第31話
イツたちが大社北高校に入学してから数週間という歳月が経った。とは言っても、まだ通常クラスで授業など受けていない。大社北高校の奥にある別校でノエと授業を受けている。
また授業といっても、数学だとか国語とかそういった内容ではない。人間とは何か。そういったものの授業である。
これはノエの配慮である。突然、大社北高校の一般生徒に入学しても、イツたちもそして相手の生徒たちも困惑する。特にヨルやイツなどは人間というものに対して良い感情を抱いていない。そのような状況で大社北高校に進学しても、存在が浮くだけ。下手をすればヨルなどは人間に危害を加えてしまう可能性だってある。
もしそのようなことが発生してしまったら、折角、人間界に馴染ませるために色々と考案したノエの活動が全て水の泡となる。そうならないために慎重に活動をしていた。
だからイツたちは、まだ人間の知り合いというものがほとんどいなかった。
この別校は、大社北高校の裏山にあり、なおかつ特定の許可をもらった人しか入れないので、この敷地に入ってくる人間もいなかった。
ただ1人。木船ハレを除いて。
その木船別校の廊下でボンヤリ立っていた。その姿を気づいて、イツは声をかける。
「あっ、いえ。その。ちょっと願い事があるというか」
「願い事?」
と首を傾げた。
ハレというのは他の人間と比べて随分と欲の薄い人間である。神社に行っても自分の願い事などは一切しない。神様への感謝を述べるだけである。そのハレが願い事あると言っている。これは余程、大事な願い事であろう。と思う。
「はい。その……どうしても晴れにして欲しい日がありまして」
「晴れにして欲しい日?」
「はい。不敬な願いなのは分かっています。だけれどもどうしても」
と言われた。
イツやヨル、美鶴は一応神である。だけれども雨を降らしたり、やませたりするようなことは出来なかった。
「それは難しいじゃないと思うよ」
と。それがイツの回答であった。
「例えばさ、受験に合格をしたいだとか、彼女が欲しいだとかさ。勿論、努力は必要だよ? 必要だけれども。そう言ったものって、個人的な願いだから聞くだけなら出来るのさ。だけれども雨はどうだろう。確かに雨が嫌いな人はいる。だけれども、その反面雨が降ることで喜ぶ人だっているわけなんだし」
「確かにそうかもしれませんね」
「そうそう。だから1人が雨を降らして欲しいからという願いは聞くことは出来ないと思うんだ」
「そっか。そうですよね」
と彼女はしょんぼり肩を落とした。
「それで、その晴れて欲しい日に何かあるの?」
と。イツは単純に興味があった。こんな自分の願いすらもしないような晴れが、どうしても晴れにして欲しいとは。一体それはどんな日なんだろうと。
「いや。その日は花火大会があるのです」
「花火大会?」
「そうです。花火大会。夜空にプワァーっとたくさんの花火が打ち上がるのです」
「へぇ。ハレはそう言ったものに興味があるんだ」
意外だった。ハレというのは基本的学校では1人で生活をしている。その詳細を聞いたことはない。ないのだけれども、恐らくハレには友達と呼べるような人というのは少ないだろう。そう考えると、花火とかそう言った人の集まるところには行かないようにも思えるのだが。
ハレは顔を赤らめた。
「馬鹿にしないでください。花火は興味があります」
「そうなの?」
「はい。だけれども行ったことないのです。人ごみはあまり好きじゃないので」
「やっぱり」
と思わずイツは言葉に出てしまった。
「やっぱりって何ですか」
「あっ、いや。それで?」
「はい。流石に私1人でそう言った人混みに行くのは無理です。疲れますし。だけれども今年は何かいけそうな気がするのです」
「ふーん。何で」
「それはあなたたちがいるからです」
「私たち?」
「そうです。あなたたちと一緒ならば花火大会に行けるような気がするのです」
と。
イツは困惑した。神社の夏祭りなどなら、知っている。開催しているのをみたことだってある。それですら人が多くて、いやだなと思っていた。
そこよりも人の多い花火大会。
正直に言えば、イツは行きたくなかった。というよりも行くのが怖かった。あれだけ人が密集しているところに自ら行くなんて。
それはきっとイツだけではない。ヨルなどはもっと深刻な拒否反応を示すかもしれない。
「一度、打ち上げ花火というものを見てみたいと思っていたのです。だから」
「だからと言われてもねぇ……」
人ごみが多い中で、打ち上げ花火を見る気にはやはりなれない。
行きたくないのだ。怖いのだ。人が、本当に。どうしようもなく。
「そう。やっぱり怖いんだよね」
思い出す。自分に耳目が集まるあの瞬間。無数の目。狐目、狼目。色々。一体何を言っているのだろうか。怖い、怖い。とにかく怖い。だから……。
人がいるところに行きたくないのだ。
「そんなの。私だって怖いです」
と。ハレは言った。よく見ると手が震えている。
