第30話
道通様の家は、溜池の真後ろの一軒家である。
「家族と暮らしているのですか?」
と聞くと、道通様は
「いや、一人暮らし」
と言う。一人暮らしにしてはその場所は随分と広すぎるような気がする。
「こんな一件家に神様が住んでいるなんて」
「いや、そんなものだよ。神様なんて」
道通様は扉を開ける。家の中に入る。
中も、これと言って、変わっているわけではない。リビングだって、絨毯があって、テレビがあって、机がある。ありふれた日常の家という感じである。
「お腹空いてるだろ」
「お腹ですか?」
「そそ。あんな危険を犯してまで夜のコンビニに行くぐらいだ。相当我慢できないぐらいにお腹空いているだろう」
「あっいや、違う。あれは」
ヨルのお使いで……そう言おうと思った。
「またまた。そんなことを言ってさ」
「だから違います」
美鶴は自分が食いしん坊キャラだと思われるのは心外だと思った。
しかし。お腹がなった。それもキチンと、道通様の耳に届くぐらいに大きく。
「ほら、遠慮するな」
と、冷蔵庫を開ける。そしてそこでカップに入ったプリンを取り出した。
それを机の上に置く。
「畏まるな。そこの椅子に座って食べてもいい」
そして道通様はスプーンを美鶴に渡す。
「ありがとうございます……」
「お礼など要らない。自分の正義はいつだって自分のためにやっている。ただそれだけさ」
「はぁ」
その言葉の意味。イマイチ分からない。
ともあれ、彼女はそのプリンを一口。食べた。
美味しい。美味しいのだけれども、甘い。それが彼女の感想であった。市販で売られているプリンなんかよりも数倍ほど甘く、独特な味がする。さらには、サラっと。
(何かの粉?)
というそんな感覚がした。
しかし、味は美味しい。何個でも食べれる。
「このプリン……自分で作っているのですか?」
「おう。そうさ。何しろ、自分は随分と暇を持て余しているからな」
「暇を……」
「そうさ。日中はこれと言ってすることがない。ゆったりとテレビ見て、ご飯を作るぐらいのことしかすることないな。これがほんの少し前なら、あちこちで喧嘩が発生して、それを仲裁するという面白い遊びがあったのだけれどもな。今はそんなことない。随分と平和でつまらない世界になったものだよ」
などと彼女は言う。
「道通様って今、何歳なのですか?」
「さあ、何歳なんだろうな。分からない。意外に歳行っているかもしれない。それとも意外に歳行っていないかもしれない。君よりも歳上かもしれないし、歳下かもしれない」
「年齢分からないのですか」
「あぁ、分からない。誰も数えていないからな」
「それじゃ、学校に行ったことは」
「ないよ。そんなところ」
「なぜ」
「何が楽しくてそんなところに行く。俺様たち神は勉強をしなくても生きていけるしな。これと言って人限界で何かやりたいこともない」
そうして道通様は美鶴の横に座った。
(近い)
道通様の肩と美鶴の肩が触れ合いそうになる。
道通様の顔が見えそうになる。顔は真っ白で、腕は細い。この華奢な体を見ると、あぁこの神様は女性だと分かる。
そして歳も、美鶴たちと随分と近いように思える。
「俺様の好きなことというのは喧嘩を仲裁すること。そしてもう一つ」
ニヤリと道通様は口角を上げた。その瞬間、嫌な悪寒が走る。そして気づく。自分の体が動かなくなっているということに。
段々、力が失われていく。手を握っているスプーンの感覚。なくなっていく。
やがて。スプーンを落とした。
(こ、これは)
迂闊であった。
道通様が神様だからと言え、安易とついて行くべきではなかった。信用するべき相手ではなかった。
そして道通様は、美鶴の脇あたりをポンと叩く。すると筋肉の感覚を失っている彼女は、椅子から転げ落ちてしまった。
そして床に倒れ込む。どうしても起き上がることが出来ない。
「久しぶりに面白いおもちゃが来た。どうも。ゆっくりと遊ばせてもらおうじゃないか」
と彼女はフードをとった。
道通様。髪はキラキラと輝く金色。そして短く肩まで切り揃えていた。
金髪……金髪。
「金髪不良!」
「それは偏見だぜぇ。別に俺様は不良でもないし」
「それで私はどうするつもりですか!!」
「どうするって。そりゃ、久しぶりにこの場所に迷い込んできてくれた場所だ。それならやることは一つではないじゃないか」
「な、何を?」
自分を殺すのか。そうして比丘尼が人魚の肉を食べたのと同じように、この人も自分の肉を食べて不老不死を得ようとするのか。
そんな良からぬことを考えてしまう。
そのまま道通様は手を大きく上げる。そして、
(なっ)
その手は美鶴の胸元にあった。
「なっ、なっ、なっ」
そのままムギュッとその胸を揉む。
「いや、自分以外の女の胸を握ったことなかったからな。なるほど、なるほど。こうなっているんだ」
さらに、道通様は胸を揉み続ける。
「俺様の方が少し大きいのかもしれないなぁ。どうだろうな」
「だから何をやって……」
「ちょっと黙って。俺様はいま、胸の研究をしているんだ」
胸の研究。そんな意味不明なことを言ってくる。
そして今度は顔を撫でる。
「本当、いいね。素晴らしい。この吸い付くような肌。これは天然物だ」
グッと彼女は顔を近づける。そして舐め回すようにみた。
「なっ、なっ」
と今度は服に手をかける。そしてそれをめくろうと……
「いや、いや……」
絶体絶命。まさかこんなことに。
そう思っていた時。
「道通様、それはやめてあげな。美鶴が嫌がっているじゃないか」
と。
「だ、誰だ」
そして道通様は振り返った。そこには扉が開いていた。そしてイツが立っている。
「誰だと思ったら、なんだ。お前か」
「なんだお前かとは何だ」
道通様は美鶴の体から離れた。そして彼女の元へ向かう。
「なんでここに来た?」
「いや、私も本当はもっと寝たかったんだよ」
と。確かにイツのその服装。パジャマである。
「だけれども、ヨルから電話があってさ。美鶴にお使いを頼んだけれども帰ってこないって」
時計を見る。神社から出て既に2時間は経っていた。
「それでヨルが」
「これは何かあったのかもしれない。そう心配していたのですね」
と美鶴。確かにそれは悪いことをした。
しかしイツは首を振る。
「いや……僕のお金で飯を食べているんだ。許せないと」
「ヨルさん……」
「全く。ヨルさん、深夜だろうが平気で私の元に電話してくるからね。とまぁそんな感じで、私は美鶴を探すことをして」
「それでよく俺様と一緒にいると分かったな」
「そりゃそうだよ。道通様。あなたは気づいていないかもしれないけれども、どれほど凄い神通力が出ているか。本当分かりやすいぐらい出ているよ」
(ということはこの道通様は、やはり凄い神様なんだ)
そう認識した。
「まぁ、道通様、元気そうでよかった」
「別に元気ではないさ。全盛期に比べれば神力も大分落ちてしまったし」
「それでも、やっぱり私は敵わないよ」
「ふん。そんなお世辞を言ったところで。俺様から何も出ないぞ」
「それで一つ質問があるんだけれども」
「何だ」
「7月30日の天気、また雨なの?」
「ふん」
と道通様は鼻息を荒げた。
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