第21話 魔女は負けを認める


 ◇◇◇◇◇◇


 

「……まったく師匠は本当に……。どうしようもない人ですね」

 

 声が、聞こえる。

 私の大切な人の声が。

 ため息混じりの、それでいて幸せそうな声が聞こえる。


 身体に力が入らなくて指一本動かせない中、耳朶じだに響く優しい声が酷く心地よく感じた。


 ――エミル……?


 瞳を開けられないから姿が分からない。

 だけど、この声は間違いなくエミルだ。

 私を安心させる声。


「もう僕は、あなたに守られるだけの無力な子どもじゃないんですよ?」


 ――分かっているわ。


 エミルの魔力量は、かつての私を超えている。

 今の私がエミルを守る必要なんてない。

 そう理解している。

 それでも、体が勝手に動いてしまった。


 ただひたすらに、エミルを失いたくなかったのだ。


 ――私は……。やっぱりエミルのことが、好きなんだわ。


 降参だ。負けを認めるしかない。

 私はこんな危機的状況になって、ずっと目を逸らし続けてきたものを直視してしまった。

 

 失いたくないと思った。

 そばにいたいと思った。

 

 あの日自分の命と引き換えに守ったはずのエミルのそばに、自分以外の誰かが立つことをヴィクターでさえ嫌だと思った。

 ピンクの三つ編みの少女がエミルに触れているのを見ると、心の奥がざわざわとした。

 エミルにほんの少し触れられただけで、いてもたってもいられないほどに恥ずかしくなって体が熱くなる。

 

 それらが意味するものを認めてしまった。

 もう私は手遅れだ。師匠失格だ。


「僕なんかを守って、魔力不足を起こすなんて……。本当に愛おしくてどうしようもない」


 エミルは私の額にかかった前髪をそっと梳くように撫でてくる。

 やがて、その指がそっと私の頬に触れた。

 

 ――?


 なんだか、エミルの気配が先ほどよりも近いような気がする。

 それこそ、吐息が触れ合うような距離にエミルがいるような……。


「リラさん……」


 そう思った次の瞬間、私の唇に柔らかなものが触れ合わされた。

 空気のような温かい何かが、私の口内へと吹き込まれる。


 ――これ、魔力……?


 おそらくエミルの魔力だろう。

 温かくて、包み込まれるようだ。ゆっくりと染み込んで、私の体に力が戻っていく。


「……!?」


 自由が効くようになったまぶたをパチリと開くと、数センチもない距離にエミルがいた。

 閉じられた長いまつ毛が美しい。と呑気なことを考えて、未だ私とエミルの唇が触れ合っていることに、はたと気づく。


 ――そんな呑気なことを考えている場合じゃない! なんでキスされてんのよ!


「な、何するのよ!!」


 私はエミルの体を強く押した。しかし上手く距離が取れない。

 どうやら私は、しゃがみ込んだエミルの膝の上に抱えられているようだった。


「何って……、魔女の救助ですけど……」


 私から顔を離したエミルは至極当然のことのように答えを返してくる。

 

「魔力不足で倒れてしまったみたいだったので、魔力を吹き込んだだけですよ」


「それは、ありがとう……」


 魔力不足を起こした相手に口移しで魔力を吹き込むのは、人工呼吸と同じような緊急手段の一つだ。

 15年前よりも魔力の回復が遅いのに、以前と同じように魔法を使ってしまったせいで魔力不足を起こしてしまったのだろう。


「あまり無茶しないでください。あなたはまだ本調子じゃないでしょう?」


「……分かっているわ」


 弟子の指摘に、私は反論することなくうなだれた。

 師匠なのに魔力の管理という初歩的なミスを犯すなんて恥ずかしい。それを弟子に助けられるなんて、なんだかすごく複雑な気分だ。


 苦笑してしまった私を、エミルはそっと起き上がらせてくれた。

 どうやらここは、先ほどの森の中のようだ。

 日もまだ高く、それほど時間も経っていないだろう。


 ――?


 立ち上がったのに、エミルは私の両手を握ったままだ。


「まぁ、いいですけど。今度は僕が守りますから」


「え?」

 

 離れていかないのを不思議に思っていると、そんなつぶやきが降ってきた。

 見上げると、エミルは穏やかな瞳で私を見下ろしている。


「僕はもう、あなたの庇護下ひごかにある守られるだけの子どもではありません。今度は僕があなたを守ります」


「……っ!?」


 優しい笑顔ではっきりと告げられて、カッと自分の頬に熱が集まるのがわかった。

 鏡を見なくても、私の顔は真っ赤に染まっているだろう。


 エミルへの好意を自覚してしまったせいだろうか。

 今までならどうにか流せたはずのエミルの言葉を、真正面から受け止めてしまった。


 ――どうしよう。


 赤くなって固まってしまった私に気づいたのか、エミルが少しだけ青の瞳を見開いた。


「……もしかして、リラさん。僕のこと意識してくれています?」


「ち、違うわ」


 さすがにまだ本人に伝えるような勇気がなかった。

 今まで師匠と弟子の関係だったこともあり、気持ちがまだ上手く切り替わらない。それに年の差のこともある。

 エミルの好意を受け入れるのは簡単だ。けれど、自分よりもふさわしい相手がいるのではないかという想いは、エミルへの気持ちを自覚した今もなくならない。

 

 どうにか一旦エミルから離れようとして……、いつの間にやら私の腰へがっしりとエミルの腕が回っていることに今更ながら気付いた。


「僕、嬉しいです」


「違うって言ってるでしょ!?」


 私の想いなど知ってか知らずか、エミルはうっとりと幸せそうに頬を染めている。

 上機嫌なエミルは、私を抱きしめたままくるりとその場で回った。


「さ、早く帰ってウェディングドレスの試着をしましょう! ああ、本当に式を挙げてもいいな!」


「お願いだから話を聞いて!?」


 ――前途多難だわ!

 

 私の弟子は見た目は儚げな美青年なのに、やっぱりあらぬ方向に成長してしまった気がする。

 弟子への好意を自覚してしまった私には、嬉しそうなエミルを怒るに怒れない。


 ――でも、今日はいいか。


 たまにはエミルを甘やかすのも悪くないだろう。


 私は呆れたふりをしながら、エミルの手にそっと触れた。


「……!! え、ちょ、リラさ……」


 どうやら自分から触れてくるのは平気なくせに、私から触られるとダメらしい。

 さっきまでの威勢はどこへやら。エミルは真っ赤な顔で慌てふためいている。


 ――やっぱり好きだわ。逃げられない。

 

「だめよ。先に、人食いベリーでケーキを作るんだから」


 エミルの反応が可愛らしくて、気分が良くなってしまった私は囁くように言った。


「……楽しみです」


 そう返してきたエミルは、泣きそうに一度くしゃりと顔をゆがめ……。それから幸せそうに目元を細めた。

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