第25話

 夏の深夜。ボンヤリ。溜池の前で道通様は黄昏ていた。

 と言っても、夜の風なんて生ぬるくて気持ち悪い。全身から塩っぽい汗が湧き出て、海水浴をした直後のようになっている。


 ボンヤリ。草葉を見つめるとそこには蝉の抜け殻がある。道通様はそれを掴んだ。そしてその抜け殻の腹部をぎゅっと握り潰す。するとその抜け殻は粉々になった。


 実に儚い。この世の生物も、人間も含めてこれぐらい命が儚いものなのだろうか。そしてもう一匹。仰向けに倒れている蝉がいた。


 その蝉の腹部を突く。するとギギギと壊れたロボットのように羽を細かく動かす。どうやらこの蝉はまだ生きているようだ。道通様はその仰向けになったセミを元に戻してやった。するとその蝉は羽を振るのをやめた。

 また静かになった。


 と思ったらどこか遠くでパトカーがサイレンを鳴らす音が聞こえる。騒がしい。

 いつの間にかこの世界で、夜というものが消滅してしまったのか。今から1000年以上前は、夜になると一斉に明かりを消してみな眠りについていたのに。夜というのは、騒がしい昼間から隔離された一種の、静寂な特権だったのに。その特権を今、この世界は失われようとしている。


 道通様は思う。人々が神への信仰を失ったのと同じように、夜の恐怖も失おうとしている。そうなると、道通様は厄介だった。そもそも妖怪は黄昏時に現れるものなのだから。夜、誰も眠らなくなってしまったら、いつ妖怪は現れればいいのだろうか。昼間は人間、夜間は妖怪の活動時とちゃんと決められていたのに。それが世界の暗黙の了解だったのに。


 道通様は溜池の方をみる。その中央から同心円状に波が立っている。その深い、深い、湖の外で。水竜様が呼吸をしているのだ。本当はその水竜様も、地上に出て暴れたいだろうに。夜という概念がなくなって外に出られなくなってしまっている。


 だけれども、もうしばらくすると、その水竜様も我慢の限界が来るかもしれない。夜も昼も関係なしにこの池から出てくるかもしれない。もし、そうなったら。この世界は……いや、きっと大丈夫。現代社会は何事も科学的根拠というものを求めてくる。


 水竜様が暴れると、底が抜けたような雨が降るだろう。しかしそれに対して人間たちは何も疑うことなく、「異常気象」という言葉で片付けるだろう。だからきっと大丈夫。水竜様が暴れても、自分は何もしなくてもいい。と道通様は思う。


 そしてしばらくして、道通様はその溜池に背を向けて歩き始める。

 腹が減った。コンビニに行こう。そう思う。


 そして道通様はフードを深くまで被った。顔など全く見えない。だから他の人は恐らく根暗な奴だとか、ニートだとかそのようなことを思っているだろう。しかし道通様はそれでもよかった。


 数分間歩いて、最寄りのコンビニに辿り着いた。


「ゲッ」


 と思う。そこには数人。昭和からタイムスリップしたのかと思うほど時代遅れの不良たちが、これまた時代遅れの不良座り。正しくは和式便所座りをしていた。全く、夜なのだから。寝ろよと思う。いくら道通様は神様と言え、やはりこういった不良は怖いものである。まず、何をしてくるのか。全く予測がつかない。


 偏見かもしれない。しかしこう言った不良は失うものというものが何もない。だから捨て身で色々なことをしてくるだろう。そのようなイメージがどうしてもある。また理屈や論理、道徳など、こう言った不良には通用しない。そこら辺の動物と同じように、自分のやりたいことを、自分の思うがままの行動で生きている。


 厄介だ。かといって、こっちが遠慮をするというのも実に馬鹿馬鹿しいことだと思う。どうして不良のためにこちらが買い物を諦めなければならないのか。道通様は不良など気にせずに買い物をすることにした。そしてコンビニ内部。


 まず店員はいなかった。大方、事務所の方に行って作業をしているのだろう。いや、それだけならまだマシかもしれない。下手をすれば、事務所でスマホを弄っている可能性だってある。レジで「すみません」と叫んで、レジ対応してくれたら吉としよう。


 深夜のコンビニ。こんなのばっかりだから、恐らく万引きされ放題かもしれない。

 道通様は、喉が渇いていた。自分の喉仏が干上がっているのが、感覚でよく分かる。このままでは喉仏が、立派な仏になってしまう。


 かと言って、水は飲みたくない。道通様は、水神の使いである。つまり水という物体は死ぬほど何度もみている。口に含んでいる。


 むしろ、その水にドロッと大量の砂糖を入れたような甘ったるいものが飲みたい。

 ドリンクコーナー。カフェオレにスポーツドリンクに、紅茶。流石だ。どれもこれもたっぷり甘い、甘い砂糖を溶かしている。こうなると、どれを飲むか迷う。


 そして道通様は、ペットボトルと睨めっこをした。

 ムムムッ。ムムムッと。

 冷蔵リーチを開けては、閉じる。それの繰り返し。どれを飲もうか迷う。


 そしてしばらくして……結局、道通様は何も手にすることなかった。


 と、パンコーナ付近。金髪不良と、真面目系メガネの二人組がいた。それは意外な組み合わせである。いや、昨今の不良というのは実に大人しくなったと思う。


 例えば、平成初期であれば、ルーズソックスに茶髪に、ピアスにと。どれもこれも、ヤンチャな人と真面目な人の見分けが偏見ながら付きやすい格好をしていた。しかし今はどうだ。これだけ個性が大事と言われている時代なのに、昔ほど髪を派手な色で染める人は減ったと思う。染めてもベターなブラウンばかり。


