第24話 やることをやった朝

 カーテンの隙間から見える光。腕に感じる重み。少し肌寒い全身。

 目が覚めたときの感想はそれだった。

 ボーっとした頭にはその情報しか――いや、その情報のみを考えさせていた。


 なぜかって?

 理由は隣を見ればすぐに分かる。が、見たくない。


 なぜかって?

 思い出したくないことがあるからだ。


 誰の問いに答えているのかも分からない答えを頭に思い浮かべながらも、しっかりと昨夜の記憶は脳内に刻まれていた。

 ファーストキスをあげてしまったあの光景も、舌を入れられた感覚も、胸を触った感触も、童貞を捨てたあの瞬間も、全て脳内に刻まれている。


 結局流れるままにやってしまった。この女の誘いに完全に乗ってしまった。

 いや俺はちゃんと止めようとしたぞ?自分の感情をコントロールしようとしたんだぞ?

 でもあれは無理だろ……。


 思い出すのは顔の横にゴムを持っていった中越の姿。

 顔を赤くした中越はとろけるように目尻を下げ、はだける服は己の下着を見せびらかせていた。

 そんなものを見てしまっては抑えれるものも抑えれなくなり、お姫様抱っこをしてしまったわけだ。


 確かに俺にも落ち度があると思う。抑えきれなかった俺にも落ち度があると思う。が、あれは誘いすぎだろ!いやまぁ俺だって暗殺のために襲おうとしてましたけど!でもまさかお前から誘われるとは思わんだろ!


 自由に扱える右手をデコの上に乗せ、鮮明に映し出される色々な中越の姿を消そうとする。

 だが、どう足掻こうが消えてくれない。あの声。あの顔。あの仕草。隣のやつの全てが頭の中に残る。


 それに、1回戦で終わらずに3回もやってしまった自分に怖気すら感じていた。

 1度目は言うまでもなく由美さんが持ってきたゴム。そして2度目は俺のゴム。3度目はなぜか持っていた中越のゴムを使って。そしたらいつの間にか寝ていたわけだが……もし寝ていなかったらまだ手を出していただろう。

 そうと感じてしまうほどに俺の体力……いや、俺達の体力は有り余っていた。


 本当に昼間に体力を使っててよかったと思った。

 心底暗殺に知恵を回しててよかったと思った。

 もしあのまま続けていたら……うん、考えないでおこう。


 反応してしまいそうになるものを抑えるためにデコにある手で頬をつねる俺は思考を停止させる。


「……てか、俺が持ってきたやつ使ったじゃん」


 行為中はこいつを暗殺しようという思考は持ち合わせてなかった。それどころか我を忘れていた気すらする。

 だが、結果的には俺が持ってきたゴムを使い、ジェル状の毒を体内に押し入れることに成功している。

 つまり、俺の暗殺デビューは成功したということだ――


 喜びからだろう。思わず右手を上げてしまいそうになる俺だったのだが、隣の女が身体を起こしたことによってこの手は止まってしまう。

 それどころか表情までもが固まってしまった。


 今、俺の目線の先にいるのは寝癖を立て、まだ眠たそうに目を擦るシーツを纏った女性。

 あのシーツのしたには下着もなにも付けていない透明な肌があるのだろうが、今はそんなことを考えている暇はない。


 ――な、え?起き……え?毒が効いてない?いやいやいや……え?ちゃんと装着して入れたが?ちゃんと入れた感覚も覚えてるが?それなのに効いてない?え?なんで?


