第19話 本当に会いました

 会計を済ませ、イタリアンレストランを後にした俺達は、いつの間にか暗くなった歩道を歩いていた。


「ありがと〜!美味しかったよ!」


 俺が奢ったからか、はたまたカルボナーラが美味しかったかは分からないが、ずいぶんと笑顔な中越。

 そんな中越とは裏腹に、帰りたくないという気持ちが募る俺は重たい足を動かしていた。


「おう。親とかとまた来いよ」


 先ほど中越と話していた電話相手のことを思い出しながら紡いだ言葉。

 本当なら今すぐにでも暗殺したいのだが、生憎ネタが無い。


 ……いやまぁ一応1つだけあるんだけど、その状況に持っていくのがあまりにも難しい。

 だからこの暗殺はなしで、俺がなにか思いつくまで平和な人生を歩めば良い。


「分かった〜」


 なんて、フワフワとした言葉だけが俺を取りすがる。

 まるで煽り立てるかのように、満面の笑みで、腰の後ろで手を組んだ中越は顔を覗き込んできた。


 刹那、苛立つ感情が身を包んだが、すぐに微笑に変えて口を開く。


「なんだ?顔になにかついてるか?」


 クシクシと手の甲で口周りを拭く俺だが、特になにもついていない。

 だったら何なんだろうか?なんていう演技を見せながら瞳を見つめ返す。


 さすれば、若干頬を赤らめながらスッと視線をそらす中越は言いづらそうに、


「その……きょ、今日は……楽しか――」


 瞬間だった。

 中越の言葉を遮り、背後から現れた影が、突然俺の肩を組んできたのだ。


 そんな姿に目の前の中越も目を見開いているが、きっと俺も同じような顔をしているだろう。

 ……だって、俺が気づかなかったんだから。


 まだ暗殺を成功させてないとはいえ、暗殺者になるレベルに達する能力は持っている。

 それこそこいつの前で警戒心を解くなどもってのほか。

 だから気づくはずなのだけれど……一切この女性――中越の母親の存在に気づくことができなかった。


「――やっぱり会ったね〜」

「お、お母さん!?」


 第一印象は今の中越同様にホワホワとしたイメージ。

 そしてお酒を飲んでいるからか、アルコール臭がすごく、隙だらけの身体はグダーっと俺にもたれかかっていた。


 確かに今の中越とは似ているが、総合的に見れば似ても似つかない。

 普段から隙があまり見えない中越とは全く違う女性の雰囲気に、失礼ながらも本当に親子か?と思ってしまった。


「はーいお母さんだよ〜」


 腕を大きく上げ、子どものように大きな返事を返す中越のお母さんは更に体重をかけ始め、


「んにしてもやっぱり彼氏くんイケメンだね〜」

「お、お母さん!?てか彼氏じゃないよ!?」


 普段からは想像のつかない戸惑いっぷりを披露する中越は俺の背後へと回り込み、グイーっと母親の身体を引っ張り出す。


 この状況に色々と突っ込みたいところはあるのだが、うん。色々と思考が追いつかん。

 なんで中越の母親がここにいるのかも、なんでこの人が俺のことをも。


 まぁ百歩譲って飲み帰りに出くわした、というのは分かる。が、『やっぱり』という言葉は俺のことを認知しているという意味を指す。

 じゃあなんで俺のことを知ってる?俺はこの人と出会ったこともなければ見たこともない。


 中越の反応からしても元々言ってたとは考えにくいし……というか、中越が言うとは思えんし、この慌てっぷりからしても予期していなかったことなのだろう。

 だから分からない。なんでこの人が俺のことを知っているのか。


「そんなこと言っちゃて〜。照れ隠しなんでしょ〜?」

「違うから!ほら、仁村くんも抵抗して!」

「お、おぉ……」


 相変わらずグイーッと引っ張る中越の言葉で我に返った俺は、体重をかけてくる中越のお母さんを押し返す。

 さすれば以外にも簡単に取れてしまい――


「――わっ!」


 勢いが余ったのだろう。

 母から手を離してしまった中越はバランスを崩し、情けない声を上げながら背後へと倒れていこうとする。


「あぶな……」


 そんな中越が尻餅をつく前に背中へと手を回してやった俺はほっと息を吐いた。

 別にこのまま倒してやっても良かったのだが、自分の母親の前で盛大にコケるのは恥ずいだろう。そう思っての手助けだったのだが……逆効果だったみたいだ。


「あらあらまぁまぁ〜。そんな母親の前でイチャつくだなんて〜」


 右頬に手を当て、ニヨニヨと笑う中越の母。

 そして「男の子なんだからっ」と言いたげに俺の肩を叩くや否や、目を見開く中越の耳元へと口を持っていった。


「(彼の腕、ゴツゴツしててカッコいいでしょ?)」


 手で口元を隠す中越母なのだが……


「……聞こえてます」

「聞こえるように言ってるの」


 手の下からも分かるほどにニヨニヨと笑う中越母。なのだが、隣の――俺の腕に身体を預ける中越本人はというと、何を想像したのか耳まで真っ赤にしてパチクリと瞬きさせていた。