 平成初期の不良は取り敢えずバイクで阪神高速を暴走すればいい。それだけでヤンキー検定合格出来たものである。しかし今は、そもそもバイクの免許を取る人すら減った。バイクではなく、スケボーみたいな乗り物で暴走。随分とスケールが小さくなったものだ。


 タバコを吸う不良だって減った。電子タバコで満足する人が増えた。


 とまぁ、そんな感じなので。もう見た目だけでは誰が不良なのか、判別がつかなくなってしまった。そのような時代のもので。だからこそ、目の前の眼鏡の少女が不良の可能性があるわけで。


 と色々なことを思ったが……


(まぁ、あの眼鏡。不良ではないだろうな)


 というのはすぐにわかった。丸み帯びた猫背。小刻みに震える肩。そして明らかに泳いでいる目。どう考えても不良に絡まれている。もし、これで実はこの眼鏡の少女も不良でしたと、そんな展開だったら、現代人はここまでひ弱になってしまったものか。そう嘆くだろう。


「ねぇ、姉さんはこんな時間に何をしているの」


 金髪不良はそういう。それはもっともだ。と、道通様も思う。その少女。明らかに若い。高校生ぐらいであろう。そんな少女が、こんな時間に、コンビニへ。

 ゴキブリホイホイの中にある餌に齧り付こうとするゴキブリぐらいに、リスクあることをしている。そりゃ、夜のコンビニなのだから穏やかであるはずがない。


 道通様はフードを深く被り直した。

 助けてやるか。というか、ここで助けてやらないと、あの少女は恐らく、夜の街に連れ去られてしまうだろう。


 道通様は、その金髪不良の元へやってくる。

 そして肩を掴む。


「頼むよ。俺様の敷地でそんな治安の悪いことしないでくれ」


 と道通様は言った。金髪不良ヤンキーは道通様の方を向く。そして


「あぁ、なんだテメェは」


 と威嚇をする。と同時に道通様は不良の乗っている肩に力を入れる。


「ねぇ、知っていた。人間の骨って以外に脆いんだよ」


 と。道通様はそういった。そして金髪の不良は顔を顰める。どんどん、道通様は手に力を入れていく。


「人間の肩甲骨なんて、その気になれば一瞬で粉粉にすることが出来るんだからさ。交渉だよ。俺様に肩の骨を折られるか、俺様の敷地から去ってくれるか」


「だからいつからこの敷地がテメェの」


 金髪不良は抵抗をした。だから道通様はより一層力を入れる。


「さて、どうするのか。教えて」


 私だってそんな手荒な真似をしたくないのだからさ。と道通様は言う。

 道通様はどんどん肩に力を入れていく。やがて、肩甲骨あたりから、メシ、メシっと軋む音が聞こえてくる。


「さて、さて。どうするか。返答をして」


 そして。


「わかったよ!!」


 と金髪不良は叫んだ。


「悪かった。悪かったから。この土地から消えるからさ! 勘弁してくれ!」


 その男は情けないことに、目からは大粒の涙が一滴。落ちてきそうになっていた。

 つまらない人だ。と、道通様は思う。これが戦前だったら特攻してでも、自分を倒そうとしてくる人があったのに。自分の命をかけてでも、自分を殺そうとしてきた人だっていたのに。


 最近の人間は平和という物の上で胡座をかいてしまっている。本当なら、思いっきりこの男の肩を握り潰して、壊してやりたいと思ったが。それをやってしまったらただの悪者である。道通様は決して悪者になるつもりなどなかった。


 だから、ため息を吐いてそのままその男の肩を離した。

 その直後、金髪不良は自分の肩あたりを触れる。そして軽く舌打ちをしてそのまま去っていった。やはり弱い。本当に弱いと思う。


 そして道通様は、怯えている少女の方に目をやる。


「あんたも馬鹿ね。こんな夜に……」


 と言おうと思ったら、その少女に違和感を持った。そしてこの少女はただの人間ではない。そのことに気づいた。


 この人はもしかして……そんな馬鹿な。

 ゆっくりと道通様はその少女の元へ近づく。そうしてその少女の胸を……触れた。


(間違いない。この感触)


 道通様は確信した。


「お前さん、同業者だな」


「どこで判別しているのですか!!」


 その少女は顔を真っ赤にしながらそう言った。

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