 ただパチクリと瞬きをすることしかできない俺の脳は膨大な情報を抱えていた。

 そしてやっと頭が冷めたのだろう。どこを見ているのか分からなかった中越の眼は俺の目を捉えると――ボフッと顔を赤くして力強くシーツを握った。まるで自分の身を守るように。


 そんな光景、そんな情報を今の俺の脳が当然処理しきれるわけもなく、ただ呆然と中越の目を眺めることしかできなかった。


「な、なによ……」


 始めに口を開いたのは俺の気も知らない中越。相変わらずに顔は赤く、その場から動こうとはしない。

 だが、それでもこの中越の言葉が、エラー落ちした俺の脳内を再起動してくれた。


「……昨夜は随分と、積極的でしたね……」

「――っ!」


 刹那、赤かった顔が更に赤くなり、声にならない声を上げてベッドに顔を埋めてしまう。

 俺だって口を開いた瞬間これは間違ったなと思った。おはようの方が良かったなって思った。が、言ってしまったものは仕方がない。

 再起動したてで頭が動いてないのだ。許せとは言わないが――というか実際にそうだったから訂正する気はこれっぽっちもない。


 だって最初に舌を入れてきたのはこいつで、離さないと言わんばかりに身体をホールドしてきて、『早く』って急かしてくるんだぞ?

 この言葉に嘘はひとつもない。


「着替えるからちょっとそのままでいてく――」


 悶え苦しむ中越を横目にそう言葉を口にして身体を起こそうとした瞬間だった。

 少し顔を上げた中越は、しびれの取れた俺の左腕を、獲物を逃さまいと言わんばかりにがっしりと掴んできたのだ。


「な、なんだよ……」


 身体を止め、思わず首を傾げてしまう俺だったのだが、中越の口から飛び出す言葉に目を見開くほかなかった。


「――ゴム持参してたくせに……」

「な、は!?お前だって机ん中隠してたじゃねーか!隙があれば誘おうとしてたんだろ」

「あ、あれは違う!お父さんから貰っただけで……」

「はっ、どうだか。あんだけ積極的だったやつの言葉なんて信じられねーよ」


『積極的』という言葉を強めて言ってやれば、耳まで赤くした中越はブンブンと俺の左手を振り回してくる。


 シーツがかかっているとは言え、裸同然の男女2人が朝からなにをしてるんだとツッコミを入れられたらそこまでだが、この会話には負けられない戦いがある。

 もし、ここで揚げ足を取られてしまえば今後ずっと言われることだろう。もし、暗殺者であることが信用されなくても、この件はすぐに信じ込むだろう。


『仁村くんは中越さんとそんなにしたかったんだ』『結局できたの?』なんていう言葉が容易に想像できてしまうからこそ、ここで揚げ足を取られてはいけないのだ。

 幸いなことに今は俺が一歩リードしている。この状況を死守したいところだが……まぁこの感じだと余裕で行けそうだな。


 捻り出した言葉がこれの時点で俺の勝ち。

 もし道連れにされたらかなりまずいかもしれないが……それでも俺の勝ちだ。


 そう確信した俺は自由に動かせる右手で力を込めている中越の手首を掴み――瞬間、分かりやすく中越の肩が跳ねた。


「な、なんだよ……。そんな驚くことじゃねーだろ……」

「……別になんでもないし」

「嘘つけ」


 深掘りされたくないのだろう。

 プイッと顔を背ける中越は素直に手を離してくれ、アルマジロのように身体を丸くする。

 そんな光景を横目に、シーツをのけた俺はベッドから足を下ろし――嫌なぶつを踏んだ。


 表面は摩擦で滑らないはずなのに、内側がドロっとしているせいでいやに滑る物。

 そんな物にキリキリと、錆びた機械を動かすかのように顔を向ける俺は――デコに右手を打ち付けた。


「……すまん。中越」

「え?」


 俺の謝罪がそれほどまでに意外だったのか、呆けた声が耳に届く。それと同時にシーツが擦れる音が聞こえ、左手が指す方向へと目を向ける中越は――


「――あっ、ちょ!なにして……というか早く着替えて!!片付けたいから!!!」

「はい!」


 柄にもない返事をする俺は慌てて立ち上がり、地面に転がっている下着と服をかき集めてそそくさと着替え始めた。

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