第6話 暗殺者のお父さんと一般人のお母さん

「順調か?」


 早朝の5時のこと。

 下味をつけておいた鶏肉やらミニトマトやら卵やら、冷蔵庫から食材を取り出した私に、リビングの扉をくぐってきたお父さんが言葉をかけてくる。


「はい、順調です」


 悠然と言葉を返す私は腕まくりをし、しっかりと石鹸で手を洗う。


「相手はどんなやつなんだ」

「同じクラスで隣の席の仁村秀哉。感情はあまり表に出さず、冷淡な言葉が印象的ですね」

「そいつと話したのか」

「はい。交流を図った結果、友人となり、そこから暗殺を目論んでいます」

「そうか」


 薄暗いリビングの中、キッチンを照らすライトだけが私たちの空間を区切る。


 ドカッとソファーに座るお父さんは相変わらずの無表情。

 たった今帰ってきたことから察するに、仕事を終わらせてきたのだろう。


 吊るされてあるタオルで手を拭いた私はサンドベージュカラーのエプロンを首にかけ、キュッと腰の後ろで紐を結ぶ。

 このエプロンは1年前、お母さんから誕生日プレゼントとして貰ったもの。


 けれど貰ったのはいいものの、料理をすすんでやりたがらない私はタンスの奥底にこのエプロンをしまい込んでいた。

 とまぁ、そんなエピソードがあるエプロンだけれど案外可愛いかも?


 口に黒いゴムを咥え、髪を束ねながら自分の胸を見下ろす。


「仁村秀哉と言ったか?その男に弁当でも作るのか」

「はい。私の手作り弁当に毒薬を盛り、暗殺を図ろうかと思っております」

「そうか」


 私の好きにしろと言いたいのだろう。

 腕を組み、瞳を閉じるお父さんはそれっきり口を開くことはなかった。


 髪を結わえ終えた私は収納棚からフライパンを取り出し――


「あら?起きるの早いわね?」


 ――再び扉が開かれ、姿を現したのは寝癖で髪がボサボサのお母さん。

 後頭部を掻き、服の中に手をいれる姿はなんというか……みっともない。


 どうしてが暗殺者のお父さんなんかと結婚できたのか未だに不可解なのだけれど、こんなお母さんの姿に庇護欲でも湧いたのだろうか。

 正直言って、お母さんの顔は良すぎるほどで、スリーサイズも申し分なし。


 お父さんがそんな欲に負けるようにも思えないけど……恋は盲目というからなんとも言えない。


「お弁当作るためにね」


 本懐は言わず、あくまでも大まかなことだけを伝える。

 お母さんが暗殺者でない以上、私とお父さんのことを話すわけには行かない。


 それが理由で離婚して、訴えられ、逮捕されるかもしれない。

 お父さんに隠せとは言われてないけれど、口出しされてない以上私の行動は正しいのだろう。


「もしかして彼氏?入学して間もないのに早いわね〜」

「違うよ。友達」

「えー?絶対彼氏でしょ」


 とまぁ、こんな感じでお母さんはごく一般女性の一員である。

「違うって」と軽くあしらった私は揚げ鍋に油を注ぎ、火を付けた。


 そしてボウルの中で下味をつけておいた鶏肉を取り出し、片栗粉を付けて――


「あーあーあー、ちょっと待って。まだ油が温まってないよ」

「え?」


 ――慌ててこちらにやってくるお母さんは私の手首を掴み、ゆっくりと鶏肉をボウルへと戻してくる。


「入れるのは油が温まってから。そういえばまだ油料理は教えてなかったわね。良い機会だから教えてあげる」

「え、あ……うん」


 曖昧な返事を返す私からそっと手を離したお母さんは袖を捲り、手を洗い始めた。


 料理が得意だと自負してたけど……うん、油料理は例外ということで。

 もちろん炒め物だとか煮物だとかはできるんだよ?それこそお母さんから教えてもらったことはちゃんとできるんだよ?でも今回は教えてもらってなかっただけで……。


「それじゃあ彼氏のためにも頑張ろっか」


 心のなかで言い訳をする私なんて他所に、悪戯っぽく笑うお母さんは吊るされてあったエプロンを手に取り、首にかけた。


「だ、だから彼氏じゃないって」

「はいはいそういうことにしてあげる〜」

「もう……」


 美沙にもしている通り、お母さんの前でも演技をしている。

 けれど、たまに揚げ足を取ってくるお母さんは私のことをいじってくる。

 その都度どう言葉を返せばいいのか分からなくなって、調子が狂ってしまうのだ。


 これも経験なのかな?

 私もお父さんみたいに仕事をこなせるようになったら調子が狂うことがなくなるのかな?


 なんて、淡い期待を胸に秘めながらお母さんの説明に耳を傾けた。

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