第36話
それから、弥生は村へ帰った。流石に1人でこの夜道を返すのは危ない。そう思って、道通様は家まで送り届けに行く。その道中、京の話をした。そこは今よりも随分と文明が発展しているらしい。だけれども文明の話をされても、道通様には分からない。
美味しい食べ物がたくさんある。そちらの方が少し気になった。
八橋検校という人が、ご飯に蜂蜜、シナモンを加えてそれを煎餅にしたお菓子があるというらしい。それが甘くて美味しいとのこと。現在ではそのお菓子を八橋と呼んでいる。などとそのような話を聞いた。
ぜひ、それは食べてみたいものだと。道通様はいった。
そしてしばらくして家にたどり着く。道通様は帰路に着いた。行きは30分ぐらいかかった。しかしそれは彼女の歩く速さに合わせたから。道通様1人であれば5分もかからない道のりである。
そして、お供えものであるお酒を眺める。道通様はお酒などというものを飲んだことがなかった。しかしここら辺のお酒。伊丹のお酒は日本国内でも屈指なもの。そのようには聞いている。
どんな味がするのだろうか。
そしてその瓶を開ける。そのまま、それを口につける。
まず、苦い棘が道通様の舌を刺激した。その後にその棘は喉に通過する。川の中に浮かびかがる水銀を飲んだ時と同じような感覚であった。
その次にガンッとハンマーで頭を叩かれたような衝撃が走る。かと思ったら世界が一気に周り始める。グルグルと。自分が公転の主軸になっている。そのような感覚があった。
美味しくはない。明らかなか毒である。こんなもの、とても飲めたものではない。
これを人間は金を払って好き好んで飲んでいるというのだから、道通様は理解に苦しむ。こんなものを飲むぐらいなら近所の川の水を飲んだ方が数倍にもマシである。そうとも思う。
これを地面に流してしまおうか。そう思った。しかしそれは出来なかった。折角、自分を信じてくれる人が好意で持ってきてくれたものだ。それを地面に流すなどそれは不敬すぎる。
だからしょうがなく、彼女は意を決してもう一口飲んだ。やはり美味しくはない。吐き気がする。まさか人間がここまでドMだとは思わなかった。
そして瓶の残りを見る。三分の二も減っていない。これは参った。
もっと、減らさなければならない。こんなのだといつまで経っても減らない。
もう一気に行くか。そう思って、彼女はゴクゴクと喉を快音鳴らした。
確かに。一気にお酒を飲むと、その苦味の中に若干の甘みというものが感じられ、その甘みがいい具合に脳を刺激してくれるようなそんな気がした。
そしてい心臓が熱くなる。内から炎が燃えているようだ。その炎は喉を通り顔まで熱くする。
「アハハハ」
何だが楽しい気分になった。
そのまま彼女は横になる。上を向く。何千もの流れ星が空の上を走っている。そのように見えた。そして視界はだんだん、灰色になって……
そのまま道通様は昏睡した。
次に目を覚ました時はセミが鳴いている時であった。ただし、決して晴天というわけではない。空を見上げると分厚い雲がいくつも重なっていた。これはきっとすぐに雨が降る。鳥だって低く飛んでいる。
それでも涼しいというわけではない。むしろムシムシとしていた。湿度が上がり、まるでサウナのような状態になっていた。このような気温でこんな山道を歩くなど体力のある子供といえ、大変だろう。だかなきっと今日は来ない。来るはずなどない。そう思っていた。
しかし、太陽が一番高く上がったその時。つまり正午。ガサガサとそんな音がした。
そして。
「あら、今日もいたの?」
と。
弥生はその日も来た。
「髪、すごくボサボサだよ」
そうだ。普段はすぐ近くの小屋で入る。お風呂だってちゃんと入る。道通様は一応近代的な人間文明の中でちゃんと生きている。決して野生児というわけではなかった。
だけれども、今日は違う。あのお酒のせいで。あの毒のせいで、身動きを取れなくなってしまった。そして彼女の手には再び、その毒を持っていた。
そしてそれをトンっと社の前に置く。
「あのさ……」
「何?」
「ここの神様はきっとお酒嫌いだと思うんだ」
「そうなの?」
そうである。きっととかではなく、嫌いなのである。
と言っても、こんな浮浪者みたいな人の言葉を、この少女は信じてくれるのだろうか。
「そっか。それなら次はお菓子でも持ってこようかしら」
「おう」
……随分と物分かりのいい少女である。
などと話しているうちに雲がまた一層と重なり合う。恐らく正午である。そのはずなのに、一寸先すらも見えないほど暗くなっていく。
遠くの方からゴロゴロと雷がなっている。
そして一粒。大玉の粒が道通様の頬に伝わる。その粒が天の底を抜いたのだろうか。それを合図に、一気にダーっと雨が降ってきた。
「雨だ」
あれほど、綺麗に整えらえた少女の髪もこの一瞬の雨によって、水ぼらしいものになった。
このまま、山道に帰すのは危険すぎる。あの細い道。高くそびえる木々は避雷針の集まりだ。事実、今年に入ってから数回ほどあの木に雷が当たった。その時はここ周辺も地震かと間違えるほど、激しく揺れた。
「こっちに来い」
道通様は少女の手を引く。そして近くにあった小屋へ案内をした。
そして、そのまま、風呂場へと案内した。そこは木の囲いでできた風呂である。少女2人分であれば優に入れると思われる。
「すごい。家に風呂場があるなんて」
と少女は驚いていた。
そういえば、江戸などでは火事を防止するために風呂場の設置などは禁止である。そのようなことを聞いたことがある。だから公衆浴場というものが賑いを見せているようだが。
それから少女は服を脱いだ。
その姿を見て驚いた。
背中の部分。たくさんのアザがある。それも、人工的なアザ。誰かに殴られたようなものである。
道通様はゆっくりと少女の方へ近づく。そしてそのアザを触れる。すると
「イタッ」
とそんな声を出した。
「親に暴力をふるわれているのか?」
でなければこのようなアザなど出来るはずがない。しかし少女は首を降ってすぐに否定した。
「いいや。そんなことないです。私は誰よりも父上や母上に愛情を持って育てられています」
「それじゃ、そのアザは?」
「これは……その。転んでできたアザです」
嘘をつけ。そう思う。
丸く浮かび上がるアザは誰かに殴られないとつかないものだ。
「嘘をつけ」
「嘘ではないですよ」
「あのな……別に俺様ぐらいなら正直に言ってもいいんだぞ。そのアザ、誰によってつけられた」
しばらくだまりこんだ後。
「見知らぬ村人にです」
と。彼女は静かにそう言った。
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