暗殺デビューした初日、隣の席の子に暗殺者だということがバレてしまいました。まだ人は殺してませんが、真っ先にそいつを始末しなくてはなりません。

せにな

第1話 隣の席の女子に暗殺者だということがバレた

 絶景が見渡せるビルの屋上。

 心地よい風が頬をかすめていく。


 このあたりじゃ1番の高さなだけもあり、すべての人々が俯瞰できる。

 会社員、女子高生、買い物帰りの主婦――そして


 目に当てていた双眼鏡を床に置き、長尺ケースのジッパーをやおらに開ける。

 中に入ってるものを傷つけないように、そうっと。


 暗殺者。この日本では馴染みのない言葉だ。

 誰かに『暗殺者になりたい』なんて言葉を口にすれば、鼻で笑われ、罵られるほどの職業。

 それほど日本人……いや、世界でも馴染みのない言葉。


 その暗殺者に、いま俺はなろうとしている。


「落ち着け……。これぐらい余裕だろ……」


 ジッパーを開け終え、震える手で胸部を擦りながら自分を落ち着かせる。


 ――『なろうとしている』それ即ち、俺はまだ誰も殺していないということ。


 今日が初めての仕事で、今日初めて人を殺める。

 父さんが暗殺者である以上、息子である俺が受け継ぐのは小さい頃から分かっていた。

 分かっていたのだが、人を殺めるという事実は心に来る。


 物心がついたときから暗殺者になる訓練を父さんによって施されていた。

 武道、体術、歩き方、そして銃。

 そのすべてを教わり、15歳の春。高校の入学をきっかけに暗殺業が始まろうとしていた。


 この暗殺は使命であり、断ることなんて出来ない。

 それこそ失敗なんてもってのほか。


 父さんは俺に期待してくれている。

 ならばその期待に俺も答えなくてはならない。


 長尺ケースに手を入れ、おもむろに加工された鉄塊を取り出す。

 そして父さんに教わった通りに組み立て始めた。


 加工された鉄塊――スナイパーライフルは幾度となく練習してきた代物だ。

 暗殺者である以上、遠距離からの攻撃が多い。故に、スナイパーライフルは手放せない品物になる。


 カチャッと最後の部品を当てはめれば、誰もが写真で目にするスナイパーへと変貌を遂げてしまう。

 スコープを覗き、視界が良好なことを確認した俺はゆっくりとうつ伏せに身体を倒し、スナイパーを固定した。


「準備完了」


 胸ポケットから取り出した無線機に短い言葉をかけてやる。

 さすれば、


『風速0.4M。銃弾の軌道には注意しろ』


 俺同様に短い言葉を返してくる父さん。


 情報は風速のことだけ。

 つまり、他のことは自分でどうにかしろと言いたいのだろう。


 少量の唾液を付けた人差し指をピンと立て、感覚を研ぎ澄ますために目を閉じる。

 北東からの風。暗殺対象は現在東に向かって歩いている。対象との距離は約2kmと言ったところ。


 考えがまとまり、目を開いた俺はスコープを覗く。

 父さんの声を聞いたからか、手の震えはいつの間にか止まっており、照準が定めやすい。


「すー……はぁ……」


 大丈夫だ俺。これからは何人もの人間を殺めることとなる。

 それを考えれば、この1人ぐらいどうということはないだろう。


 大きな深呼吸で自分を宥め、再度スコープを覗き込んだ。

 対象の少し東に銃口を向け、極限まで風が弱まるのを待つ。


 ――あの狙撃対象はきっとなにも知らないのだろう。

 自分が狙われていることも、父親が自分のことを売ったことも。


「……哀れだな」


 なんて言葉を口にした瞬間、ピタリと風が泣き止む。

 そして無線機に「やります」と一言だけ残した俺は――


「……あ?」


 ――途端にスコープから目を離し、口から溢れた言葉はどうやら無線に入っていたらしい。

 慌てた素振りはないものの、心配する父さんの声が無線から聞こえてくる。


『どうした秀哉しゅうや

「こっちをガン見してくる少女がいて……」

『どこにいる?』

「狙撃対象の少し前に行ったところです」


 ライフルから手を離し、双眼鏡を手に持った俺はこちらを見てくる少女に照準を合わせる。

 さすがに勘違いかな?なんてことも思ったのだが、


「やっぱり見てるよな……」


 目の上に手を当てた少女が顰めっ面でこちらを凝視していた。


「もしかしてバレた?いやいや、ここからあそこまでは2kmもあるし、裸眼で見えるわけがない」


 なんてことを思ったのもつかの間、顔から手を離した少女は隣に立つお父さんらしき人に目を向けながら口を開いた。


はあそこ』


 瞬間、背中にブワッと冷や汗が広がっていく。

 口パクながらも、彼女は『暗殺』と言った。俺のことを指差しながら、俺の正体がわかったように!


 慌てて身体を起こした俺はライフルを解体し始める。


「撤退します!」

『あぁそうだな。暗殺対象は俺がやっとくからあの少女について調べといてくれ』

「はい!」


 自分でも分かるほどの慌てっぷりで言葉を返した俺は、傷つくことなんて考えず長尺ケースに次々に部品をねじ込んでいく。


 なんでバレてんだよ!というかなんで見つけられるんだよ!

