第2話 隣の席の男子に暗殺者だということがバレた
このあたりじゃ1番高いビルの屋上。
ポケットに隠し持っていたサプレッサーピストルをやおらに手に取る私。
私は今日、人生で初めて人を殺める。
物心着いた頃からお父さんに暗殺術を教わり、拳銃の扱い方を教わり、演技を教わり。
そして今日、高校の入学を機にここに立っている。
初めての暗殺。されど、正直言って外す気はこれっぽっちもない。
拳銃とは逆のポケットからスコープを取り出し、慣れてしまった手つきで拳銃に取り付ける。
誰かを殺める覚悟なんて昨日のうちに済ませてきた。
暗殺者というものがバレないということも、今朝学校で判明した。
怖気付く意味なんてひとつとしてない。
冷たい石床におしりを着け、膝を立てて腕を置く。
スコープが振れないように、深く息を吸って鼓動を押さえ付ける。
初めての仕事は2kmほど離れたところを歩く40代男性。
娘を売ったことが理由で、暗殺対象に入ったらしい。
「……哀れなことね」
娘に対しても、そんな境地に陥った父親へのせめてもの同情。
おもむろに息を吐く私は、遠くに見える狙撃対象へと銃口を向ける。
この日本社会で暗殺者がいるなんて知れ渡ったらパニックに陥るなんて当然のこと。
けれど、平穏を守るためには致し方ないこと。
遠い昔、お父さんの部屋に忍び込んだ私は、とあるノートを盗み見てしまった。
何重もの金庫に入れられ、お父さんから教わったピッキングでやっと開けた際に見たもの。
『未来を豊かにするには人を殺める必要がある』
この言葉はノートの1ページ目にデカデカと書かれていた言葉。
今でもあの衝撃を忘れることはできない。
昨夜も、今日のことに怖気付いて寝れなかった時、その言葉を思い出して眠りについた。
私の心の拠り所であり、私の心の支え。
私の人生を狂わせた――いや、導いてくれる言葉をお父さんのノートが教えてくれた。
「……さて」
風が静まり、絶好の狙撃日和となった今日。
お父さんは下で待っている。『
暗殺者初日にしては少しハードルが高いとも思うけれど、1人前になるためにはこれぐらいのことは乗り越えなくてはならない。
敬愛するお父さんも、父方のおじいちゃんも、おばあちゃんも、みんな私が暗殺者になることを願っている。
だから失敗は許されない。
――心を押しつぶせ。
腕に頬を押し当て、狙撃対象が止まるのを待つ。
たっぷりの時間を使い、確実性を持たせるために。
そして相手が止まりそうな雰囲気を出した瞬間息を止め、がっちりと身体を静止させる。
この感じだと、初の暗殺は成功しそうね――
そう思ったのもつかの間。
狙撃対象が自動販売機の前で立ち止まり、お金を入れて缶コーヒーを買う。
けれど私が注目したのはそんな狙撃対象ではなく、
「――見られて、る?」
自動販売機の隣でビニール袋を持った少年が、眉に手を当てて目を顰めながらこちらを睨んでいたのだ。
いやいやまさかね……。あそこからここまでの距離が見えるわけが無い。
ましてや腰をかがめ、石壁のような服を着ている私を視認出来るわけが無い。
完全に乱れてしまった呼吸を何とかして治しつつも、スコープ越しに未だにこちらに視線を向ける少年を見やる。
買い物帰りと言ったところだろうか?袋の中はキャベツやら卵やら。
でもなぜ買い物帰りの少年がこちらを見る?
何度も自問自答を繰り返してみるが、その最中ですらあの少年は目をそらさない。
……本当に見えてるんじゃない?
というか、あの顔どこかで――
『暗殺者が見えるか』
――途端に少年の口からはそんな言葉が見て取れた。
こんな所まで声が届くわけがない。
でも、あの少年は確実に言った。私に向けて。『暗殺者』という言葉を!
慌ててスコープを取り外した私はポケットにねじ込み、階段へと繋がる扉を開いて駆け降りる。
まずいまずいまずい!バレた!私が暗殺者だってことがバレた!
というかなんで見えるの!?私ですらスコープがなかったら見えないんだよ!?
『暗殺者たるもの、一時だって心を焦らせてはならない』
これはお父さんから幾度となく言われて来た言葉。
だけど、こんな状況で心を落ち着かせることなんてできなかった。
せっかく心を殺したのに、せっかくお父さんの願いを叶えれると思ったのに、せっかく責務を全うできると思ったのに!
なんであの少年は私のことを見つけられるの!
むしゃくしゃする頭をかき乱し、寝癖のごとく髪を跳ねさせる。
私の勇気を返してよ!
今日のためにどれだけ心を殺したと思ってるの!どれだけ真面目に訓練に取り組んだと思ってるの!
知らないと思うけどね!私は物心ついたときからずっとお父さんに暗殺術を教えてもらってたのよ!
この暗殺デビューを成功させるために!!
