2・ヴォドニーク

 ヴォドニークは、溺死した人間の魂を壺に閉じ込め、水底の館に集める魔物だ。

 どの池や川、沼や湖にも一人はいて、伝えられる姿は様々だった。


 ある時は、緑の髪と肌を持つ青年。

 ある時は、長い顎鬚をたくわえ、びしょ濡れのコートを着た老人。

 カエルの姿で人をおびき寄せることも、あるとか。


 白ユリ姫は目を覚ました。

 乾した水草を幾層も重ねて織ったらしい、柔らかな敷物の上に寝かされていた。

 大輪のアスターを水晶で模したような天井が、遠くに見える。

 どこもかしこも薄青い、ちらちら揺れる光に溢れて、水の中のようだ。


 シュ、シュと、何かを削る音がした。


 身を起こすと、反対側の壁際に椅子と作業台が置かれ、少年が一人、こちらに背を向けて腰かけているのが見えた。

 少年は手に四角い木板を持ち、めつすがめつしてから、作業台の上に戻す。すると再び、シュ、シュ、という音が聞こえてくる。

 薄い木屑がリボンのように、くるくると床に落ちるのが見えた。


 その子の髪色は、濃い緑に見えた。

 手や首筋は、普通よりも青黒く見えた。


 白ユリ姫は起き上がり、足音を忍ばせてそっと歩み寄る。

 シーッと静寂を促す音を、少年が唇から漏らした。


「今、いいところなんだ。板と板が釘なしでぴったり組み合わさって、少しも歪みのない箱になる……ほら、できた」


 得意満面で振り向いた彼の肌は、ずっと寒い場所に閉じ込められていた人のように、暗い青みを帯びていた。

 けれども、目が生き生きと輝いているので、寒いわけではないのだとわかった。

 その色は、落ちる寸前に見た沼の、一番深いところにあるあおだ。


「あなたはヴォドニーク?」

「他の誰が、こんな沼の底の館に棲むかな」


 やはりここは、魔物の館なのだ。

 思わずゾッとしたけれど、目の前のヴォドニークは自分と同じくらいの年恰好で、麻のシャツに吊りズボンという、村の男の子と変わらない服装をしている。お陰で姫は、それ以上の恐怖を感じなかった。


 作業台の上には、両手の上に乗る大きさの、四角い木の箱が置かれている。

 その傍らに白ユリのブローチがあるのを見て、姫は「あっ」と声を上げた。


「そのブローチ、私のなの」

「召使いのカエルが拾ってきたんだ。綺麗なものを持って来いって、命令しておいたからさ。だって、この小箱を飾るのに必要だろう?」


 手を伸ばすと、ヴォドニークはブローチを掴んで、背中に隠してしまった。

 白ユリ姫は唖然とした。


「困るわ、返してくれないと……」

「僕だって困るさ。せっかく綺麗なものを見つけたのに」

「それ、お母様の形見なのよ」

「形見ならいっぱいあるから、好きなのを持って行っていいよ」


 そう言ってヴォドニークは、壁の隅にある小さな扉を開けた。

 中に入ると、そこはダンスホールのように広くがらんとした部屋で、真ん中の床にうず高く、何かが積み上げられていた。


 近くまで行ってしげしげと眺め、白ユリ姫は息を呑む。

 衣服、鞄、靴、ナイフ、鍋や籠など、全てが雑多な人間の持ち物だった。

 その合間に壺、壺、壺、壺。どれも割れたり欠けたりしている。

 

 きっと、沼に溺れて死んだ人の持ち物だと、姫は思った。

 壺には、その人たちの魂が閉じ込められていたに違いない。

 でも、どうして壊れているのだろう。


「嫌になったんだ。誰彼構わず魂を集めて何になる? もっと僕だけの、たった一つの美しい魂が欲しくなったんだ。それで、壺に随分集めてたんだけど、全部壊したんだよ。この沼に繋がる道も、すっかり隠してね」


 白ユリ姫は恐ろしくて口が利けなくなった。同じ年恰好だから安心だなんて、とんでもない。このヴォドニークは、ずっと昔からこの沼に棲んでいたのだ。


「そんな顔をしないでよ。いくら僕でも、死ぬ運命にない魂は集められないよ」


 ひょいと肩を竦めて、ヴォドニークは荷物の山から何かを摘まみ出した。

 拳ほどもある大きな赤い宝石のついた、ネックレスだ。


「さあ、これをどうぞ。あのブローチよりずっと高価だろ」

 ついでに金貨の入った革袋を掴み、ざらざらと中身を掌に出してみせる。

「これもあげる。僕が持っていたって使えないもの」


 白ユリ姫はすっかり怯えて後ずさりながらも、首を横に振った。

「私が大事なのは、お母様の形見の、あのブローチなの……」


 ヴォドニークは金貨とネックレスを後ろに放り投げた。

 沼の底の碧い目が、じっと白ユリ姫を見つめた。


「そうか。君が大事にしているから、あのブローチは綺麗なんだな」

 そのまま腕組みをして何か考え込み、しばらくしてから口を開く。


「返してもいいよ。代わりに、君が綺麗だと思うものをくれたらね」

「え……」

「あの小箱をとびきり素敵にしたいんだ。たった一つの僕だけの魂を、自分の手で作った美しい小箱にしまうんだよ。特別な飾りが必要なんだよ」


 それ以上は譲れないといった口調だ。仕方なく、白ユリ姫は頷いた。

「わかったわ」


 ヴォドニークは姫を沼のほとりまで送ってくれた。

 不思議なことに、衣服はちっとも濡れていなかった。

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