第17話 魔女は現実を受け入れる


 近くで見ても、やはり可愛らしい少女だ。

 長いまつ毛に、大きなヘーゼルブラウンの瞳。

 街を歩けばたちまち多くの男性が振り返るのではないだろうか。

 私の顔立ちは可愛いタイプではないので正直羨ましい。


「さっき、話があるって言ったでしょ!」

 

 少女は私たちの目の前までやってくると、エミルの方へ詰め寄った。

 可憐な少女の見た目にはそぐわないその勢いに、私はつい少女を凝視してしまう。


 エミルはというと、面倒くさそうにため息をついて少女から視線を逸らしていた。

 クラスルームではそこまで露骨に嫌そうにしていなかったが、他の子どもたちの手前、取り繕っていたのかもしれない。

 

「今度にしてくださいと伝えたはずですが?」


 ――そういえばそんなこと言ってたな。

 

 先ほどクラスルームを覗いた時に、少女がエミルに話があると言っていたのを聞いた気がする。

 その後のエミルの返答を聞く前にクラスルーム前から移動してしまったが、エミルは断っていたのか。

 

「それにその女の人、誰!? 先生の恋人!?」


 少女はエミルの横にいる私に気づいたようで、酷く驚いたように瞳を見開いて私を見た。

 そんなに大きな声を出さないで欲しい。

 

「ええ、そうで――」


 エミルがしれっと当たり前のように少女の言葉を肯定しようとしていて、私の方がぎょっとしてしまう。

 何を平然と嘘をつこうとしているんだ、この弟子は!

 

「ち、違うわよ!?」


 二人の会話に割り込むつもりはなかったが、咄嗟に否定してしまった。

 エミルは残念そうに肩を落とす。

 

「そんな全力で否定しなくてもいいじゃないですか……」


 ――そう言われても……。


 恋人ではないのは事実なのだから否定するのは当然だろう。

 そう悲しそうな顔をされると、こちらが悪いことをしているような気になってくる。

 

「じゃあなんなの!? 私が何回告白しても相手にしてくれなかったのにずるい!」


 少女は納得がいっていないようだった。

 だが、ずるいと言われても困ってしまう。

 私にとって、エミルの隣にいることは当たり前のことだから。


 ――あれ、でも……。


 今まではそうだった。

 だけど、それはいつまで続くのだろう?

 師匠と弟子なら、きっといつか離れる時が来る。

 離れなくてはならない。


 ――私、さっきから心臓がなんか変。


 考えるだけで心臓の奥が嫌な感じに苦しくなるような気がして、私は思わず胸元を押さえた。


「ずるくはありません。この人は、僕の大切な人です」


 ――え。

 

 エミルはさらりとそう言うと、離れていた私の手を繋ぎ直す。それも、いわゆる恋人繋ぎだ。指が絡む。


「あなたは魔法よりも、年長者に向ける言葉遣いを勉強した方がいい」


 少女に背を向けながらそれだけを告げて、エミルは私の手を引くと入口の扉を開けた。



 ◇◇◇◇◇◇



 魔法学園の外は、茜色の夕日に照らされていた。

 いつの間にやら夕方になっていたらしい。

 レンガ敷きの道を早足で歩いていく。


「……いいの? あの子を放っておいて」

 

 鉄扉を抜け、元来た道を戻りながら、私はエミルに向かって静かに尋ねた。


 あのピンクの三つ編みの少女は、エミルに何回も告白したと言っていた。きっとエミルのことが好きなのだろう。


「別に……大丈夫ですよ。師匠以上に僕が優先すべき人はいません」


「でも、あの子可愛いかったじゃない。私よりもエミルと歳が近いし……」


 ――あの子の方が、エミルにはお似合いだわ。


 15も年上の、私なんかよりも。

 あの子の方が、エミルの隣にいて自然だ。


 ――……? どうしてかな、心が苦しい。


 エミルの隣に、自分以外の女の子が並ぶ。そう考えただけだ。

 それなのに、たったそれだけで息苦しい。


「……僕は」


 少し前を歩くエミルの声が聞こえて、私はハッとする。

 繋がれた右手に、力が込められた気がした。


「僕は、あなたに拾われてからの日々が一番幸せだったんですよ」


 顔を上げれば、泣きそうな表情でエミルがこちらを振り向いていた。

 その表情に撃ち抜かれて、私は動けなくなってしまう。

 

「師匠はいつも優しくて、そばにいてくれて、稀代きだいの最強魔女のはずなのに頼りないところがあって、放っておけなくて……。そんな人を、好きにならないわけがないじゃないですか」

 

「……っ」


「僕は師匠に拾われて幸せだったから、だから今度は僕が師匠を幸せにしたいんです」

 

 エミルの青い瞳が、真っ直ぐに私に向けられる。その瞳の奥に、熱のようなものを見つけてしまった。

 どうにもならない恋情を煮詰めたような、ひどく重たいもの。湿度が高くてむせ返るような……。

 こんなもの、師匠に向けるようなものじゃない。


 ――ああ、この子、本気なんだ。本気で私のこと好きなんだ。


 それはストンと私の心に落ちた。

 私はここに来てようやく、エミルの気持ちを現実として受け入れてしまったのだ。


「師匠は、僕のこと嫌いですか……? 男としては見られませんか?」

 

「……っ私は」


 答えに困ってしまって言葉につまる。

 子どものエミルに対する気持ちと、今のエミルに対する気持ち。それは果たして同じものなのだろうか。15年前は、ただ可愛い愛弟子だった。では今は――?


 エミルは私の困惑を察したのか、それ以上無理に言葉を重ねては来なかった。ただ、私を気遣うように微笑んでいる。

 

「師匠……。次の満月の夜、デートしませんか? あなたとどうしても行きたいところがあるんです」


 

 

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