第35話

結局あの侍さん2人は死んだやらしい。1人は帰りの山道で崖から落ちて。もう1人は、無事に帰路へ着いたが、その後精神的ショックで。

 弱い、弱すぎる。道通様はそう思う。


 まさか、あれごときで、死ぬとは。確かに蛇は執着がかなり強い生き物である。しかしそいつらを調伏でも出来れば、簡単に対処できるものだと思うのだが。


 そしてそれから、道通様の神社では妙な噂が聞こえるようになる。それは、ここの絵馬は縁切り絵馬だということ。ここの神社では嫌いな人の名前を書くとその人と縁切りすることが出来ると。

 そのせいで、この神社は今かなり盛り上がっている。朝から夕方まで参拝客が途絶えなくなった。隣の稲荷神社が。


 結局道通様の神社はあれから何も変化していない。参拝客が増えたというわけでもない。誰かが、道通様の神社に榊、一本変えてくれるわけでもない。いつも通りの寂れた神社である。いや、神社かどうか分からない。


 どうしてこんな急に隣の稲荷神社がこんなに流行してしまったのか。それはこの間の侍殺害事件が関与していた。


 そもそもあの侍たちは代官職についていた。

 今のお殿様に代わってからこの藩。当時は昆陽藩と言っていたが。それの税金の取り立てが随分と厳しくなった。この時代の税金とは所謂年貢でお米のことである。お金などであれば、まだ支払いが楽である。何故なら、お金というのは不変価値のものであるから。


 確かに、ハイパーインフレとかで例外的にお金の価値が変動することがある。しかし1円は1円のままである。価値が変動するのは物体の方である。元々300円と価値を決めていたものが330円になったりすることがある。それはお金の価値が変化したのではなく、物体の価値が30円上がっただけである。


 そしてお米はその変動する物体の方である。

 豊作が続いた時も、不作が続いた時も取り立ての数は変わらない。豊作の時であれば問題ない。不作の時。その時でもお米の取り立て数というものは変化がない。だから、自分の食糧分すら取られてしまう。それも問答無用に。


 通常であれば、豊作の時にお米をある程度蓄えている。だから不作の時にそのお米が百姓などに支給される。そんな仕組みがある。はずである。しかし、その仕組みというのは破綻していた。


 全て、武士や奉行などのお偉いさんの懐に入ってしまう。その結果、結局。百姓は貧困のまま。


 それでは百姓一揆をすればよい。そう考えるだろう。確かに、違う地方ではそのようなことがあると聞く。しかし、このような弱小藩の百姓が一揆をしたところで、すぐに返り討ちされてしまう。


 昆陽藩には遠行奉行というものが置かれている。それは町奉行、つまり江戸の老中などに繋がっている。だからこのような一揆を起こしてしまったらすぐ様、江戸から応援が駆けつけられてしまう。


 昆陽藩の武士ですら集団で戦って勝てるかの五分。江戸からの武士が来てしまえば、裸で山道を散歩するようなもので。通常であれば勝てない。

 そんな負け戦を百姓がするはずない。百姓は決して死にたくて一揆をしているわけではない。生きるために一揆をする。ここで死んでしまったら本末転倒である。


 だから、誰もお役所に逆らうことが出来なかった。

 そのうち。1人が、年貢の引き下げか給付を訴えた者があった。それがこの間、身体中に仇を作っていた人であった。しかしそれはその代官様からしたら無礼だと感じた。だからあのように痛めつけた。


 この時代には喧嘩両成敗という言葉がある。つまり喧嘩をした方も、ふっかけた方もどちらも罪を負わなければいけない。しかし、その言葉が通用するのは江戸だけである。


 江戸から遠く離れたこの土地では、しかも昆陽藩のような小さな場所では、小さな諍いなどはもみ消されてしまう。そしてその情報が江戸まで入ることはない。

 つまりはこのように代官様のやりたい放題になることがある。


 直接訴えることが出来ない。それならどうすればいいか。

 神頼みである。神様による裁きを期待するしかない。それは実に馬鹿馬鹿しい話である。そう思うかもしれない。しかし何も対策が出来ないこの時代ではそれが1番の期待出来る話であった。


 この時代は平安時代などと比べても随分と文明というものが発展している。科学だって発展している。この時代、妖怪などを信じるものは実のところいない。もう迷信みたいな扱いになっている。