「だけれども人生で一度は。どうしても行きたかったのです」
「行きたかった……」
「えぇ。そうです。私は昔からこんなんだからいつも一人ぼっちで、誰かとどこかへ行くということが出来なくて」
ハレは、いつもクラスでは1人で浮いているそうである。本当は友達が欲しい。そんなことはいつも考えてはいる。考えているのだけれども、どうも他人に話しかける勇気が湧いて来ない。
漫画のようなキラキラとした青春を夢見ているのだけれども。いつまで経ってもその時など来ない。
そんな時、ヨルなどに出会った。
不思議な感覚である。懐かしい感覚であったと。ハレは言う。
「まるであなたたちは普通の人間ではないような、そんな気がして」
南方熊楠は人間は純粋でなければならない。そう語っている。そうすれば、本来そこにないはずの異常が見えると。
恐らくこの人は純粋である。確かに、自分達のような神通力はないのかもしれないけれども。もしかしたら、それを簡単に超えるほどのトンデモない力を持っている。そしてその力でいずれ、この世界を救うことが出来るかもしれない。
「多分、初めてあったようなそんな感じがどうしてもしなくて。ずっと前からあっているような。そんな感じがして。だから、あなたたちとなら一緒に花火大会にいける。そんな気がして」
「そうなんだ。それで、その花火大会の花火。そんなに凄いものなの?」
「うん。凄いというものではないさ。こう、ドカーンと。それは綺麗なんだからさ」
と手を広げてそうアピールする。
「みたことないのに分かるの」
「いや、実は小さい頃に一度、この花火大会行った事があって。その時の記憶が不思議と残っているの」
「ふーん」
「そう。その日。本当は親と一緒にその花火大会見に来ていたの。だけれども、うっかり私は逸れてしまってさ。そこで、何か同じような迷子になっている年の近い人と出会って」
そのまま意気投合して、一緒に花火を見ていた。
その間。友達のいなかったハレにとって、初めての感覚があった。誰かと一緒にこうやっているのはこれほど楽しいものなのか。そう思った。
そしてその女の子と最後の一番大きく上がった花火を見た。その時、自然にハレの目から涙がこぼれ落ちたそうだ。この花火。きっと来年もまた見ようね。そう言おうと思い横を見た。
その時にはその女の子は消えていた。
瞬間、ハレは走り出した。そしてその女の子がいる場所へ一生懸命探す。だけれども、似たような人はいるけれども。先ほどまで隣にいた人はいない。みんな花火大会が終わって、それぞれ帰宅しようとしている。その流れに逆らってハレは走る。
途中、転んだ。膝が擦りむいた。ツンと痺れるような痛さがあった。だけれどもそんなのはどうでもよかった。今はあの、女の子と会いたい。もう一度会いたい。ただそれだけ。走る、走る。自分はこんなに体力があったっけ。驚きだ。
しかし、どんなに走っても。その女の子はいない。
その途中。彼女は膝から崩れ落ちた。慟哭を上げる。もう花火大会の会場となった河川敷には人など誰もいない。あたりにはただ祭りのプラスチックのゴミが捨てられているだけ。本当に後の祭り。
ポロポロと涙が頬を伝わる。
と、その後ろで爆発音が聞こえた。なんと、もう上がるはずのなかった花火が、上がった。それは、次々に明かりを落とされ始め、闇に埋もれ始めたこの街を、もう一度明るく照らした。
そして思う。きっと、また来年。あの時の友達と出会えるよね。と。
「成程ねぇ」
とイツは思う。それはヨルではないか。いや、違う。ヨルではない。彼女は一度も花火大会に行ったことがないはずであった。それじゃ、その女の子は誰だ。
恐らく人間ではない。きっと、神様の誰かである。そのような気がする。
「だからさ。今年こそはみんなで行きたい。そう思っているんだけれどもさ」
「うん」
「何故か毎年、3年連続でその日は大雨で中止になっているの」
「それは偶然じゃないのかな」
「いや、偶然ではないと思うのです」
「なんでそう思うの?」
「だって、7月。この地方はほとんど雨が降らないのに。何故かその日だけ毎回大雨ですもの。これは絶対に祟りか何かですよ」
「祟りか。祟りねぇ」
「そう。だから神様にお願いをするの。どうか今年だけは晴れにしてくださいって」
「だけれども、それって。神様が叶えてくれるかな」
「そうですね。個人的なお願いですものね」
「うん」
それにしても。その日だけ雨を降らせるとなると、これは雨神の仕業である。それもピンポイントで雨を降らせるなんて。そんなことが出来る神様。
イツは1人。心当たりがあった。
しかしその神様は進出鬼没である。だからいつどこでどうやって現れるのか。それはイツですらも分からない。分からないのだけれども。
目の前のハレは困っている。だから、
「私の方からもお願いして見るよ」
そう言ってやった。
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