中編版終章

第20話 魔女は森へ逃げる


 エミルとライラックムーンを見た次の日。

 私は、何故かエミルの顔を直視できない事態におちいっていた。


「リラさん? 朝から様子が変ですけど、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫」


 今日は仕事が休みらしく、エミルは朝から自室にこもってミシンをカタカタさせていた。

 だが、私の様子を伺ってか、時折部屋から出てきて、ダイニングで本を読んでいる私の顔を見に来るのだ。


「たまに顔が赤いようですけど、熱でもありますか?」

 

 心配したのか、エミルが私の額へと手を伸ばしてくる。


「な、ないない! 元気よ!」

 

 私はさっと身を横へずらしてエミルの手を避けた。


 エミルが訝しんだ表情で私を見つめている。それも当然だろう。自分でも分かるほど、私の様子は挙動不審だった。

 エミルの顔を見るのがなんだか恥ずかしくて見られないから、基本うつむくかあらぬ方向を見ることしか出来ない。動きはカクカクだし、どうしてかぎこちなくなってしまう。


 ――それもこれも、エミルのせいよ……!


 昨夜、ライラックムーンの下で、エミルが頬にキスなんかしてくるから。

 今まで「師匠」と呼んでいたくせに、「リラさん」なんて呼んでくるようになるから。


「そうだ、リラさん。もうすぐドレスのベースが出来上がるので、一度試着して見ませんか? まだ、細かい装飾はこれからなんですけど……」


 エミルは微笑みながらそう言って、机の上に置いていた私の手に手を伸ばしてくる。

 エミルの細い指が、私の指に触れた。

 

「ひゃあ!」


 私は咄嗟にエミルの手を振り払って、席から立ち上がった。

 ほんの少し、指先が触れただけだ。それなのに、間抜けな声を出して飛び上がってしまった。


「え? ど、どうしました?」


「な、なんでもない!」


 一瞬手が触れ合った。それだけでここまで反応してしまうなんて、一体どこの乙女だよという感じだ。

 これでも私は、恋愛経験が豊富な方だと思っていた。

 一応婚約者だっていたし、その後はろくでもない男たちと付き合う一歩手前まではいっていたのだ。


 だけど、エミルが初めてだった。

 私に何度も愛を囁いてくれたのも。

 優しく触れてくれたのも。


 そこまで考えて、私ははたと我に返る。

 

 ――これは、まずい。色々まずい。


 彼の師匠として、あるまじき思考だ。

 私は一度、頭を冷やすべきだろう。

 

「ごめん、私、ちょっと出てくるね……!」


「ど、どこへ……!?」


 私の突然の発言に、エミルが驚いたようでぎょっと目をむいた。

 どこへ……。どこでもいいのだが、とりあえず一人になりたい。

 

「ほ、ほら人食いベリーのケーキ作ってあげる約束をしたでしょ? 採りに行ってくるわ!」


 私の脳裏によぎったのは、昨夜の森だった。あそこならある程度の土地勘もあるし、一人になれるだろう。ついでに人食いベリーを探せば一石二鳥だ。


「ええ? それなら僕も行きますよ……!?」


 エミルは私のあとをついてこようとしたのか、腕に巻いていたピンクッションを外そうとしている。

 着いてこられると困る。非常に困る。


「大丈夫よ! いってきまーす!」

 

 慌てた私は、エミルの制止を振り払って、家を飛び出した。

 まだ昼間のせいか、人通りが多い。このまま魔法を使うと人目を引いてしまうかもしれない。

 私は自身に気配を消す魔法をかけると、昨夜と同じように浮遊の魔法を使って地面を蹴った。

 そのままふわりと浮かび上がって、手近な屋根へと飛び移る。


 エミルが万一追ってくることを考えて、私は昨夜よりも5割増に速度を上げて空を駆けることにした。



 ◇◇◇◇◇◇



「……はぁ…………」


 ――やってらんないわ。我ながら情けなさすぎる。


 私は溜息をつきながら、森の中をうろついていた。

 なぜ師匠が弟子から逃げなければならないのか。

 改めて状況を考えてみると摩訶まか不思議だ。


「あ、あったわ」


 昔の記憶の通りに森の奥へと進んでいくと、かつてと同じ場所に人食いベリーはあった。草木に紛れるようにして生えている。

 ちょうど食べ頃のようで、周囲一帯に甘い香りを放っていた。血のように赤く熟れていて、とても美味しそう。


 私はその場にしゃがみこむと、大きな実を選んでいくつか摘み始めた。


 ――懐かしいわね。


 昔はよく、エミルと一緒に摘みにきたものだ。


『師匠が作るもの、全部大好きです!』

『僕、師匠とずっと一緒にいたいです!』

『僕が必ず、師匠に綺麗なドレスを着せてみせます』


 エミルに昔言われた言葉が、私の頭に浮かんで消える。

 それから……。


『リラさん、愛しています』


 大人になってからのエミルの言葉も。

 浮かんでは消えていく。


 ――あれ、私、やっぱり変だ。


 離れたはずなのに、エミルのことばかり考えてしまう。

 

 ――ああ、私は……。もしかして。


「……ラさん、リラさん……!」


 聞き覚えのある澄んだ男性の声に、私ははっと顔を上げた。思考を一旦中断する。

 

「エミル……!?」

 

 振り返ると、私の名前を呼びながらこちらに向かって駆けてくるエミルの姿があった。

 

 来るかもしれない、とは思っていたが、やはりエミルは私のあとを追ってきたらしい。


 だが、走ってくるエミルの頭上に、妙なものを見つけてしまった。

 

 ――あれは……何?


 黒い、カラスのようなものが飛んでいる。

 それにしてはやたらくちばしが大きい気がする。


 カラスの気配を察したのか、エミルが背後を振り返った。


「……なんですか。やはりまた湧いたんですか」


 エミルは忌々しげに何やら呟いて、カラスから距離を取っている。


 ――違う、あれはカラスじゃない! 魔物だ!!


 赤く異様に光るカラスの目に、私は確信をもってしまった。

 動物に似て非なるもの。通常国内に存在しえない存在。

 シークベルタ建国当時から人々を悩ませ続けた魔物だ。倒し続けてきた私が見間違えるはずがない。


 魔物はエミルを頭からくちばしで飲み込もうとしているのか、大きく口を開く。

 15年前に、魔物はいなくなったはず。それがなぜ存在しているのかは分からない。けれど私の体は無意識のうちに動いていた。

 

「エミル、危ない!!」


 魔物を切り裂くための風の魔法を、自分の手のひらから放つ。

 それと同時、私は自分の体からふっと力が抜けていくのを感じた。


 ――あ、これはまずいかも……。


 私が魔法を使わなくても、今のエミルなら自分でどうにか出来るだろう。

 そんなことはわかっている。

 それでも、咄嗟に体が動いてしまったのだ。

 彼を守らないと、と。


「リラさん……!?」


 なんだか意識が遠のいていく。思考が霧散していく。

 くらりとかしいだ私の体を誰かが受け止めてくれる気配がした。

 

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