 だからこんな小さな村でも、そんなこと起こるはずなどない。それは知っている。だけれども祈るしかなかった。そして……

 そこの絵馬に書いている2人が本当に死んだとしたら。

 ここの絵馬の信憑性が上がるだろう。


 その結果、その絵馬の評判が上がり、今度は私も、私もとここの絵馬は評判になっていった。


 1日で数十枚の絵馬がそこに貼られる。それは、彼女からしてみれば迷惑な話である。

 折角俗世が離れてのんびり過ごしていたのに。変なことで評判になって盛り上がるなんて。


 それにしても……道通様は驚愕した。

 絵馬は何十枚、何百枚とある。人はこれほど、さまざまな人に恨みを持っているとは。これは恐らく後数年経っても変わることないだろう。この絵馬というものが、電子的な掲示板というものに姿を変えて、誹謗中傷をする役割を引き受けるだろう。


 その絵馬に書いている名前というのは有名人ばかりである。中には徳川家という恐ろしいことを書いている人だっているものだ。


 さらに、絵馬には願い事の横に名前を書かなければならない。いや、正直神様である道通様からしてみれば別に名前など不必要なのだが。ともあれ、それが慣習となっている。しかし、その絵馬の横が書いてありその上を黒く塗りつぶしていた。


 名前がバレたら返り討ちに合うからである。呪いというのはそう言ったものである。呪えば穴二つ。呪いをかけた人の姿が見えてしまったら、その呪いというのは跳ね返されてしまう。だから昔から呪術者というのはひっそりと活動していた。


 ともあれ、この呪いの絵馬の力が本当だと信じる人が増えた。その結果、この神社の参拝客は増えた。これは皮肉なものである。


 そして道通様は思う。今度はどんな人に罰を与えようかなと。


 この間の騒乱で一つ、道通様は快感を覚えた。真夏に冷たいシャワーを浴びたようなそのような気持ちよさがあった。最近は人間がここにこなかった。だから暴れることが中々出来なかった。


 しかし昨日は本当にいい運動になったと思う。

 その証拠にあの蛇たちの目も、いつも以上にキラキラと輝いてた……ように見える。

 やはり偶に暴れないとダメだ。運動不足になってしまう。


 だから深夜。こうやって絵馬を見つめて次のターゲットを決めようとする。

 選び放題だ。


「ダメですよ」


 とそうやって絵馬を選んでいる最中。後ろからそのような少女の声が聞こえる。

 振り返る。


 その少女。子供であった。

 絵馬が吊り下げられている最上段までは手が届かなそうなぐらいに小さい。


 しかし来ている服は皺一つない立派な呉服である。また背丈もきちんとあっている。この時代にこれだけきっちりと綺麗に服を着こなす人がいるのは珍しい。


 というのも、この時代の服というのはリサイクルというのが主流である。何世代も同じ服を着回す。破れたところを補修する。そうやって如何にお金をかけずに衣服を手に入れるか。それが一般的である。また子供の成長スピードは早い。そのせいで、服の新調に間に合わない。そのようなことはよく起こる。だから町中の子供たちは丈の短い服をよく着ている。


 つまりこれほど綺麗な服を着ている彼女は富裕層の可能性が高い。


 そのような子供がこのような場所に。


「なんだ、テメェ。テメェもこの絵馬に名前を書きに来たのか?」


「いやいや。その逆です。この絵馬を壊しに来たのです」


「壊しに来ただぁ?」


「はい。私ね、こんなこと間違っていると思うのです」


 そして彼女は絵馬を一枚、手に取る。


「こんな汚れ仕事を神様にさせてはいけません。というより人が人を恨んではいけないのです」


「ケッ」


 子供特有の綺麗事。歯痒かった。


「私だって嫌いな人がいます。苦手な人もいます。だけれども。だからと言って、呪いで人を殺すのは間違っています。死んでしまえば、話し合いで解決が出来なくなるじゃないですか」


 ねっ。

 満面の笑みで彼女はそういう。


「あっ、そういえば。こっちへ来てください」


 そうしてその少女は踵を返して走り出した。道通様はしょうがなくこちらへ走り出す。

 道通様は子供が苦手である。社会を知らなさすぎる。純粋無垢である。今まで汚い大人たちの、汚い願いばかりを見ていた彼女からしてみれば、その彼女はあまりにも眩しかった。