 ……こいつ、ほんとこういう時ピュアだよな。

 いやまぁ俺も恥ずいんだけど、耳まで真っ赤にさせるほどではない。中越同様にお腹に当たる柔らかいものだとか、太ももに当たっている部分だとか、色々と身体に当たっているのだが、こいつほどではない。

 だって中越相手だぞ?脅されてる相手にそういう気持ちが湧くわけ無いだろ。


 ジトーっと湿った視線を向ける俺に対し、中越だけはまなこを泳がすばかり。

 そんな姿が母親にとってはさぞ面白いのだろう。

 ニヤつきを止めることのない中越母は人差し指で俺の二の腕を突いてくる。


「ほーら。かったい」


 まるでハートマークがついてきそうな言葉。そして18漫画に出てきそうなセリフ。

 なにがなんでも酔っているとはいえ、娘の前で言いますかね?なんてことを思いながらも苦笑を浮かべるだけ。

 そうすれば、小首をかしげる中越母はこちらを向き、


「あれ?彼氏くんは女慣れしちゃってるの?」

「してないっすよ。ただ、こういう時はとりあえず無視しとけってお父さんが言ってたので」


 あははと空笑いを浮かべながら言葉を返す。刹那――


「あーね?あの人なら言いそ〜」

「……あの人なら言いそう?」


 酒の勢いなのだろうか。はたまた隠すことでもないと思ったのだろうか。

 父さんのことを思い出しているのか、斜め上を眺める中越母は確かにそう口にした。現に、俺の問いかけに対して「うん〜」とホワホワとした笑みで答えてきているのだから。


「え、待って?私そんな事聞いてないよ?」

「だって言ってないもの」


 これまで固まっていた中越でも、この事実は聞き逃さなかったらしい。

 いつもどおりの顔色に戻った中越は「ありがと」と単調な言葉を口にし、俺の腕を使いながら体制を立て直す。

 色々とこいつにツッコミたいところがあるのだが、今は中越母と父さんの関係性のことだ。


「父さんと結構仲いいんですね」

「そうなのよ。それこそちっさい頃に彼氏くんと会ったことあるのよ〜?」

「私、そんな事聞いてないよ……?」

「だって言ってないもの」


 親子揃って同じような会話をするが……そうか……。だから俺のことを知ってたのか……。

 中越母のカミングアウトのお陰で突っかかっていた疑問が晴れ、けれどそれと同時に別の疑問が募った。


 俺の記憶が正しければ、この人と出会った記憶は無い。

 現に、この人の名前も知らなければ顔も知らない。昔に出会っていれば面影のひとつあるはずなのだが、全く持ってないのだ。


 ということは、俺とこの人が会ったのは記憶が安定しない3歳よりも前……?ならまぁおかしなことではないのだが、もしそうだとしたら中越とも会っている可能性がある。

 だって3歳の子を1人にしないだろ?叔母に預けたとしても、かなり仲が良いということは子どもを紹介することだってあるはずだ。つまり――


「――そだっ。今日うちに泊まりに来ない?」


 思考に浸る俺なんか他所に、ポンッと手を叩いた中越母はそんな言葉を提示してきた。

 さすれば、当然のように俺だけでなく中越までもが目を見開き、


「お、お母さん!?何言ってるの!?」

「えぇ?いい提案だと思うんだけどなぁ?」

「だって仁村くんだよ!?女友達ですら家に呼んだことないのにいきなり異性を泊まらすなんて……!」

「彼氏なんだから良いじゃん〜」

「だから違うって!」


 俺の肩を組み「ねぇ彼氏くんもいいでしょ〜?」と口にする中越母なのだが、当然俺も中越と同意見なので横に首を振る。

 というか家に友達呼んだことないのかよ。いやまぁ俺もないんだけど、その性格でないまじか。

 なんて、今の状況とはかけ離れた思考を脳裏に浮かべる俺は、ぷくーっと頬を膨らませる中越母に言葉を紡ぐ。


「何を言われようが泊まるつもりはありません。そもそも服もないですし、父さんに怒られます」

「服は夫の服を着ればいいのよ?」

「それでも父さんに怒られます」


 父さんのことをよく知っている中越母なら分かってくれるはずだ。父さんがおっかないことも、泊まりを許さないことも。

 同乗を促す作戦――だったはずなのだが……


「それならだいじょーぶ!」


