第22話 考えるのをやめた
2回のノックの後、突然聞こえてくるお母さんの声。上げようとしていた顔はピタッと止まり、思わず肩を跳ねさせてしまう。
きっと仁村も同じような反応をしたのだろう。身体が跳ねるのが視界の端に映った。
「な、なに?なんか用?」
「用ってほどじゃないんだけど、彼氏くんと2人きりになったらあれが必要だなぁって思ってさ〜」
「「…………」」
『彼氏じゃない』とツッコミを入れるのを忘れるほどに頭が回らなかった――いや、それ以上に母親の手に持ってる
言葉では『あれ』と濁していたものの、隠そうともしない物は銀色に輝き、正方形の入れ物の中からは丸いシルエットがしっかりと見える。
そんなものを自分の母親が持っていたら誰だってそちらに意識が向いてしまうのは自然なこと。
だから私達はただ無言で、お母さんの手元を眺めることしかできなかった。
「それじゃあ机の上に置いとくからね〜」
ピクリとも動くことができなかった仁村の隣を通り、ニヨニヨと笑みを浮かべたお母さんが机のど真ん中にただひとつの避妊道具を配置する。
「それじゃっ、楽しんじゃって〜」
そんな言葉を残したお母さんは嵐の如く颯爽と扉を閉めて部屋を去っていく。さすれば訪れるのは当然の静寂。
2人して避妊道具を見やるが身体は動かない。それどころか私の思考は停止している。
先ほどまでの葛藤が嘘かのように静まり、ただ無駄に身体が熱いだけ。
会話を試みようとした思考すらも消え去り、唖然とする私達の間には気まずさだけが残った。
「えーっと……愉快な母さん……だな?」
そんな気まずさを切り裂いてきたのは仁村の困惑の言葉だった。
絞り出すような声で、違和感が残る声。けれど、今だけはどんな声でも許される。だから、私も続けて言葉を紡いだ。
「う、うん……私もずっと思ってる」
「ずっとなんだな……」
「うん……」
相手の目は見れないし、この気まずさは拭えない。
でも、癪にもこうして仁村が気まずさを拭おうとしてくれている。なら私だって負けていられない。
小さい頃からお父さんに鍛えられた演技力でこの気まずさを打破してやる!
おもむろにベッドから腰を上げた私は何度か頬をこねくり回して表情を緩くさせる。
そしてひとつ咳払いをし、ギュッと仁村の裾を掴んだ。
「そろそろ……寝よ?」
込み上げそうな感情を抑え込み、仁村の目をしっかりと捉えた言葉。
そんな言葉に続くように空いた手でお母さんが持ってきた避妊具を取り、仁村がこちらを見てくるのに合わせて顔の横に持っていく。
「こんなの使わなくていいから……さ?」
悪戯っぽい笑みを込め、冗談めかしの言葉を並べた今の私にできる最大限の演技。
けれど……それが仇となってしまった。
私と目が合うや否や右手をデコに叩きつけた仁村は何度か深呼吸をし、左手を私の肩に添えてくる。
「お前それ……いや……うん……」
なにを思ったのだろうか。その時の私にはなにも理解できなかった。というか、理解する時間がなかった。
なんてたって、言葉が終わった瞬間仁村は私の脇と太ももに腕を回し、軽々とお姫様抱っこをしまったのだから。
「ちょっ!?」
口では驚きが溢れ出てしまったものの、内心では抑え込んでいた感情が溢れ出していた。
まるで堤防が壊れたダムのように身体中の血を騒ぎ立て、ゾクゾクっとした感覚が身を襲ってくる。
けれど、これが嫌だなんて思わない。
むしろ求めていたようにも感じてしまうほどに、私の身体は彼へと預けてしまっていた。
そして感じる。彼の筋肉が――彼の体温が――彼の鼓動が。
胸に耳を当てなくても、肌で感じてしまうほどに彼の鼓動は強く、早い。
そんなのを聞いてしまえば色々と察してしまう。この後になにが起こるのか、私はどんなふうになってしまうのか。
分かっている。けれど、身体が抵抗しないのだ。嫌だと思っていないのだ。ここまで来てしまえばもうどうすることもできないのだ。
ボフッと背中からベッドへとダイブさせられた私は自分の鼓動なんぞに目を向けず、はだける服を整えることもなく、ただジッとこちらを見下ろす仁村と目を合わせていた。
『私はここから動かない。好きなようにすれば』という念を込めて。
怖いと思っていたのは何だったのだろうか。怖気づいてしまった理由は何だったのだろうか。
そう思ってしまうほどに、私は今、この男に身を委ねようとしている。
「……折角我慢してやったてのに」
「……私だってそうだもん……」
「……そうかよ」
プイッと顔を背ける私の手首に、逃さないと言わんばかりに手を押し当ててくる仁村はリモコンを操作して電気を消す。
初めて来る場所なのによく分かったね、と問い詰める思考なんて持ち合わせていない。
今の私はまるで求めていると言わんばかりに抵抗をしない少女。自分から襲うと誓ったくせに、相手から襲われるか弱い少女。
暗殺者としては失格と言わざるを得ない状況なのだが、これでもいいと思ってしまっている自分がいた。
普通の女の子として、か弱い少女として、平凡に生きてみるのもいいと思ってしまっていた。
そんな思考が少なからずあったから、多分私の脳は考えるのをやめたんだと思う。
軽くなった顔が自然と彼の方へと向く。さすれば彼と視線が重なった。
徐々に近づいていくこの口とあの口。
相手の呼吸なんて意識しなくても、相手のことを見なくても、なんとなく彼との距離がわかってしまう。
なにも考えなくても――私のファーストキスは奪われてしまった。
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