途中からはエスカレーターを使い、受け付けがある1階に降りた私は、表情を取り繕いながら自動ドアを潜り抜ける。
流石にお父さんの前で感情を顕にさせるわけにはいかない。
私のお父さんは暗殺者としてかなりの実績を残している。
それが故に、私の感情が少しでも揺らごうものならすぐに顔を近づけてくる。
実の娘だから多少の情けはあるのかもしれない。
けれど、顔を近づけてくるお父さんは気味が悪かった。
注意したいのか、はたまた説教をしたいのか。
どちらにも取れるあの無表情は私の心を幾度となく抉った。
だから私はお父さんの前で感情を出すことをやめた。
それどころか、誰かに本当の感情を出すことをやめた。
お父さんに教わった通り、演技を貫くことにした。
「只今戻りました」
フロントドアを開き、お父さんに言葉をかける私は助手席に腰を下ろす。
さすれば、車にエンジンを掛けたお父さんが「おつかれ」と言葉を返してくる。
きっと、お父さんは私が暗殺を成功させたと思っている。
いつもとなにも変わらない表情だけれど、だからこそ分かる。
お父さんは私のことを逸材だと思っている。
でも、私は失敗した。
今日、初めての暗殺に失敗してしまった。
引き金も引くことなく、訓練の成果を発揮することもなく。
「お父さん。報告があります」
悠然と、悔しがる気持ちなんて押し殺し、前方を走る車を見ながら言葉を続ける。
「少年に見つかり、暗殺は失敗に終わりました」
『暗殺の世界では失敗など許されない』
これはお父さんのノートに書いてあった1文。その言葉がプレッシャーにもなったが、支えにもなった。
ギュッと拳を握る私は、殴られる覚悟すらもする。
親子であろうが、弟子は弟子。失敗したのだからそれぐらいの仕打ちは受けて当然。
なのだけれど――
「そうか」
――それだけだった。
車も止めず、青信号の下を潜り抜けるお父さんの口からはその一言しか出てこなかった。
「え?」と思わず呆けた声が漏れる私は、力を込めた指をほどき、勢いよくコンソールボックスに手をつく。
「な、なぜそれだけなんですか?私は失敗したんですよ?それに、誰かに私が暗殺者であることがバレたんですよ!」
私が暗殺者だということがバレた。即ち、この日本に暗殺者がいるということがバレた。
もしこの情報が日本中に知れ渡ってしまえば、お父さんの身にも危険が及ぶ。
確かに今朝、学校で暗殺者なんて早々に信じないことは確認した。
けれど、確実にあの少年は視認していたのだ。噂などではなく、自分の目で見てしまったのだ!
「そいつに暗殺者だということがバレても早々広まらん。安心しな」
「な、なぜお父さんはこの状況で悠然としていられるんですか!」
取り繕っていた感情なんて忘れ、無我夢中にお父さんのことを説得する。
まさか私がこんな感情的になるとは思っていなかった。
なんやかんやで悠然と、冷静で、演技を絶やさない暗殺者になれると思っていた。
けれど、今のお父さんは私が理想とするお父さんじゃない。
こんなの暗殺者一族としてふさわしくない。
失敗したのだからもっと私のことを叱って?相応の罰を与えて?
じゃないと私が納得できな――
「――そんなに心配ならその少年を始末したらどうだ?そしたら誰にも公言しないだろ。今日の尻拭いだと思ってやればいいさ」
冷静な言葉だけが車内に広がる。
確かにお父さんの言葉は理にかなっていた。
バレたのなら、始末してしまえば言いふらされることもない。
至ってシンプルな考えで、暗殺者としては当然の考え。
「では今すぐにでも出向いて暗殺を――」
「――ただし、拳銃を使うのは禁止。これはお前が求めている父さんからの罰だ」
顔も見ていないのにも関わらず心が読み取り、私の言葉を遮ってくるお父さん。
そんなお父さんに動揺を見せながらも、私は言葉を紡ぐ。
「た、確かに罰は求めてましたけど……」
拳銃を禁止するの……?
お父さんも知っての通り、私が得意とする武器は拳銃。
それこそ2km離れた小さな的を撃ち抜くことができるほどの腕前。
私の1番の取り柄と言っていいほどの拳銃を禁止するのは流石に……。
「なんだ?不満か?」
「い、いえ。そんなことはありません」
「だよな。ちゃんと考えて行動しろよ」
「……はい」
車を止めないのを見るに、今日は考える時間だと言いたいのだろう。
本当は今すぐにでも暗殺したいのだけれど……まずはこの感情を抑えないとね。
コンソールボックスから手を離した私はやおらに背もたれに体重を預ける。
鼻から息を吐きながら、高まった鼓動を押さえつけるように。
赤信号のひとつもかからない車のエンジン音を耳に入れながら、考えをまとめるためにそっと目を閉じた……のだけれど、精神を追い詰めすぎたのだろうか。
どっと押し寄せてくる眠気が一瞬にして身体に広まっていった。
それからの意識はない。
次に目を覚ました時は自分の部屋で、小鳥のさえずりがよく聞こえる早朝だった。
お風呂に入りながら、朝食を食べながら、通学路を歩きながら、ずっと昨日のことを考えた。
どこかで見覚えのあるあの少年は誰だったのか。どうやって始末しようか。そんなことをずっと考えていた。
そうして教室に入り、真っ先に目をやったのは私の席――の隣で友人と会話する少年。
あの時は冷静じゃなかった。
このぐらいのことならすぐに気づけたはずなのに、相当私は焦っていた。
だから今、確信できる。あの少年こそ昨日私のことを睨みつけていた人物だということが。
確か名前は
まぁ、名前を覚えたところで始末するのだから微塵の価値もないんだけど。
自分の席にカバンを置き、椅子を引いて腰を下ろす。
始末すると言っても、私ができるのは毒殺、もしくは刺殺のみ。
その中でも刺殺に関してはできそうにない。
なんでも、彼の筋肉の付き方は格闘技をしているものなのだから。
一応私も武道や護身術を教わったけれど、男子と女子では備わっている筋力量が格段と違う。
だから力技ではなく、頭脳――毒で彼のことを暗殺する。
そのためにも、ある程度の距離を近づけないといけない。
今こそ訓練を重ねた演技の見せ所よ、私。
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