第18話 紫月の夜に①


 学園に行った日から数日が経った。

 私とエミルの関係は、表面上は変化していない。

 ただ、手を繋いで帰ったあの日以降、妙にエミルのことを意識してしまっている気がする。

 ……だけれど私がエミルに抱く気持ちは、きっと恋愛感情ではない。そうでないといけない。


「それでは師匠、出発しましょうか」

 

 学園での仕事を終えて家に戻ってくるなり、エミルはそう言った。


 今日は、エミルと約束をした満月を見に行く日だ。


 玄関先に立つエミルは、パッと見、いつも通りの澄ました表情をしている。

 だが、育ての親である私には分かる。かつてないほどエミルはウキウキとしているようだった。


 ――満月を見に行くだけのはずなのに、どうしてこんなに楽しそうなの……?


 内心首を傾げながら、私はエミルの後をついて家を出る。

 外は薄暗くなりつつあり、家の明かりや街灯がチラホラとつき始めていた。


「満月を見るのはいいけど、どこで見る予定なの?」


 ただ満月を見るだけなら、極論家の窓からでもいいわけだ。

 しかし、エミルの様子から察するにそうではないのだろう。どこかへ行く気満々だ。


「まだ内緒です」


 尋ねた私に向かってエミルはいたずらっぽくウィンクをしてみせると、そっと私の手を取った。

 

「師匠、飛びますよ!」


「わわっ」

 

 言葉と共にエミルが強く地面を蹴る。

 エミルに引っ張られる形で、私の体もふわりと宙に浮く。

 人目を引く上に魔力消費量が激しいため、あまり使うことの無い、浮遊の魔法だ。

 私も慌てて自分自身に浮遊の魔法をかける。


 エミルに手を引かれて、浮遊しながら屋根へと飛び移った。そのまま屋根伝いに移動していく。

 浮遊するのは久々だが、解放感があってなかなか楽しい。

 ふと空を見上げると、上空には淡く紫に光り輝く満月が静かにたたずんでいた。

 

「綺麗……!」


 いつもは黄金なのに珍しい。こんな月を見たのは初めてで、思わず見とれてしまう。

 月に目を奪われている私に気づいたのか、エミルが足を止めてくれた。


「今日の満月は、紫に光を放つことからライラックムーンと呼ばれているそうです。50年に一度だけ見られるそうですよ」


「へぇ……。それはすごいわね」


 50年に一度にしか見られないと思うと、とても貴重な瞬間に思えてくる。次に見られるとしたら私は実年齢86。立派なおばあちゃんだ。


「師匠……」

 

 エミルは私に向き合うと、繋いでいる方とは反対の手を私の腰へまわした。

 まるでダンスでも踊っているかのような体勢だ。


 ――な、なに?


 エミルが私の瞳を覗き込んでくる。彼の青い瞳の中に、驚いている私の顔が映っているのが見えた。

 端正なエミルの顔が間近に迫ってきて、どきりとしてしまう。

 

「今日の月は、師匠の瞳と同じ色をしていますね。……とても綺麗だ」


 夜空を背景に、エミルがにこりと微笑んだ。

 不意打ちは卑怯だ。

 そんなに幸せそうな声音で……表情で言われたら、不覚にも恋に落ちてしまいそうになる。

 

「……っこのライラックムーンが見たかったの?」


 私は甘やかなその視線から逃げるように、エミルから視線を逸らした。

 

「いえ、それだけではなくて……。今夜はもっと特別な日なんですよ」


「へぇ……。それは楽しみだわ」


 再び屋根へ屋根へと移動しながら、私はぼんやりと考える。

 

 ――次のライラックムーンも、見られるかしら。


 次は50年後。

 その時この弟子は、私のそばにいるのだろうか。


 ――私……。


 なんでそんなことを考えてしまったのだろう。

 ただの弟子と師匠が、50年後もそばにいられるなんてそんなこと……。


 考えかけたものをかき消すように、私は短くかぶりを振った。


 

 ◇◇◇◇◇◇


 

 しばらく、星のまたたく夜空を月に向かってゆったりと進んで、やがてエミルは動きを止めた。

 気づけば周囲の建物はほとんど無くなり、足元には深い森が広がっている。


 ――この方角、この深い森……。もしかして。


 思い当たる場所があるのだが、いかんせん周囲が薄暗いのと私の記憶が15年前のものということがあって、いまいち確信がもてない。


「ここが目的地?」


「ええ、この辺だと思います。降りましょうか」


 エミルのその言葉を合図に、私たちはゆっくりと下降していった。

 どんどんと、葉の生い茂った森が近づいてくる。

 木々の間をすり抜け地面に足をつけると、エミルは私の方を振りかえった。

 私の頭についていたらしい葉っぱを払ってくれる。


「師匠、大丈夫ですか?」


「ええ。……それで、ここは?」


 もしやと思う場所はあるのだが、ここはどこなのだろう。

 周囲は背の高い木々に囲まれていた。張り出した枝には天井をつくるように葉が生い茂り、その隙間から月の光が差し込んでいる。

 耳をすませば、時折葉擦れの音やフクロウの鳴き声が聞こえてきた。


「ここは、僕とあなたが過ごした辺境の村……リンドベリーの近くにある森です」


 

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