第37話

 それからしばらくして。お天道様は機嫌をよくしたようで、すぐに雲はどこかへ消え去った。それどころか、現在は雲一つないすっきりとした青空に変わっていた。

 ドライヤーなどの便利なものがないこの時代。いくら井戸水で体を洗い直したといえ、体を乾かすには太陽の力が必要なもので。太陽の日差しを浴びて、髪は乾いていく。


 服は道通様のものを貸した。そして少女が持っていた服はそのまま道通様の庭に干す。次くるときに取りに来い。彼女はそういった。


 今日も心配だから村まで少女を送り届けた。そして


「ここまでいいです」


 と少女は言う。

 心配ではあったが、道通様はその途中で少女と別れた。そして自分の敷地に戻り、あのアザのことを考えた。


 決して親から暴行を受けているわけではない。多分それは嘘ではない。本当のことだろう。村人から受けていると言っていた。


 あんな子供がそんな大人に嫌われるわけなさそうである。だけれども一つ心当たりがある。


 それはあの少女が裕福であると言うこと。ここ周辺。お金を持っている人たちをみんな憑き物がついていると考えている。特にトビヒョウというものについていると。それが他の人から富を奪っている。そのように考えているらしい。


 そんな馬鹿な話あるか。とそう思うのだが、そんな馬鹿な話があるのだ。


 だからあの少女もきっと。


 そしてその次の日。少女は変わらず道通様に会いにきた。


「ここの神様はお菓子が好きらしいので、持ってきました」


 と。

 道通様は目を大きく見開いた。

 その少女の服が明らかに乱れている。あれほど綺麗な身ごなしだったのに、今ではボロボロに敗れた随分と水ぼらしい姿だ。


「お前……その姿」


「あぁ、この姿。大丈夫です。他の人もこんな感じなので。他の人と一緒になっただけです」


 と。そんな馬鹿な話があるか。

 明らかに村人に、故意的に破られているのではないか。


「お前……大丈夫なわけないだろ」


「いいえ。大丈夫ですよ。お金持ちである私が悪いわけで」


「だからそんなわけないだろ」


「いえ、そうです。悪いのは私で」


「だから! 正直に言えよ!」


「あぁ、もう! そうですよ!」


 と彼女は急に慟哭を上げた。それは山の天気のようであった。少女の頬からは一雫の涙がこぼれ落ちている。


「どうして私たちがこんな差別を受けるのですか! 金儲けがそんな悪いことですか! その設けた金でちゃんと地域に分配しているのにどうして妬むのですか! トビヒョウ様って何? 憑き物って何? 別に私たちは神様に対して相手に富を奪えとか言った覚えがない。私たちの神様はそんなことをするはずがない!」


 そう言った後、彼女はすっきりしたような表情をした。涙を手で拭う。そして、笑みを作った。


「すみません。今のは忘れてください」


「おい。お前、そんなこと」


「いえ、忘れてください」


 強い口調で言われる。それに対して、道通様は黙り込むしかなかった。


「大丈夫ですよ。私はこんなんだけれども。決して、負けはしない。私には蛇神様がいるのだから」


「やめろよ」


 やめろよ。そんな自分を信じることは。と思う。

 ほんの少し前までは、人間にを傷つけようとしていた。そこで快楽を得ようとしていた。そんな神だ。みんなが思っているほど綺麗な神ではない。むしろ、現代の人々の言葉では自分のような存在を鬼という。そう道通様は思う。


 時々、湖面で自らの顔を見る。その度に道通様は怖かった。自分の頭の上に、一つの角が生えてきそうで。いつか本当の鬼になってしまいそうで。


 例えば、素戔嗚が倒したと言われている八岐大蛇という化け物だって、元々は道通様と同じような存在である。その神はほんの少しだけ魔が差した。悪さをしてしまっただけである。だけれどもそれは現代でも立派な化け物として扱われるようになってしまった。もし、八岐大蛇が倒されていなかったら。きっと自分も、天照大神と同じような、いやそこまで行かなくても稲荷神と同じぐらいの立ち位置にいたのかもしれない。


 ううん。まだ八岐大蛇はマシな部類なのだ。だって、ちゃんと名前が残っているのだから。この世には名前すらも残さなかった化け物だっている。そう。名前さえ覚えてくれる人がいれば。信じてくれる人さえいれば。神様は生きていける。


 そして道通様が今日まで生きているのは。この少女がいたからである。こんな自分でも信じてくれる人がいたからである。だからその少女に対して何か恩返しをしなければいけない。そう考える。


 しかし、自分は何も出来ない。こんな何も出来ない神を信じる意味なんてきっとないはずだ。


「ここの神はきっとそんな大したものではないよ」


「そんなことないですよ」


 即答だ。


「きっとここに神は他の誰よりも私のことを見ていますよ」


 そしてそういった。

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