第19話 紫月の夜に②


 ――ああ、やっぱり。


 見覚えがあって、もしかしてとは思っていたのだ。

 リンドベリーの近くのこの森には、よく足を運んだ。

 村人から依頼された魔物の討伐や薬草の採取。それに、幼いエミルのために人食いベリーをりにきたりもした。


 ――そういえば、エミルに作ってあげる約束をしてたわね。


 ふと、少し前に、人食いベリーのケーキを作ってあげると約束したことを思い出した。

 約束は必ず守ることが私の信条だ。今度、こっそりとここに採取に来ようか。


「目的の場所は、実はもう少し先でして……」


 エミルは「こっちです」と言って、再び私の手を引いた。

 さらに森の奥へと進んでいく。


 暗い森の中、頼りになるのは頭上から照らしてくるライラックムーンの光。

 それから、なんだか森の奥から小さな光の玉が見えるような気がする。


 

「わ……。すごい」


 やがて森の最奥にたどり着き、私は思わず歓声を上げた。

 森の奥は開けた場所になっていて、小川が流れている。川のせせらぎが心地よい。

 

 その小さな広場に、柔らかな光を放ちながらたくさんの白い小花が咲いていた。足元から、甘くて優しい花の香りが立ち上っている。

 今まで何度も森へ足を運んだというのに、こんな景色を見たのは初めてだった。

 ライラックムーンに照らされたその広場は、とても幻想的だ。


「これ、満月夜草やそう?」


 ちょうど花が咲いていない場所を見つけたので、私はそこに座り込んだ。

 花との距離が近くなると、より香りを強く感じる。


 満月夜草とは、15年に一度、それも満月の夜にしか開花しない植物だ。天候や温度変化に強いが、土壌を選ぶため滅多に見ない品種。資料や話では知っていたが、実物を見たのは初めてだ。

 それがまさか、リンドベリーの森深くにこんなに生息していたとは。

 

「ええ、そうです。さすが師匠、よくご存知ですね」


 エミルは嬉しそうに目を細めると、片膝を立てて私の隣に座った。

 淡く光る花が夜風に揺れる中、金髪碧眼の美青年がライラックムーンに照らされて佇んでいる姿はとても絵になる……。


「師匠、覚えていますか?」


「ん?」


 エミルが静かに尋ねてきて、私はちらりと目線を上げた。

 

「15年前のあの日、『師匠が帰ってきたら伝えたいことがある』と僕が言ったことを」


 ……覚えている。

 それは、私と幼いエミルが交わした、最後の約束だった。


「あの日僕は、あなたをデートに誘うつもりだったんですよ」


 エミルは苦笑していた。なんだか気恥ずかしそうだ。

 

「昔……。村の人から、15年に一度しか咲かない花があると教えてもらいました。それを二人で見ると、ずっと一緒にいられると」


 それは満月夜草にまつわる言い伝えの一つだ。いわゆる俗説というやつで、根拠は無い。

 

「だから、あなたと一緒に見たかったんです。15年越しの約束が果たせました」


 そう言って笑うエミルは、とても幸せそうだった。

 満月夜草を一緒に見たからといって、その伝承通り一緒にいられる保証なんてない。

 だけれど、言い伝えにすがってでも一緒にいたいと願ったエミルの気持ちを理解してしまった。

 ……理解、してしまったのだ。


「師匠」

 

 エミルは短く私を呼ぶと、じっと見つめてきた。

 青い瞳がまっすぐにこちらへ向けられて、目が離せなくなる。


 ――どうしよう。あの日と同じ目だ。


 学園からの帰り道、エミルが私に向けてきたあの視線を思い出してしまった。

 涼し気な瞳の奥に、どうにもならない熱を隠したような……。

 

「……実はこのライラックムーンにも伝承がありまして……。ご存知ですか?」


「……知らないわ」

 

 エミルの問いに、私はどうにか首を振って答える。

 エミルはそっと私の頬に手を伸ばしてきた。

 長くて肉付きの薄い指が、私の頬を愛おしげに撫でてくる。


「好きな人と見ると結ばれる、というものです」


「……っ」


「満月夜草とライラックムーン。その二つを同時に見ることが出来る今夜は、特別な夜なんですよ」


 ――どうしよう、私、おかしい。


 なんだか鼓動が早くなっているような気がする。息苦しくて仕方がない。


「師匠……。いえ、リラさんって呼んでもいいですか」


「……!!」


 身体に電流が走ったかと思った。

 弟子に、初めて名前を呼ばれただけだ。

 それなのに……。顔が、体が、尋常じゃないくらいに熱い。


「僕は幼い頃からずっとあなたのことが大好きでした。今もそれは変わりません」


 エミルの言葉は、視線と同じようにいつだってまっすぐだ。

 

「……エミル、あなたの気持ちは嬉しいわ。ずっと想って貰えたのは、幸福だって思ってる。でも、私は――」


 私は、エミルの気持ちを受け入れてはいけないだろう。

 育ての親として、彼の幸せを願わなくてはいけない立場だ。

 

 エミルは私の唇へ、自身の人差し指を押し当ててきた。

 続きの言葉を封じられる。

 

「どうせ、自分は年上だとか、育ての親だとか、言うんでしょ?」


「……そうよ」


 分かっているのなら、私の気持ちも察して欲しい。

 はやる鼓動とやたら上がった体温の理由を、どうにか見て見ぬふりをしようとしている私の思いを。


「でもそれって、僕のことが嫌いじゃないってことだ。好きになってもらえる余地がある」

 

「……っ」

 

「僕は諦めませんから。21年の片想いを甘く見ないことです」


 エミルはそう言うと、手を添えている方とは反対の私の頬へ口をつけた。

 ひんやりとした薄い唇が触れて、離れる。


「ひゃ……」


「逃げられる、なんて思わないでくださいね」


 私の可愛い弟子はどこに行ってしまったのだろう。

 目の前に迫ってくる青の瞳に宿る熱に、身動きが取れなくなる。

 私の前にいるこの人は、6歳だった可愛い弟子ではない。私に好意を伝えてくる21歳の青年だ。

 一度ひとたび今の状況を理解してしまうと、どうしようもなくなってしまった。


「リラさん、愛しています」


 エミルは堪えきれないものを吐き出すように囁くと、私の頬にもう一度口付けた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る