第8話

「お前、さっきの大祓言葉はなんだ」


 とヨルはよく言っていた。

 朝。神社では巫女たちは本殿前で大祓言葉を述べる。これは神に感謝を述べる言葉であるのだが。美鶴はどうもその大祓言葉というのが苦手であった。


 その理由として緊張をする。


 朝、巫女さんと一緒に大祓言葉を述べようとする参拝者もいる。後ろで参拝者が見ている。それを気にするだけで、心拍数が上がる。そしてうっかり噛んでしまうものである。


 しかし、その後。それっぽく次へ進めば一般の参拝者たちにはバレないものである。


 ただヨルとイツだけはそれは隠せないらしい。


「まぁ、いいでしょう。別にヨルさんはそんなもので怒ったりしないでしょ」


 とイツは言う。


「そりゃそうだけどさ」


「そんなことで一々、怒っていたら世の中の参拝者全員に怒らないといけなくなって大変よ」


「まぁ……そっか」


「あっでも。一言でも祝詞を間違えたら怒る神様もいるね」


「そんな気が短い神様」


「一言さんと言って。まぁ奈良にも千葉にもいるけれども。その神様と同じ系列の神様だね。寿詞も悪言も一言って。一言でも祝詞を間違えたら罰が与えられるの」


「それじゃ、美鶴にはそこの神様を操ることは出来なさそうだね」


「うぅ」


「更にその一言さん。少し勘違いもするからちゃんと願い事も言わないとダメ」


「勘違いするって?」


「例えば自分は周りよりも長生きしたいと願うでしょ。そうなると周りの人たちはすぐに死んでしまう。そうすれば自ずと願いが叶ったことになる。と。だからちゃんと一言さんに願い事を言うには勘違いしないように分かりやすく言わないといけない。それと同時に噛んでしまったりもしたらダメ」


「厳しい神様だな」


「そう。厳しい神様。その分、力は相当凄いもので。例えばヨルの暴走も調伏なしで一瞬で抑えることが出来る」


「そんなことできるの?」


 と真っ先に反応をしたのは美鶴であった。彼女は普段から悩んでいた。もしヨルの暴走を抑えることが出来たのなら。もっと自由にヨルと色々な街へいくことが出来るのに。


「千行一致というもので。千語の祝詞を噛まずに間違えずに言えたら一言さんの加護によって離合した和魂と荒魂を一つにしてくれる」


「離合……?」


「そう。そもそもどうしてヨルが暴走をするのかというと、荒魂だけが大きくなるから。それによって和魂が押し潰されて暴走する。しかしその荒魂というのは風船のようなもので時間が経てば自然と小さくなる。私の場合、それが小さくなるまでの間、荒魂を預かることが出来る。だけれどもただ預かるだけで、小さくなるまでは暴走した状態。それに対して一言様はすぐにその場で魂の修復を出来るの」


「そんな技が」


「うん。たださっきも言ったけれども一言様は気難しい性格だからね。だから千行一致をしている最中に中断したり、邪魔が入ったりすると……」


「すると?」


「一言様の怒りをもらうことになる。そうなると厄介。祝詞も呪いも自分に帰ってくるからね。その行為した術者に呪いがやってくる。下手すれば死ぬかもしれないね」


「そうなの?」


「うん。まぁ、私の場合。もし失敗したら一言様ごと力でねじ伏せるけど」


 そう冗談っぽくイツは言う。いや、多分それは冗談ではない。

 本当に彼女は力でねじ伏せることが出来るのだろう。そう思う。


 その後、美鶴は千行一致の方法を教えてもらった。

 それ以降。それを試みたことはない。何度も練習はしたが、やはり。千行一致はそう簡単なものではなかった。


 空瀬神社は随分と静かになった。だけれどもこれは恐らく今だけである。

 どんどん空が黒くなっている。ヨルの姿は見ない。


 だけれども、あの本殿の奥に確実にヨルはいる。

 そしてヨルは気を溜めている最中だと言うことが分かる。恐らく、もう少ししたらあの少年の元にまた大きな雷が落ちるだろう。そうなってしまえば確実にあの少年は死んでしまう。


 そうなってしまったら……少年のことよりもヨルのことの方が心配であった。もしそうなってしまったら。ヨルは普通の神としての扱いではなくなる。邪神としての扱いになる。仮にそうなってしまったら、ヨル本人が討伐の対象となる。この世界に一体何人の呪術師がいるのか分からない。だけれどもそれを全員相手して、倒せるほど甘くない。そんなことは知っている。確実にヨルは殺されてしまう。


