。全く。我の敷地でそんな顔をして実に迷惑だ」


 と後ろの方から声が聞こえる。道通様は振り返る。そこには、女性が立っていた。

 その女性は道通様と同い年ぐらいであろう。ただ身長は道通様よりも小柄であるため、その分幼くも見える。


 髪は金色。目も黄金色をしている。肌は白く、そのせいでより一層、その金色の要素というものが輝いているように見えてしまう。


「稲荷神」


 その少女はこの神社に住む稲荷神である。性格に言えば、この神社の眷属である。しかしその力は神と同等であるため、実質的な神となっている。


「おうよ。どうした。そんな顔をして。時代遅れの蛇神様よ」


「うるさいな。一応言うが、今でも俺様が本気を出せばイチコロなんだからな。お前は」


「おう。それじゃ、やってみるか」


 そして稲荷神は手に炎を灯した。


「やらねーよ」


「なんだ。珍しい」


「俺様は暴力と面倒臭いことが嫌いなんだ」


「ハハハ。主も随分と面白くない冗談を言うようになった。主は素戔嗚様にも負けないぐらい暴力が大好きな神じゃないか」


「うるせぇな。別に暴力好きじゃねーよ」


「ワシは主に何度も殴られたぞ」


 それを言われてしばらく道通様は黙り込んでしまう。それは事実であった。道通様と稲荷神は何度も寝床を巡り、喧嘩をしている。いくら道通様が零落してしまったとはいえ、力の差というのはそこまでなく、いつも五分の戦いをしている。


「うるせぇな。昔の俺様と今の俺様は性格が違うんだ」


「ほんの数日前まで、暴力的だった癖に。何を」


「うるさいなぁ」


「おっ、怒った。どうだ。やるか?」


「だから、やらねーよ。ふざけるな」


「何だ、何だ。つまらない。その気になればワシは主をぶち殺す事できるのに」


「あぁ、ハイハイ。そうですね。あなたは強いですね。最強ですね。参りましたよ」


 稲荷神はため息を吐いた。


「それにしても、主は良からぬことを考えているんじゃないよな」


「良からぬことってなんだよ」


「そうだな。例えば、あの少女の為に村人に仕返しをしてやろうとか」


「何だよ。いけないことかよ」


「当たり前だ。行けないことに決まっているだろ」


「どうして?」


「いいか。まず、主が生まれてきた瞬間のことを覚えているか?」


 そう言われて、道通様は自分の過去を振り返る。


「記憶ないだろ」


 稲荷神の言う通りである。

 道通様は親の顔を見たことがない。気づいたら、あの屋敷に住んでいた。そこで住む、食べる、服を着る。それらの行為を誰かから教わったなどという物はなかった。自然とそのような行為をしていた。


 自分が子供だった頃の記憶もない。


「一応、ワシの方が主よりも後輩らしい。だけれども主はワシとどのように知り合ったのか。覚えていないだろ」


「うん……まぁ、そうだけれどもさ」


「そんなの当たり前さ。ワシや主の産みの親は誰か知っているか?」


「それは……イザナミ様とかイザナギ様とか?」


「違う、違う。もっと、もっと上の存在がいる」


「もっと上の存在? 宇宙を作った人だとかそういった話?」


「あぁ、ある意味そうだ。そもそも誰が宇宙と名前をつけた? 誰が神様という区分を作った?」


「それは……人間が」


「正解だ。そういったものを作ったのは人間だ。人間というものがいるから、神様という言葉がある」


「つまりそれだと俺たちの親は人間だということになるじゃねーかよ」


「そうだ。正解だ。主やワシの親は人間だ。人間がいるからワシらが存在する」


「ちょっと待って。それだと俺様たちの存在は一体何だというんだ」


「概念だよ」


「概念?」


「そう。ワシらは人間の思考によって作り出された概念さ」


「何だよ。それ。つまり俺様たちは人間によって作られている。その人間に存在を忘れられたら死ぬということか?」


「そうだよ」


「なっ」


「事実として、今この世にいる神様や妖怪、その全てはちゃんと名前がつけられている。名無しの物体なんてないんだ。それは何故か。名前のないものは概念として死んでしまっているからさ。もしかしたら、もっと昔にはもっと色々な神様がいたかもしれない。ダンゴムシが一級神様だったかもしれない。だけれども、それを知っている人はいない。だって、そういう概念が今は存在しないもの」


