第26話
本当に散々な夜であった。美鶴はそう思う。
暑苦しい夜に、突如。ヨルが目を覚ます。そして、美鶴の寝室に忍び込んで、夢の世界で彷徨っている美鶴の頬を叩いた。美鶴は目を覚ました。
これは果たして神様のする行為であろうか。その時のヨルは鬼か悪魔かそう思った。
そして
「お腹すいた」
とヨルは言う。それに対して
「もう数時間もすれば朝ご飯を作ります。だからそれまで待っておいてください」
と。美鶴は言った。するとヨルは頬を膨らます。
「待てないから美鶴のところに来たんだ」
「いや、私のところに来ても困るよ」
美鶴は欠伸をする。いくら神様だからと言って、眠いものは眠いのだ。
「コンビニ行ってお菓子買ってきて」
「なんで私が。そんなもの、ヨルさんが行けばいいじゃないですか」
「今の時刻は危険」
「なぜ」
「不良がウヨウヨいる。その不良たちに絡まれてしまったら、僕はそいつらを倒してしまう」
それを言われて美鶴は黙り込んだ。
確かに、それは一理ある。ヨルは神の力を持っている。それ故、一般人など簡単に倒せてしまう。しかし、神様が何も力を持たない一般人を倒してしまうのはイレギュレーション違反であり、それはヨルよりもずっと偉い神様から制裁を受けてしまう。神としての資格を失うだけではなく、下手すれば存在、そのものを抹消されるかもしれない。つまり人間で言う死と同じ状態になる可能性がある。
さらにヨルは短期な性格である。少しでも神に対して不敬なことをしてしまったら彼女は力を制御できないぐらいにその人を報復する可能性がある。だから夜の街を歩いて、不良に絡まれてしまったら……それはかなり恐ろしいことになるかもしれない。
だからヨルを外に出すわけにはいかない。いかないのだけれども
「あー、お腹すいた、お腹すいたー」
とヨルは我儘を言う。それに対して、美鶴は……美鶴だってヨルの街に歩きたくなどなかった。
美鶴は守護天使である。だからヨルやイツに比べて、他人に攻撃をする術など持っていない。だからうっかり間違って人を殺してしまうなどとそのようなことはほとんどの確率で発生しないと思われる。しかし……
逆に美鶴は普通の人間に比べて運動神経というものが鈍い。だから、もし不良に絡まれたら。ボコボコにされるかもしれない。いや、もしそれをされそうになったら自分の能力と結界で守ればいいのだけれども。
だけれども気弱な美鶴にそこまでのことが出来るとは思えない。
だから夜の街のコンビニなどに行きたくなかった。
「我慢してください」
と強い口調でそういう。しかし
「いやだー いやだー」
とヨルは我儘を言う。
「だからお願いだから我慢をして」
と言ったら、ヨルはニヤリと笑みを浮かべた。それは実に不気味な笑みであった。
「な、なんですか。その顔は」
「いや、美鶴にいいことを教えてあげようと思って」
「何ですか」
どうせロクなものではない。
「最近この街に道通様が現れているという話は知っているよね?」
「えぇ。それはよく知っていますよ。随分と話題になっていますもの」
「そうだよね。うん。道通様。昔はとんでもないぐらいに偉大な神様だったらしい」
「はい。神格で言えば二十二社、国幣大社特別級の神様を超えるほどのものでした。簡単に言えば伊勢神宮の天照と同等の力があったかもしれない。それほどの神です」
「そ、そ。それぐらいの実力がある神様だったらしい」
「はい。だけれどもその神様は今はすっかりと零落してしまいました」
「そうだよな。不思議だよな。それほどの神様がどうして零落してしまったのか」
「はい。いくつかの説はあります。まず道通様は蛇神だったから」
「それが零落とどのように関係あるんだ」
