第2話
「いつ、神代紀に稜威をよみ、皇代紀に厳をよめり、気出の義なるべし」
倭訓栞より
神宮イツが世界を救ってから数年が経った。
世界を救ったあの時は、「絶滅危惧少女」と持て囃されていた。京都の世界遺産たちよりもずっと大切に保護されていた……のだと思う。
それがたった数年で、みんなの記憶から消えてしまった。
一体どんなことがあって、どんな風に世界が滅亡をしかけて、そして彼女がどのように救ったのか。鮮明に覚えている人などほとんどいない。
世の中の人というのはそんなものである。
歴史には名前を残したのだけれども、誰も今、神宮春火がどのような生活をしているのか気になったりしない。
その神宮の生活というのは非常に荒んだものであった。
今年で齢15歳。つまり高校1年生になった。通常、高校1年生というのは、キラキラの綺麗な制服に身を包まれ、希望を胸に抱えているものである。
しかし神宮の生活はそれとは真反対。まるでリストラにあった中年男性のような生活をしていた。
まず彼女の部屋。南宮市という大都会の小さなアパートの一室であった。
その部屋は荒んでいて、ワンルームの中央に、カビの生えた布団が置いてある。そしてその布団の横にはたくさんのプラスチック容器やペットボトルが転がっていた。足の踏み場などない。
その部屋のロフトには神棚がある。だけれども、榊の葉は全て落ちて、一本の棒となり、小皿に乗った塩は液状化している。もう何年も手入れがされていないようであった。
これが世界を救った少女の部屋なのか。ただただ驚愕するばかりである。
新宮はカビた布団の上で、死体のように眠っている。そして今でも夢を見てしまう。
あの賞賛されていた日々。かと思ったら、己の能力をインチキだと叫ぶ人。そして、誹謗中傷する人。殺害予告をする人。
新宮は人が嫌いになった。全ての人間なんて滅びればいい。そう思った。
そうして彼女は目を覚ます。起き上がる。もう死体と変わらないような生活をして数年。だけれども生きているのだからお腹は空く。何か、食べたいと思う。だから部屋の隅にある正方形の冷蔵庫の前まで匍匐前進しながら進む。
とその床に、一匹。鼠のような細長い生物が横たわっていた。体調は10センチほど。尻尾が異様に長く、先が割れている。
目は完全に閉じている。びくともしない。死んでいる。
ゲドーと呼ばれる生物である。これと一緒に世界を救ったものである。それが今となってはこんな扱い。
彼女はそれを横目見ながら、冷蔵庫を開けた。
「うわぁ……」
と思わず声を上げた。その冷蔵庫には何も入っていなかった。
ただ、数枚のハムが入っている。そのハムはピンク色から黒色に変色している。一体、いつ頃買ったのか。検討はつかない。ただ変色するということは数年単位で冷蔵庫の中に眠っていたということになる。
彼女はそれを手に取る。
そして迷う。これを食べるべきなのか。
常識的な思考であれば、このような呪物。即刻、ゴミ箱に捨てるべきである。しかし、新宮は常識的思考が失われていた。ただ生命維持のために食事を取る必要があった。
しかし……
「これを食べれば、死にそう」
生命維持のための食事のせいで生命が絶たれてしまうかもしれない。
本末転倒である。しかしコンビニに行く余力がない彼女からすれば、これを食べるしか選択肢がなかった。
そうして神宮はこの腐ったハムを食べた。
それ以降の記憶はない。
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