「そんな」


「つまり。もし長生きをしたければ、人間の記憶に残り続けなければ行けない。もし人間様がワシらの存在を忘れてしまったら……その時。ワシらの人生が終わるんだよ」


「だけれども、人間の記憶に残り続ければ」


「それは多分ずっと生き残り続けるよ」


 道通様は別に長生きをしたいだとかそんなことは考えていない。だけれどもその時。漠然とした不安が彼女を襲った。神様の死とは一体何か。思えば、道通様は神様の死体を見たことなどなかった。また自分が死にそうになるとかそう思ったことなどない。この命が永遠のものとばかり考えていた。


 もし、自分がこの世から消えたら、一体どうなるのだろうか。


「とにかく、ワシらの生命力というのは、簡単に言えば人間の信仰力だ。だからこそ、人間を攻撃してはならない」


「どうして」


「人間を攻撃をすることで、そいつらの信仰がなくなる。そしてワシらは妖怪に零落する。それだけならまだいい。その伝承が何世代にも広がるなんて稀だ」


「いや、そんなことない。だって八岐大蛇とか今でもちゃんと伝承に残っているじゃないか」


「残っている。だけれども神様や妖怪は増えすぎた。これからはもう減っていくしかないんだよ」


「だから何故」


「世界の風を感じてみろ。主がもらったお菓子をみろ。それは元々我が国にあったものか? 違うだろ。オランダという国から影響を受けたものだろ。遠い国はじっと我が国を見ている。いずれはどこか遠い国がこちらへやってくるだろう。そうなると新しい文化が入ってくる。そうすると、ワシら古い伝統が邪魔になってくるのさ」


「そんな。ずっと何百年も続いてきた伝統が途切れるなんて」


「簡単に途切れるよ。伝統なんてそんなものさ」


「そんなもの?」


「そうさ。人間は常に時代の波に乗ることに必死何だよ。常に恒常性の中から外へ外へと出ようとしている。そして新たな幸福を求めている」


「新たな幸福だぁ? そんなもの、あるわけないだろ。幸福を見つけるなんて砂場から金を見つけることよりも難しいのに」


「そうだよ。人間は愚かなんだよ。生きているだけで幸福なんていうことを誰も気づかない。知らない。だからもっと、もっと新しい幸福を見つけようとする。その結果、今までの神様なんてすぐに忘れてしまう。いつもそんなことを繰り返している」


「そんなの、バカじゃねーか」


「そう。馬鹿なんだよ。そして新しい時代の神が生まれれば古い神は必要なくなる。そうしたらその神は記憶の外に追い出されるのさ」


「つまりそれが俺様たちの……」


「死だよ」


「……そうか。そしてもう一つ。聞きたいことがある」


「何だい。ワシが分かる範囲でなら色々と教えてやる」


「あぁ。どうして、アイツは差別をされるんだ」


「アイツというと……」


「弥生だよ。聞けば弥生家は地域貢献のためにこの町に戻ってきたらしいじゃねぇか。素晴らしい動機じゃねーか。それなのに」


「だからこそじゃ。そもそもどうしてここの先住民が追い出されたのか知っているか」


「それはここら辺の村の富を自分のものにするため」


「そう。そしてどうして富を独り占めしようとしたのか知っているか?」


「それは生きるため?」


「うん。それも一つある。だけれども本当の理由は、この世の幸運の数には限界がある。そう人々が信じるようになったからだ」


「それってどういうことだ?」


「例えば、人間というのは生きていると絶対に不幸だと思う瞬間が出てくる。または幸運と思う瞬間も出てくるだろう。そして人間というのは無意識にその不幸の瞬間も、幸運の瞬間も限界があると考えている。ずっと昔から幸せの最大値というのは上限があり、それを平等に分配されていると考えている。その中で1人。突出したお金持ちが現れるとする。そうなると、この世に平等に配られているはずの幸運が1人の人に行き渡ったと考える。そうなるとけしからん。そう思うわけ。そしてその人から富を奪い返そうとする。その現象が所謂、村八分と呼ばれる現象」