「まぁ、順を追って説明しましょうか。まず岡山県の笠岡市に道通神社というものがあります。そこの祭神は猿田彦。猿田彦というのは導きの神様として有名ですね。大きな神社だと椿大神神社や伊勢神宮に比較的近いところにある猿田彦神社があります。現在はどちらが猿田彦発祥の地か曖昧になっております。まぁ、今回はその話はおいておいて。その笠岡神社に小さな祠があります。そこに道通様を祀っています」
「そうなのか」
「はい。正確に言えばトビヒョウと呼ばれる小さな蛇ですかね。その笠岡地区ではそのトビヒョウの祟りなど恐れてそれを鎮めるために作られたのです」
「ふーん」
「それで何か思ったことありませんか?」
「うんとね。あれ? とは思った。道通様は昔、伊勢神宮の神様を超えるような存在だったでしょ。それが祟る存在として信仰されて」
「はい。縄文時代や弥生時代では稲荷神などよりも蛇神の信仰が厚かったと考えられます。しかし蛇神信仰は零落していきました。その理由としては幾つかあります。まず先ほどからチラリと名前が出てきています、稲荷神の台頭です。どうして狐がこれほど信仰されるようになったのか。その説明をちゃんとすると長くなります。
まず神仏合祀が大きいと思います。元々仏教では荼吉尼天という神様がいました。この荼吉尼天というのはジャッカルのような生き物とされています。しかし今も昔も天然のジャッカルなど生息していません。そのジャッカルに一番近いとされているのが、狐です。つまり日本では狐イコール荼吉尼天と信仰されるようになります。ちなみに荼吉尼天というのは死者の神。所謂、死神。役割は少し違いますが、日本ではツクヨミが近いのでしょうか。ともあれ神仏合祀によって狐=荼吉尼天=稲荷神の結びつきが出来てしまいます。そこで狐の勢力が拡大して行きます」
「ふーん、そうなんだ」
「えぇ。それ以外にも、狐というのは尻尾が稲みたいな黄金色をしています。それを見た古代の人が狐は農作の神として崇めるようになります。まぁ、ともあれそのような感じでして蛇神の信仰は薄くなり、狐の信仰が厚くなります」
「ムムッ」
とヨルは複雑な顔をした。
「まぁ、色々と難しいことを言いましたけれども。そんな難しい話ではないのです。例えばインターネットエクスプローラーがありました。それは昔パソコンを使う人であればみんなが使っているようなものでした。しかし時代が進むとChromeや Safari、Firefoxなどの検索エンジンが台頭します。そしてやがてIEを使う人は減っていきました。それと同じような話です」
「つまり神様のはやりが変わってしまった?」
「はい。そういうことです。人間が信仰するものなので。流行りなど簡単に変化してしまいます」
「なるほどな」
「はい。ところでその道通様が一体どうしたのですか?」
「あっ、そうそう。話を戻すか。その道通様が最近、この街のあちこちで目撃されるようになったのは知っているだろ」
「えぇ。知っています」
「うん。その道通様。夜のコンビニでの目撃証言が多いんだ」
「そうなんですか」
「あぁ、厳密に言えば、フードを深く被った人物の目撃証言が多い」
「それがどうして道通様に繋がるのですか」
「そうだね。ここ周辺。近年治安が悪化し始めている。信じられないかもしれないが、かつては南宮市はかなり治安よかったんだ。というのも、両度軍というものが存在していたから」
「両度軍って何ですか? 治安部隊か何かですか」
「いやいや。そんな大層なものではない。両度軍は不良集団だ。それこそここら辺一体の中ではかなり恐れられていた」
「そうなんですか。その両度軍がどうしたのですか」
「まぁ、その両度軍って、全員体格が良くて人間の集団とは思えないほどだった。それこそ……もしかしたら鬼の集団なのかもしれない。とにかく普通の人間では勝てないような団体だった」
「はぁ」
「だから人間の不良はこの町では悪さが出来なかった。しかし、しかしだ。状況が一変する」
「一体何があったのですか」
「そうだな。簡単に言えば、その不良集団はこの街から追い出されてしまった」
「なぜ」
