第2話 黒歴史


「リラ師匠……行かないでください」


 私を呼び止める可愛い弟子の声が聞こえる。

 今にも泣き出しそうなボーイソプラノに、私は苦笑しながら振り返った。

 

「ごめんね、エミル。行かないといけないの。あの黒の厄災やくさいを止められるのは私しかいないでしょ?」


 村の家々は大半が焼き尽くされ、あたりは火の海のような有様だった。

 この惨状を作り出したのは、山の向こうをゆらゆらと飛んでいる、黒い禍々しい光の塊に他ならない。


 黒の厄災と呼ばれた神出鬼没な光の塊は、時と共に巨大化し、さまざまな災いをもたらした。

 とりわけ人々に被害を出したのは、魔物によるものだ。光の塊の中から時折魔物と呼ばれる通常国内には存在しない禍々しい生物が現れ、人々を襲った。


 黒の厄災と人の戦いの歴史は長い。

 この国、シークベルタ建国の500年は昔にさかのぼる。

 長い年月の間、人と黒の厄災は争い続けていた。人の中でも魔力を持つものは最前線に立った。


 終わりの見えない戦いの中で人々は疲弊し、魔力を持つ人間は、徐々に減少していっていた。

 私は、魔力を持つ人間の生き残りにして、歴代最強の力があると言われた魔女だった。


 黒の厄災を倒す事は、人間の、そして魔女一族の悲願である。

 私が成し遂げなければならないことだ。

 私は、生まれてからの21年間、一族の期待を背負って生きてきた。

 いつ姿を現すかもしれない黒の厄災を倒すためだけに魔法の技術を磨き、ひたすらに研鑽けんさんを積んできたのだ。

 ここで私が立ち向かわなくては、誰が立ち向かうというのだろう。


 ――それに、この子だけは私が守らないと。


 可愛い私の一番弟子、エミル。

 私の大事な宝物だ。

 この子の未来を守るためなら、私は自分の命さえ差し出せる。


「わかって、います……。でも、師匠が死ぬのは嫌だ……!」


 エミルのガラスのような美しい青の瞳が、まっすぐに私へと向けられる。大きなその瞳は涙で濡れていた。

 崩れかけた家の前で、私はそっと可愛い弟子の頭を撫でる。

 さらさらの金の髪をしたエミルは、まるでお人形さんのように美しい。


「大丈夫よ、帰ってくるから」


 本当は、帰れるかどうかわからない。

 同じように、立ち向かっていった魔法使いや魔女は帰ってこなかった。

 それでも、弟子に悲しい顔させたくなくて、私は笑顔でそう告げる。


「本当ですか……? 師匠、師匠が帰ってきたら、僕、伝えたいことがあるんです――」


「わかったわ。帰ったら、教えてちょうだい。……それじゃあ行ってくるわね」


 それが、私とエミルが交わした最後の約束だった。

 きっとこの約束は守れない。分かっていて、私は嘘をついた。


 

 15年前の、黒の厄災に立ち向かったこの日、私は相打ちで死んだはずだった。

 黒の厄災に向かってすべての魔力を込めて魔法を放った直後、自分の体から魔力が抜けていくのを感じた。

 魔女や魔法使いから魔力がなくなると言う事は、死と同義である。魔力がなくなれば、命を保つことができない。魔力は、魔力を持つ人間を構成する物質の一つあり、欠けてはならないものだからだ。



 ◇◇◇◇◇◇



「師匠〜、大丈夫ですか?」


「はっ……!」


 聞こえてきた声にがばっと目を開ける。すると、思ったよりも、近くに端正な顔があって、こちらを心配そうに見つめていた。


「ち、ちちち近いっ!」


 どうやら私は一瞬意識を失っていたらしい。

 ベッドで横になる私の顔のすぐ横に両手をついて、青年は見下ろしているようだった。

 あまりの近さに、思わず彼の胸をぐいっと押す。


「何言ってるんですか、いつもこうやって起こしてあげてましたでしょ?」


 青年は、どこか不満げに離れていった。

 距離が空いたことにほっとしながら、私も体を起こす。


「確かに、エミルはそうだったけども……!」


 幼いながらも、エミルは誰に似たのかしっかりとした子だった。

 6歳にして、毎朝時間通りに起床し、礼儀正しく生活し、毎日一生懸命魔法の勉強して、決まった時間に寝る。

 手のかからない子だった。

 なんなら私の世話まで焼こうとしてくれる、大人びた子ども。


「だから僕がエミルなんですって」


「……」


 にわかには信じられない。押し黙ってしまった私に、青年ははぁとため息をついた。


「師匠の恥ずかしい秘密、言っちゃっていいんですか〜?」


「……何よ」


 私に恥ずかしい秘密なんて無いはずだ。

 そもそもエミルに対しては、親代わりとして見栄を張っていたつもりだ。そんな言われて困るような秘密なんて――。


「師匠って、見かけによらずにんじん嫌いですよね〜」


「!」


 ――なんでバレてる!


 確かに私はにんじんが嫌いだ。

 あれは人が食べていいものじゃない。悪魔の植物だ。オレンジ色をした悪魔だ。

 それでもエミルの前では我慢して食べていた。大人としての意地だ。


「めちゃくちゃ嫌そうな顔して食べてましたからね。バレバレですよ」


 思い出しているのか、青年はとてもにやにやとしている。

 腹立たしい。確実にエミルでは無い保証があれば、魔法でやり返していたのに。

 

「それから、かなり男運が悪い。しょっちゅうダメ男に引っかかってましたよね」


「……っ!?」


「浮気男にギャンブル男、ヒモ男……。僕が止めてあげないと大変なことになってませんでした?」


 思わずぎょっと目を見開いてしまう。

 心当たりしか無かった。

 婚約者の浮気を皮切りに、付き合う男は皆クズばかりだった。

 うっかり引っかかって大変なことになりかけたところを、毎回ストッパーとして止めてくれていたのがエミルだ。

 恋愛面で6歳に諭されていたとか、恥ずかしすぎて誰にも口外なんてしていない。このことを知っているのは、エミルだけのはずだ。


「それから――」


「わー! わー! わー!」


 青年はまだ言い足りないのか、口を開きかける。

 私はそれ以上言葉を発される前に、青年の口を手で塞いだ。

 

「もっ、もういいわ! あなたがエミルだって信じる! だから言わないで!!」


 私の黒歴史だ!

 部屋の中には私たち以外誰もいないとはいえ、これ以上口外されたらたまらない。

 もう信じざるを得ないだろう。この青年が、わたしのかわいいエミルなのだと。


「信じてもらえてよかったです」


 青年――もといエミルは満足そうに目元を細めた。

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