第19話

「いねーよ。そんなやつ」


 それに対して、ヨルという神様はキッパリと稀有怪訝の存在を否定した。

 彼女は空瀬神社の神木の前で座り込んで、木の棒で毛虫を突っついている。どいつもこいつも毛虫は怒ったようにヨルを見つめた後、そのままどこかへ逃げていってしまう。


「いねーというか、情報量がなさすぎる。要はただの毛むくじゃらの物体だろ。タンポポの綿毛を適当に差し出すだけで課題クリアにならんのかい」


「それでは課題クリアにはならないだろうね」


「それじゃ、無理だ」


 木の付近には沢山の毛虫が湧いている。それをヨルは一匹、一匹、ツンツンと棒で突っついている。何匹かは逃げ、そして何匹かはヨルの方を見つめる。


「おう、なんだその顔は。神に逆らう気か」


 それに対してヨルは喧嘩腰の口調でそう言った。


「流石に毛虫と喧嘩をするのはやめなよ」


 とイツは言う。


「だってこいつが威嚇をするんだもん」


「そもそも先制攻撃をしているのはヨルの方でしょ」


「まぁ……そうかもしれないけれどさ」


 ヨルはヒョイと一匹。毛虫を手に持った。そしてその毛虫の顔を眺める。


「あの後、神社の書庫で色々調べたんだ」


「調べたって?」


「稀有怪訝のこと」


「うちの神社の書庫。ここの神主さんの趣味で沢山本あるものね」


「うん」


 空瀬神社の神主は、副業で古本屋を営んでいる。しかしそれで買い取った本は店頭に並べることをあまりせず、よく神社の社務所奥にある書庫部屋にしまっている。


「和漢三才図会やら鳥山石燕の本やら色々読んだけれども。稀有怪訝については何も書かれていない」


「そりゃそうよ。稀有怪訝が疫病の元というのも実は後付けで本当の正体なんて誰も分かっていないもの」


「そう。そして他にもワイラとかおとろしとか名前だけの妖怪もいることを知った」


「おとろしねぇ。鳥山石燕とかその姿書いているけれども、誰もその正体を分かっていないからね。解説文が何もないから、もしかしたら元々鬼だったかもしれないし神だったかもしれない。そんな存在だよね」


「うん。一体同時の人は何を考えてあんな妖怪を作ったか検討もつかねーよな」


「そうだね。そういえば大阪万博にミャクミャクというキャラがいるのを知っている?」


「知っているよ」


「そう。そのミャクミャクという物も世間ではミャクミャク様と敬称をつける人もいる。しかしこの様というのは何となくつけているだけでそんな大きな意味はない。ないのだけれども、もしこれが数十年、数百年たったら、どうして様とつけて読んだのか。これは神の一種ではないかと色々と考えるようになる。そして設定が後付けされている。今だって人々は面白がって設定を後付けしようとしているでしょ。多分それが数十年たってその後付けした人がこの世からいなくなった時に、冗談が神話に代わっていく。だけれどもそれらには深い意味はない。実はおとろしとかも、その類のものかもしれない。世間が適当に作った意味のないキャラクターかもしれない」


「意味のないキャラクター……」


「ごめん。それは言いすぎたかもしれない。名前だけでも残っているということはある程度の意味は持っているはず。中には人々に忘れられ、歴史から抹消された、そんな妖怪だって、神だってきっといるはず」


「そうか。名前が残っているだけまだマシなのか」


「そう。名前を忘れられたものは人の記憶にすら、概念としてすら生きていけれないからね」


「それを考えたら私たち神のことを覚えてくれる人が全員消えたらどうなるんだろう」


「さあね。もしかしたらその時になったら案外普通の人間として生まれ変われるかもしれない。それとも概念の外側で永久に彷徨うことになるかもしれない」


「それは少し怖いや」


「普段から人間が嫌いと言っているのに?」


「人間は嫌い。だけれども全ての信仰を失って、今までの歴史の積み重ねの意味がなくなってしまうのがいやだ」


「別に。この世に意味のあることなんてないよ。人間や私たちが意味ないことに対して勝手に意味をつけているだけで。案外そのような存在かもしれない」


「なるほどな。つまりは本来なら私たちは存在していない可能性だってあると」


「そう。モナド。つまり予定調和の和の上でダンスをしているだけの存在かもしれない」


「その理論でいくと、稀有怪訝の存在も怪しくなってくるぞ。もしかしたら存在しない机上の空論的生物の可能性だってある。図鑑の恐竜を捕まえろと言われてもそれは無理だろ。もしかしたらそのような存在かも」


「いやいるよ。稀有怪訝は」


「なぜそう言い切れるんだい?」


「さっきも言った通り、ちゃんと記録に残されているから。名前が現在まで残っているから。名前が残っているということは概念がある。妖怪は恐竜と違っていて概念さえあれば生きていけるんだよ」


「はぁ……」


 と腑に落ちない様子であった。

 そして木の棒をそのまま放り投げる。立ち上がって、イツに背を向ける。


「どこに行くの?」


「トイレだよ」


「今夕飯作っている美鶴、呼ばなくてもいいの?」


「なっ」


 ヨルは顔を真っ赤にして振り返り、イツを見た。彼女はニヤニヤと笑みを浮かべている。


「昔、1人でトイレに行けなかったでしょ。今はちゃんとトイレに行けるようになったんだと思って」


「ば、馬鹿にするんじゃねぇし」


「トイレの花子さん。今はもう出ないの?」


「ふん、そんなもの出るもんか」


 そのままプイッとそっぽ向いて彼女はトイレの方へ向かった。


 昔、ヨルは1人でトイレに行けなかった。神でありながら、お化けという存在を信じていたのだ。

 空瀬神社のトイレというのは社殿から少し離れた、広場にポツンとある。そこは木々に囲まれており薄気味悪い雰囲気がある。ヨルじゃなくても、小学生の間には未だに幽霊が出ると噂がある。


 ヨル自身も幼少期、誰かに尻を撫でられたと大騒ぎをしたことがあった。その度に「神が幽霊に負けるわけないでしょ」と美鶴が論していたものだ。


「人間誰しも純粋な時があって、その時の方は見えないものも見えてしまうんだよね」


 と1人呟く。

 そして風が強く吹いた。木が大きく揺れる。これはただの風である。自然現象である。

 きっと誰もこれを木霊の仕業だと疑わない。

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