3・小箱

 綺麗なものを持っていくと約束したものの、白ユリ姫は実のところ、あのブローチ以上に綺麗なものなど持っていなかった。

 それに、姫が綺麗だと思うものは、たいてい森の中にあるのだ。

 しばらく考えて、いいことを思いついた。

 野に咲く花々をエプロンいっぱいに摘み取り、数日ぶりに沼へ出かけた。

 

「ヴォドニーク、ヴォドニーク」


 ほとりで呼びかけると、濃い緑色の髪が水面に突き出した。

 音もなく泳ぎ、岸に腕を乗せて、ヴォドニークはそっと微笑んだ。


「もう来ないかと思ったよ」

「だって、ブローチを返してもらっていないわ」

「そうだね。きっと来ると思ってた」

「見て。綺麗なお花を持ってきたの」


 姫は草の上に座り、摘まんでいたエプロンを広げた。色とりどりの花が現れた。

 撫子、カミツレ、雛菊、野ばら、鈴蘭、デルフィニウム、立麝香草タチジャコウソウ


「綺麗だね」

 と、ヴォドニークは目を丸くしたけれど、すぐに首を横に振った。


「でも、駄目だよ。花は長持ちしないから、飾りにならない」

「そうじゃないの。この花を見て、あなたが木彫りを作ったらいいと思って……」

「木彫り?」

「だって、小箱をとても上手に作っていたわ。飾りも手作りにしたら、もっと素敵になるんじゃないかしら」


 ヴォドニークは花の一つを手に取って、顔の前でしげしげと眺めた。


「そういえば、君のあのブローチにも、作り物の花がついていたな」

「ええ。エナメル細工の、白ユリの花よ」

「ふうん。難しそう。でも、いいかもしれない」


 ヴォドニークは少しの間考えてから、にっこり笑って頷いた。


「僕があんなのを作れるようになって、小箱が完成したら、ブローチを返してあげる。けど、見本の花はすぐに枯れるから、また持ってこないと駄目だよ」

「わかったわ」


 白ユリ姫は月に数度、花を摘んで沼へ通うことになった。

 ヴォドニークは花の名前や、毒の有無や、花に纏わる物語を知りたがった。


「白ユリは聖母マリア様の花で、純潔の象徴なのよ」

「へえ。その人は知らないけど、君にはぴったりだね」


「鈴蘭には毒があるから、牧草地にあっても、牛や馬が食べないの」

「どっちも案外賢いんだな」


「薔薇の下で話したことは、秘密にしないといけないんですって」

「そうしないと棘で刺される?」


 やがて夏が過ぎ、秋が来て冬になり、森から花が姿を消した。

 期待を込めて、白ユリ姫は尋ねた。


「ヴォドニーク、花の季節は終わったわ。小箱はもう完成した?」

「まだまだ。それに、花ばかりじゃつまらない。他に何かいいものはない?」


 そこで白ユリ姫は、お城や森で見つけた綺麗だと思うものを、片端から持って行くようになった。


 鳥の風切り羽、貝のボタン、陶器の欠片、ハリネズミの針、黄金のドングリ。

 レースのリボン、蝶や蜻蛉トンボの翅、ムクドリの青い卵の殻、紅色の縞模様の小石。


 どんなふうに眺めると一番綺麗に見えるのか、姫は詳しく話して聞かせた。

 どこでどうやって見つけたのか、ヴォドニークは知りたがった。


「お城で飼われているチョウゲンボウの羽よ」

「その鳥、君の手に乗った?」

「いいえ。狩りに使う鳥だから、ちょっと怖いの」


「森を歩いていたら、ハリネズミの針がスカートに刺さっていてね」

「その針、君の肌を刺した?」

「いいえ。ちくちくしただけだわ」


「綺麗な青い卵の殻を、庭師のおじいさんがくれたの」

「その人、君と仲がいい?」

「いいえ。たまに話すくらい」


 あっという間に一年が過ぎ、二年が過ぎた。

 季節が過ぎるごとに期待を込めて、白ユリ姫は同じことを尋ねた。


「ヴォドニーク、氷の季節は終わったわ。小箱はもう完成した?」

「いいや、まだだよ。こういうのは時間をかけないと」


 ついに三年もの月日が過ぎて、まだ見せたことのない綺麗なものが、とうとう何も見つからなくなってしまった。

 困り果てた白ユリ姫は、しばらく沼へ行かないことにした。


 ある日、お城の若い騎士が、菫の花束を姫に渡した。

 ――そうだわ。菫の花束は、まだ見せたことがない。

 綺麗なものが見つかり、ホッとして、姫は急いで沼に向かった。


 ヴォドニークは、岸辺に腰かけていた。

 初めて会った頃よりずっと、彼の姿は成長していた。青みを帯びた肌の色さえ気にしなければ、大人になりかけの、美しい少年に見えた。

 駆けてきた白ユリ姫を見て、ヴォドニークは静かに笑った。


「やあ。君、しばらく来なかったね」

「綺麗なものが見つからなかったの。でも、やっと持って来られたわ」

「それは何?」

「菫の花束よ」

「君が摘んだの?」

「いいえ、お城の騎士がくれたの」


 沼の色が急に翳った。雲が出て太陽を隠したのかと、姫は空を見上げた。


「いらないよ」

 ヴォドニークが冷たい声で言うので、姫は驚いた。

「でも……」

「僕は、君が見つけた綺麗なものが欲しいんだ」

「だって……もう三年も経って、ほどんど全部見せてしまったんだもの」


 相手が魔物だということを忘れ、姫はつい、声を荒らげた。


「もう限界だわ、ヴォドニーク。小箱はいつになったら完成するの?」

「知りたかったら、自分の目で確かめてごらん。かわいい白ユリのお姫様」

 せせら笑うように言って、ヴォドニークは姫に手を差し出した。


「水底の館へ今すぐ、連れて行ってあげる」

 光の射さない沼の底と、今の彼の目は同じ色だ。


 白ユリ姫は後ずさった。

 菫の花がパラパラと足元に零れた。


「あの小箱はね、完成しないんだ。だって、中が空っぽなんだもの」

 岸辺に腰かけたまま、首だけを曲げて、ヴォドニークは姫を目で追った。


「飾りなんか、とっくにできているんだよ。あとは君が望むだけだ」


 踵を返して、姫は逃げ出した。

 自分はもう二度と、あの沼へは行かないだろう。

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