第15話 リラとヴィクター


 部屋の中央には、革張りのソファーのセットが置かれていた。その奥には書類の載った執務机がどんと構えている。


「ここは?」

 

 まさに偉い人の部屋と言った感じだが……。客間かなにかだろうか。


「ここは学園長室ってやつだな」

 

 私が尋ねると、ヴィクターはにかっと笑いながら答えた。

 それってエミルの仕事部屋ということでは……?


「……ここにいたらエミルが来たりしない?」


「来るかもしれないが、しばらく子どもたちに捕まってるから動けねぇよ」


「……確かに」

 

 ヴィクターはソファーにどっかと腰掛けると、私にも向かいに座るよう促した。


「それで、あなたとエミルが兄弟みたいなものってどういうことなの?」


 私はソファーに座りながら、先ほどのヴィクターの言葉を繰り返す。

 ヴィクターは「ああ」と頷いた。


「正確に言えば、兄貴分ってとこだな」


 ――なるほど、言われてみればヴィクターのエミルへの接し方は兄貴分のそれだわ。


 ただの友人にしては、二人の関係に違和感があったのだ。

 ヴィクターがエミルの兄貴分、というのには妙に納得してしまった。

 友人よりも、そちらの方がしっくりくる。

 

「15年前、辺境の村リンドベリーで、お前さんを抱いて泣きじゃくるエミルを見つけたのは俺だ」


「……っ!」


 ヴィクターから告げられた内容に、私は息が止まるかと思った。


「俺は、当時黒の厄災の研究をしていてな。調査としてリンドベリーに向かったんだ。そしたら、家も何もかも焼けて誰もいない村の中、異様に綺麗な少年が動かないリラを抱えて泣いてて……。見ていられなくて連れて帰った」


「……あなたがエミルを助けてくれたのね。ありがとう」


 どんな事情であれ、ヴィクターが村にやってきてくれて良かった。

 ヴィクターがリンドベリーにやってきてくれなかったら、エミルも私も、今生きているか分からない。

 

「おうよ。しばらくは一緒に生活していたんだが、俺の生活態度がエミルの目に余ったらしく、そうそうに別居することになったんだ」


「……どんな生活していたのよ」


 私はつい呆れて苦笑してしまう。

 エミルは整いすぎた顔立ちのせいか冷たい印象を受けるが、一度懐いた相手には優しい子だ。

 エミルが見放すほどとは……。ヴィクターは一体どんな生活をしていたのだろう。


「……研究しかしてなかったからな。そのほかの日常を捨てた俺の生活は、綺麗好きのエミルには耐えられなかったらしい」


「研究者としては普通だぜ?」とヴィクターがぶつくさとボヤいている。私は妙にヴィクターへ親近感が湧いてしまった。

 私も大雑把に生きている方だから、昔からよくエミルに小言を言われていたのだ。ヴィクターのように見放されたりはしなかったが……。

 

 ――ああ、でも。エミルが立派に成長出来たのは、ヴィクターのおかげなんだわ。


 私が仮死状態になったあとの空白の時間。

 そこに、ヴィクターはいたのだ。

 まるで私の代わりのように、エミルのそばにいた。


 ――ヴィクターのおかげなんだって、分かっているのに……。


 どうしてだろう。

 ヴィクターがうらやましくてたまらない。


 ――私が一番、エミルのことを見守っていたはずだったのに。


 大切にしていた宝物を、とられてしまったような気分だ。


 ――私が一番そばで、エミルの成長を見たかったのに。


 ヴィクターにはなんの非もないとわかっている。

 それどころか、私にとっても彼は恩人だ。わかっている。


 それでも1度湧いてしまったその感情は、胸にうずくまって消えてくれそうになかった。

 膝に置いた手を、ぎゅっと握りしめてしまう。


「どうした?」


 うつむいてしまった私を心配してか、ヴィクターが声をかけてくる。

 私は慌てて笑顔を取り繕って首を左右に降った。

 

「……あ、ううん! なんでもないわ」


 こんな嫉妬に似た感情を抱いたことなど、誰にも知られてはならない。

 私はエミルの師匠なのだから。

 

「そうか? よかったらこの後食事でも行かないか。エミルの愚痴会でもしようじゃないか」


 ――愚痴会って……。


 ヴィクターの申し出に、私はぷっと小さく吹き出してしまった。なんだか楽しそうな会だ。

 

「それはいいわね――」


 誘いを承諾しようとしたその時、後ろから私の肩に誰かの腕が回ってきた。


「――ダメです。師匠は僕のですから」


「……っエミル!?」


 ――どうしてここに!? もう子どもたちから開放されたの!?


 首だけで振り返ると、そこに居たのは不満そうに少し唇を尖らせたエミルだった。ソファーを挟んだ向こうから、ぎゅうと抱きしめてくる。

 まるで甘えるような仕草だ。エミルが幼い頃にも、似たように抱きしめてくれることがあった。


 それなのに、変だ。

 どうしてか、顔が火を吹いたように熱い。

 

 ――昔と違う。


 私の肩にまわる腕の太さや、力の強さ、一つ一つが違うのだ。

 エミルが、6歳の可愛い弟子ではなく、21歳の青年なのだと実感してしまう。

 

 エミルは青の瞳をすがめてヴィクターを見据えた。


「ヴィクター。師匠に手を出そうとしないでください」


「怖ぇよ。そういちいち警戒すんなって。男の嫉妬は見苦しいって言うだろ?」


 ヴィクターは慣れているのか、エミルから睨まれても平然としている。

 エミルの視線をさらりと流すとヴィクターは立ち上がった。こちらに近づいてくる。


「リラだって、嫉妬深い弟子より大人の男の方がいいんじゃねぇか?」


「え」


 ヴィクターは私の片手をすくうと、腰をかがめて口付けるような仕草をした。

 仕草だけだ。実際には口付けてはいない。

 エミルに大人の余裕とやらを見せつけるかのように、軽くウインクをしてみせる。


「ヴィクター!!」

 

 呆気にとられてしまっている私の代わりに、エミルが強く叫んだ。

 すぐさまこちらに回りこんで、私とヴィクターの間に割り込んでくる。


「おっと……。あぶねぇなぁ」

 

 ヴィクターは苦笑しつつも、あっさりと身を引いた。

 おそらくヴィクターは、エミルをからかっているだけだろう。


「師匠、行きますよ!」


 そう言って、エミルは私の手を引いてソファーから立たせる。

 私はエミルに連れられる形で、学園長室を後にすることになった。

 

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