 満面の笑みで親指を突き出す中越母は、ポケットからスマホを取り出す。

 何が大丈夫なんだ?なんてことも言おうとしたのだが、有無を言わさず操作し始めた中越母は耳にスピーカーを押し当てた。


 けど、俺は知っている。父さんが多忙なことも、母さん以外の女性の電話にでないことも。

 暗殺者だからかは知らないが、母さんは結構束縛が激しい人だ。

『私以外の女性と話さないで』だとか『私以外の女性のメールを消して』だとか。暗殺業で女性と関わる度に母さんはそう口にする。


 だから電話に出ないことは分かっていた。分かっていたはずなのにも関わらず、ワンコールもしないうちにスピーカーからは父さんの声が聞こえてきたのだ。


「今日、うちに息子泊まらせてもいいよね?」


 あまりにも少ない言葉。聞く人によってはまるで理解できない言葉のはずなのに、すぐに意図を読み取った父さんはひとつ返事で断――


「――いいぞ」

「父さん!?」


 まさかのひとつ返事で許可を出してしまった父さんの声はスピーカーから消え去る。

 まるで嵐のような一瞬の出来事に、ただ唖然と口を開くことしかできなかった。


「ほらね?大丈夫だったでしょ?」

「い、いやいや……。父さんじゃない可能性も――」


 父さんの声なことぐらい分かっている。けど、信じたくなかった。

 母さん以外の電話に出ることも、簡単に許可を出したことに対しても。だからせめてもの足掻きをみせようとするのだが、俺の行動は読まれていた。


 言葉を遮るようにスマホを突き出してきた中越母は、通話履歴にある父さんの名前、そして一言一句の間違いもない電話番号を自分の口で読み上げてきたのだ。


 そんなことをされたら歯を食いしばることしかできず、開こうとした口を閉ざす。が、まるで敵キャラとの共闘のように手を差し伸べてくる中越はキリッと母親に目を向け、


「そもそも!お父さんは許可したの?」

「してるよ〜」


 これまた行動を先読んだように「ほら」とスマホを中越へと突き出す中越母。

 俺からは見えないが、たぶんあのスマホには『いいぞ』だとかの言葉が書かれているのだろう。呆気なく撃沈してしまった中越を見ればなんとなく想像がついてしまう。


 ……つまるところ、今の俺は袋のネズミってことだ。

 父さんにも許可を得られてしまえば俺とて逆らうことも出来ない。そしてここからにげようものなら父さんからは『暗殺者失格だな』と罵られ、俺の存在を知っているこの女からは『ダッサ』と嘲笑われるだろう。


 んまぁ……暗殺に失敗して家に帰りにくかったから見ようによっては助け舟とも捉えることはできるけど……。さっき諦めた暗殺もできるかもしれないけど……。それでもこいつの家だぞ?手を繋げって脅してくるような輩の家だぞ?

 暗殺者の父さんがいなくとも普通に断りたい。それくらい嫌なのだが……満を持すか……。


「わかりました。泊まります」

「仁村くん!?」


 当然の裏切りの言葉に、母親に向けていた目をこちらに向けて見開いてくる。


「……苦渋の選択なんだよ」

「苦渋なら最後まで粘ってよ!」

「どう見ても八方塞がりだろ!頷くしかなくないか!?」

「諦めたらそこで試合終了!」

「負けが確定している試合もあるんだよ!」


 先ほどまで共闘していた仲間とは思えない言い合い。お互いを卑下する訳では無いが、責め立てる口は変わらない。


 確かに中越の意見も一理あるが、これは後者である俺の意見が正しい。

 これは確実に負けの戦いだ。中越もお父さんに賭けていたようだが、その頼みの綱が切られた今、俺等に抵抗の余地などない。


 だったら、ここで諦めてさっさと家に行って身体を休めたい。

 もし、あれを実行するならかなりの体力がいるはずだから。


「まぁまぁ、彼氏くんも来るって言ってるんだし早く行こ〜」


 そんな俺の意図を読み取ってくれたのかは分からん。けれど、タイミングよく口を挟んできた中越母は中越の手を掴んで引っ張るように歩き出す。

 中越自身はまだ物言いたげに目を顰めていたが、そんなのには当然無視を決めて後ろを歩いた。

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