「なぜかは分からないよ。まぁ南宮市からしてみれば、そんな怖い集団がこの街にいる。そう言ったことが厄介だったんじゃないかな。まぁ、後々考えれば実に愚かなことをしてしまったなと思う行為だけれども」
「愚かな行為……ですか」
「あぁ。その後、そんな最強集団がいなくなり、その結果、不良がこの街に居座るようになったと言えば、これは非常に愚かな行為であろう」
「……確かに、そうかもしれませんね」
「うん。結局その両度軍団という輩がこの街の治安を守っていたということになる。そして皮肉にも彼らは警察なんかよりもかなりの力を持っていたんだ。そして南宮市で増えてしまった不良はその後、どうなったかというと……調子に乗り始めた」
「調子に乗り始めた?」
「そう。不良たちはコンビニの前で居座るようになる。そこの駐車場が居酒屋かと勘違いしているように、彼らは酒を飲む。もうそれだけで他の人たちはコンビニを利用しづらいというのに、さらに、彼らはナンパをするようになる。特に女性は」
「ちょっと。それなら私がそんな夜のコンビニに行ったら危ないじゃないですか!」
「いや、美鶴は大丈夫だと思うよ」
「なぜ」
「だって、ナンパされるような女じゃないもの」
「ちょっと! それはどういう意味ですか!」
「どういう意味って。別にそのままの意味さ。美鶴のその姿はあまりにも幼すぎる。流石の不良たちも小学生とかに手を出したら危ないと感じるだろう。というか小学生と遊びたいと思う危ない思考の奴ら。そうそういないだろう」
「酷い! 私は年齢で言えば立派な高校生です」
「まぁ、高校生だって同じだ。そんな大人がこんなクソガキに対して一緒にどこかへ行こうだなんて、そんなこと。きっと言わないはずだ」
「……そんなものですかね」
「そんなものさ。と話が逸れた。まぁその両度軍団という鬼のような集団がいなくなって不良たちが暴れるようになってしまって……そして。という感じに現在なってしまった。だから夜安心して生活出来なくなった。あちこちで小さな喧嘩が発生するようになる」
「小さな喧嘩ですか」
「そう。小さな喧嘩と行っても、そりゃ不良たちが街で暴れていたらこっちだって勘弁しやがれと思うだろ。怪我をする人だっている。いつか、その喧嘩が大きくなって警察沙汰になるかもしれない。ところがどっこい。ここ数ヶ月でそう言った警察沙汰になった事件というのは全くないとのこと。これはどういうことか。道通様という人が事が大きくなる前に仲裁をしている……らしい」
「仲裁?」
「そそっ。その道通様は不思議なことに何かそう言ったことが起こりそうになるとパッと姿を現す。そして、仲裁をしていくんだ」
「なぜ、道通様はそんなことを」
「さぁな?」
ヨルは昨日ドラックストアで道通様と出会ったことを思い出す。その時の道通様。他人を救うなと言っていた。それで決して自分は幸福にはならない。そうも言っていた。そのくせ、その本人はこのようにみんなの為に正義を振り翳している。
それは一体何のため?
考えられる可能性として、余程、他人を救わないと生きていけないような病気か、自分が苦しんでも無問題のマゾか。そのどちらかである。
「理由は私には分からない。だけれども言えることは道通様は困っている人の前に現れる。つまりうっかり、美鶴が不良たちに絡まれても大丈夫。それはそれで道通様が何とかしてくれるからさ」
「そんな無責任な」
「ま。まぁ、そんなわけでさ。美鶴も道通様と出会いたいだろ」
「街の不良たちとは出会いたくないです」
「そんなこと言わずにさ。このままだと僕はお腹すいてしまって怨霊か何かになってしまうぞ」
「そんな不吉なこと言わないでください」
「それじゃ、行ってくれる?」
「いやです」
そんな会話のやり取りをしばらく続けた。
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