 確かに1番高いビルだから目立つのは分かるぞ?でも2km先から1人の人間を視認できるかっての!身体を倒して姿も隠してたんだぞ!?見えても銃口だけだぞ!


 双眼鏡を手に持ち、長尺ケースを肩に担いだ俺は階段につながる扉を開けて無我夢中で足を動かす。


『暗殺者たるもの、いかなる時でも平常心を保たねばならない』


 これは父さんから幾度もなく囁かれ続けた言葉……だが――いや無理だろ!この状況で平常心でいられるかっての!!


 自動ドアを潜り、再度外に出てみれば見覚えのある車がビルの前に止まっていた。

 真っ黒のフィルムがガラスに貼られ、中の様子が見えにくいが、あれは正真正銘父さんの車だ。


 一応父さんの前というのもあり、平常心を保ったような表情を顔に貼り付けた俺は車へと乗り込む。

 そして扉を閉めてやれば、父さんはハンドルを切ってポーカーフェイスで口を開いた。

 

「対象者は始末しといたから今日は休んどけ」

「あ、あの少女については……」

「それは明日からで構わん。初めての試みというのもあって気疲れしてるだろ。今日は休め」

「父さん……」


 涙ぐむ目を堪えながらも、父さんの優しさにしっかりと感謝する。


 暗殺となれば父さんは厳しい。だが、俺の父さんであることには変わりなく、ちゃんと俺のことを思ってくれている。


 けれど、失敗は失敗だ。

 なぜバレたのかもわからないし、引き金を引くことすらもなかった。


「今日の失敗はまた次に活かせばいい。気負いすぎるな。俺はそんなに厳しくするつもりはない」


 顔に出ていたのだろうか。

 まるで見据えたように欲しかった言葉をかけてくれる父さんは相変わらずのポーカーフェイス。

 でも、そんな言葉がありがたい。


 零れ落ちそうになる涙をグッと堪える俺は、ハンドルを切る父さんの横顔を見やる。


 これからも父さんについていこう。

 父さんが願うのならば、この命が尽きるまでずっと暗殺し続けよう。


 ――そう心に誓ってから2日の月日が流れた。

 そしてあの時見た顔だけを頼りに丸1日を費やした結果、少女の正体が判明した。


「おはよ〜」


 途端にそんな言葉が聞こえ、尻目にそちらを見やれば腰まで伸びた茶色髪がよく目立つ中越なかごし澄麗すみれが隣の席に腰を下ろした。


 あの時は気が動転していて分からなかったが、調べるに連れてとある違和感に苛まれたのだ。

 どこかで見たことがあるような、どこかで話したことがあるような。


 そんな疑問も調べ終われば全て答えが返ってくる。なんて軽い気持ちで調べ続けた俺は、あの時と同じように冷や汗をかいてしまった。


 なぜかって?

 それはたった今、隣に座った生徒こそ、あの時顔に手を当て、目を顰めていた少女なのだから。


 もちろんこの事は父さんに話した。

『俺が銃を持っていること――暗殺者であることをクラスメイトにバレた』ってね。

 そしたらまぁ、予想していた言葉が帰ってきたよ。


『知ってる者がクラスメイトであろうと、始末しろ』とのことだ。

 とまぁ、あの時の失敗を挽回するべく父さんの言葉に頷いた俺なんだが、どう始末したものか。


 前回同様にスナイパーライフルを使おうとしたのだが、父さんにダメと言われてしまった。

 だからやるとするならば毒殺、もしくは刺殺と言ったところだろうか。


 ……と言ってもまぁ、ナイフでの殺害は見つかる可能性があるから毒殺になるんだけれども。


 今の状況、中越はなに食わぬ顔で筆箱やらノートやらを机の中に入れている。

 あれから中越のことを追跡してみたものの、他言した形跡はひとつとしてない。


 そしてカバンを置いた後、まっさきに俺の方へと来ないことから推測するに、彼女は多分、暗殺者がいたことは見えたが、俺だということは気づいていない。

 俺からすればありがたいったらありゃしないことなのだが、その事実を知ってしまっている以上始末する未来に何ら変わりはない。


『日本に暗殺者が居る』ということが知れ渡ってしまえば父さんの身にも危険が及ぶ。

 そのためにも俺が暗殺者だということがバレないように、なおかつ慎重に行動しよう。


 まぁでも、どうせ暗殺者がいることを伝えても鼻で笑われるだけ――


「ねね?暗殺者っていると思う?」


 ――突然隣から聞こえてくる中越の声に、思わず胸を跳ねさせてしまう。

 声の方向からしてこちらに向けて発しているわけではない。

 だから落ち着け。お前には言ってないんだぞ。


「な、なに?急に……」

「いいからいいから」

「……暗殺者はいないでしょ。ましてやこの日本に」


 疑いながらも応えてくれる中越の友人は鼻では笑っていないものの、信じる様子は一欠片もない。


「だよね」


 どこか安心するように言葉を零す中越は、再度カバンを触りだした。


 ば、バレてる?その質問はバレてるってことでいいのか?

 いやでもバレてるならもっと積極的に伝えるし……。いやでもバレていないなら――って、やめよう。

 考えても答えは出ないし無駄な思考だ。


 結局のところ、父さんの指示通り始末してしまえば全て無かったことになる。

 今日中に策を練り、明日ぐらいに始末しよう。


 スーッと身体から抜けていく熱を感じながら、思考を整えるために窓の外へと目を向けた。

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