「つまり……お金持ちである理由は、自分達の努力ではなくて、他者から奪っていると」


「そう。特に、ゲドーなどの憑き物に命令をして他人から富を奪っている。そのように考えてしまう」


「そんな馬鹿な話」


「勿論、江戸時代になって未だにそのような非科学的物体が富を奪うなど考えている人は少ないさ。というかもしかすれば、そう考えている人は誰もいないかもしれない」


「それじゃさ、どうしてこの世にはまだそのような差別がある。それがなくなったりしない」


「それは、人間というのは理由を作るのが好きだからだよ」


「理由を作る?」


「そう。例えば、自分は何やってもうまく行かない。そのような人がいるとする。そこで、我が身の行動を振り返って、もう色々と解決しようとしてくれる人がいるのならそれで問題ない。だけれども残念なことに、この地球の人間は全員そういうわけではない。中には原因を自分だと思っていない人だっている。その時に、誰のせいにするか。それは非科学的なもののせいにするのさ。例えば妖怪が取り憑いているとか。そんな感じで」


「そんなアホなこと」


「あぁ。さらにこれが村全体で不作だとかそんな風になる。そうするとみんな妖怪や憑き物のせいで不作だと考える。そして1人がそれを違うと思っているとする。だけれども江戸時代の村社会というのは強固である。例え、違うと言ってもそれを口に出すことは出来ない。もし口に出してしまったら自分が憑き物使いと思われ、そして差別対象になるからね。そうやって普通の考えの人も洗脳されていく。そしてやがて、その人も悪いのは憑き物だと考えるようになるのさ」


「馬鹿げている」


「馬鹿げている。だけれどもそれがこの世界の真実さ」


「それでもしアイツが貧乏になったら、結局憑き物は何もなかった。そんな感じで結末を迎えることができるのか」


「それは無理だよ」


「どうして」


「むしろ、やはり今まで金持ちだったのは憑き物のせいだったのか。そう考えるようになる。今までの実力は自分達のものではなく、ただ憑き物がついていた。だから、こんな短い期間だけ富を得ていた。そう考えるようになる」


「それじゃ、憑き物筋は一生差別されるのか」


「いや、方法はある。ううん。それはあまりにも馬鹿馬鹿しい」


「何だよ。方法があるのなら言えよ」


「それはやってはいけないこと何だ」


「何だよ」


「いや、ワシは主に教えるわけにはいかない」


「教えろよ」


「いやじゃ」


 そしてしばらく稲荷神は黙り込んだ。その間、道通様は怒りに燃えていた。そんな理不尽な差別、許せるわけない。そう考える。そして、


「分かったよ。とにかくその人間をボコボコにすればいいんだろ」


「なっ、どうしてそうなる」


「結局は差別する人に痛い目を合わせないと行けないだろ」


「だからと言って、そんなことをしたらより一層その弥生という少女に対しての差別が酷くなるだけだろ」


「それじゃ、その差別をする人を片っ端から殴り続ければいい。口を聞けなくすればいい」


「だからそんなことをしても」


「そんなことをしても何だ。恐らくあのままだと、弥生は殺されるぞ。だからこの俺様が」


「アホなことを言うな!」


「アホなこととは何だ」


「主はいつもそうじゃ。すぐに暴力で解決しようとする。力で何とかしようとする」


「何だ。力で何とかするのは悪いことか」


「悪いことに決まっている。少なくとも主の力の使い方は間違っている」


「何だよ。それでも知らん。俺は力を使う。ここで力を使わなければ一体何のためにそれを持っているんだと言う話になるからな」


 それじゃ、俺様は行くよ。

 そして道通様はそのまま夜道を走り出した。ポツンと稲荷神だけその場に取り残される。


「バカ……」


 稲荷神は空を見上げた。月は赤い。煌々と輝いている。だけれどもその右の方から分厚い雲が徐々にこちらの方へ向かっている。そしてその雲がより一層、この世界を闇に包もうとしている。

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