 鏡で見ると世界が数倍明るく見える。そしてその世界が嘘だったりする。それと同じように、その彼女のキラキラと輝いている世界も嘘なのではないか。そう考えてしまう。


 そして彼女の後をついていく。そして驚いた。

 その場所は道通様の祀っている神社。もとい、石の塊だった。一体自分の敷地に何の用事があるというんだ。


 そこに一つ。手元からお酒を取り出しておいた。


「おい、何をしているんだ」


 と道通様は訪ねた。すると、その少女は


「何って祀っているのですよ」


「祀っている……だと?」


「はい。ここはちゃんとした神社何ですよ」


 そんなものは知っている。道通様本人がその祀られている張本人なのだから。

 彼女は驚いたのだ。まだこの時代、自分のことをこうやって覚えている人がいるということに。それも随分と小さい人間に。


「そこでどんな神が祀られているのか、知らないくせに」


「何を。ちゃんと知っています。ここには道通様という蛇神が祀られているのです」


 そして彼女は語る。


 あのね。昔、昔。ここら辺には大きな一匹の蛇がいたのです。その蛇は姿が大きくてどちらかと言えば、竜……みたいな感じだったかもしれません。ともあれ、人を、いやそれどころか熊すらも余裕で飲み干してしまうのではないかと思うぐらい大きな蛇がいたのです。


 だけれども、その当時の人はその竜に対して恐れたりすることはなかったのです。それどころか友達のように接しました。食事だって与えました。その食事は人間にとって大事なものです。しかし不作の時でも村の人たちはみんなで協力してその蛇に食事を与え続けました。


 蛇もただで食事をするのは申し訳ないと思うようになりました。だから、その村の人たちが幸せになるように雨を降らしたりした。その結果、この村はずっと、ずっと農作物が安定するようになりました。


 この村は農作物が取れる。そんな噂を隣の村の人が聞きました。その隣の村はずっと干魃やらでずっと不作が続いていたのです。だから、この村へ移住してくる人が増えました。

 その際、今住んでいる人たちを迫害して村の外へ追い出しました。


 最初からいた村人たちは、お金持ちだったので、1人、また1人と京の方へ行きました。その結果、この村に元々いた人たちはいなくなるのです。

 そして新しく来た村人は、その蛇に餌など与えなかったのです。それどころか、新しく狐を神様と祀りました。その結果、蛇の神社は壊されました。


 それを悲しく思い、蛇は嘆きました。その涙が大雨になり、この村は洪水で沈んでしまいました。その原因を村人は蛇のせいにしたのです。そしてみんなで蛇を退治しました。


 その蛇は結局、この村を去ろうとしました。

 しかし、それでもこの蛇はここを離れることは出来なかったのです。この村で元々いた村人と一緒にいた楽しいあの日々をどうしても忘られなかったのです。だから、ここの神様はいつだってその村人がここに戻ってきてくれるのを待っているのです。


「そんな感じの話です」


 道通様は驚いた。


「どうです?」


 大体その通り……なのかもしれない。

 どうして自分がこんな小さな村にずっと残り続けるのか。それは待っている。また自分を信じてくれる人がここに帰ってきてくれるということを。自分のことを思い出してくれる人がここに帰ってきてくれるということを。


「まぁ、いい話だな」


「そうでしょう。そして、あのね。私の祖先はずっと前。この村に住んでいたのです」


「ということは」


「私は蛇神様のお陰で幸せですよということを伝えに来たのです」


 その少女の親は岡田与吉の娘の弥生というらしい。

 そしてその岡田与吉は、岡田屋という菓子屋を営んでいる。その岡田屋というのは味などの評判が良くて、大店として扱わられている。地元では知らない人はいないぐらいの富豪である。


 岡田家は富豪になった理由はこの村の蛇のお陰だということで、そのお礼としてここに住むことにした。特に与吉はこの場所に蛇が祀られているというのは知っていた。だけれども、彼は足などを負傷しており、どうしてもここまで来れない。だからその娘にお願いをし、お供えものを持ってきたらしい。


「だからこうやって感謝を伝えに来たのです」


「そうか」

「そうです。だから私はこんな縁切りの神様だとか、暴れ神だとか道通様がそのように扱われるのが嫌だなのです」


「そうだな。それは間違っていたな。それじゃ、いくぞ」


「いくって。どこへ」


「絵馬を壊しにさ」


 そして道通さまたちは絵馬のところへ向かった。そのまま次から次へとその絵馬を半分に割っていく。

 暇つぶしに暴れようとしていた自分が恥ずかしかった。

 今でもこうやって信じてくれる人がいるのであれば、その人の為に清くいたい。そんなことを考えた。

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