 だから、何としてでも少年を守らなければならなかった。

 それがヨルを守ることに繋がる。


 そしてその少年はというと。気絶をしていた。更に、ズボンの辺りが濡れている。失禁している。


「全く、あれだけ神に怒りを買っておいて失禁とかダサいわね」


 などと言ってもしょうがない。

 今は、彼女が出来ることをしなければならない。それはヨルの今の神力を無効化すること。それは美鶴本人には到底出来ない。だから、別の神様。一言様の力を借りる。要は千行一致を行うことである。


 息を吐く。


 美鶴は緊張をしていた。これが無事に成功すればいい。そうすれば、全てがうまくいく。だけれども、もし失敗をしてしまったら。

 一言様の呪いはまず美鶴の元へやってくる。いくら美鶴は神だとしても、神力というのはかなり微細なものであった。ヨルなら対抗することが出来る。イツならねじ伏せることが出来る。しかし美鶴は……そんなこと出来ない。大人しく一言様の呪いを喰らうしか方法はない。


 そうなった場合、神力を失う。それだけならまだいい。下手をすれば死ぬ可能性だってある。いや、むしろその可能性の方が高い。それぐらいリスクの大きなことであった。


 更に、美鶴はまともに大祓言葉すらも言えない。今でもどうしても途中で噛んでしまう。そのような感じなのに。ここでぶっつけ本番で成功をするとは思えない。


 ここで千行一致を行うのはかなりリスクの高いことであると思った。

 しかし美鶴には迷いなどなかった。


「中臣の太祝詞言い払え、あがう命も誰が為になれ」


 そう美鶴は言う。そしてそこから千行一致が始まる。


(落ちつけ、落ち着け。絶対に噛むな)


 スラスラと一言一句。間違わず美鶴は呪文を唱える。


 その最中、風は止んだ。周囲のカラスは木の枝から呪文を唱えている美鶴を眺めている。


(落ち着け、落ち着け)


 丁度半分ぐらい来たところ。分厚い雲が段々薄くなる。そしてその雲と雲の間から光が差し込む。カラスもその他の鳥もまるで美鶴を応援するかのように鳴く。


(大丈夫。きっと)


 ここで千行一致が成功をすれば。それできっと元通り。何もなかった頃の日常に戻る。


 そして千行一致は終盤に差し掛かる。


(後少し、後少し)


 大祓言葉もうまく言えない美鶴が800文字近く。噛まず間違えずにいえるのは奇跡であった。空には虹がかかり、そしてもう少しで完全にヨルの荒魂が抑えられるようになるだろうと。そのころであった。


「うわっ」


 と悲鳴が聞こえる。あの男が目を覚ました。

 そしてそれに驚いた美鶴は……その呪文を途中で言うのをやめてしまった。そして噛んでしまった。


「お主間違えたな、間違えたな」


 とそんな声が聞こえる。

 そして木の枝に止まっていたカラスが一斉に飛び出す。先ほどまで見えていた青空も瞬く間に雲に隠れる。そして再び、世界が光を失うことになってしまう。


 更には、上空からゴロゴロと雲と雲が擦れているような音が聞こえる。もうすぐ巨大な雷があの少年に向けて落ちるだろう。


(なんで余計なことを)


 もう少しで千行一致は成功するところだったのに。変なタイミングで意識を取り戻し、そして声をあげてしまった少年を恨んだ。

 とは言っても、あの少年を殺すわけにはいかない。


 だから。


「一言様。祝詞を間違えて申し訳ございませんでした。どうか私に目掛けて一発雷を打ってください」


 と言った。

 こうなったら呪いを全て美鶴が受け入れるしかなかった。


 それで全てが丸く収まる。

 天からゴロゴロと音が聞こえる。あちこちから小さな雷が落ち始めている。

 もうすぐ来る。


 黒い雲は一箇所に集まって、そしてそれは大きく分厚い雲になって、そのまま。大きな音とともに閃光となって神社に落ちた。


「全く。ヨルも一言様も酷いよね」


 その雷は男にも美鶴にも落ちることなどなかった。

 その代わり。目の前に、雷を浴びて、光り輝いている少女がいた。


「イツ!」

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