第32話 秘密
夏休み。将棋部の部室。
「もう夏休みも終わりですね」
「ん。そうだね」
明後日はいよいよ二学期の始業式。今日が夏休み最後の活動。
あ。ちなみに宿題はちゃんと終わってますよ。夏休み最終日まで宿題を持ち越さないなんて初めての経験。ふふふのふ。まあ僕もやればできるということです。
「師匠は明日対局でしたよね。頑張ってください」
「ありがとう。結構厳しい相手だけどやれるだけやってみるよ」
今回の師匠の対局相手。それは、過去タイトルを取ったこともある有名棋士。タイトルを失ってからも勝率の高さを維持しており、将棋界のトップをひた走っています。
「対策とかしてるんですか?」
「一応ね。昨日いろいろ研究してたんだけど、良さそうな手順が見つかってさ。それに誘導できればチャンスはあるかも」
「なるほど。ちなみにどんな?」
「ふふ。秘密」
そう言って、唇に人差し指を当てる師匠。彼女の優しい微笑みに、僕の心臓がトクンと小さく跳ねました。
「し、師匠って、研究会とか入ったりしないんですか?」
湧き上がってきた感情を師匠に悟られるのが恥ずかしくて。僕は、強引に話をそらします。
研究会とは、文字通り将棋の研究をする会のこと。数名の棋士が集まり対局をしたり、指定された一局面についてあれやこれやと意見を交換したりするのです。将棋AIの台頭により、研究会に参加するより個人で研究する方がいいという棋士も増えているそうですけどね。
僕の質問に、師匠は特に迷うそぶりもなく頷きました。
「私は一人で黙々考えるのが好きだからね。研究会に入りたいとは思わないかな」
「なるほど」
「あ。でも、誘われたことはあるよ」
「そうなんですか!?」
いったい誰からでしょう。僕の知ってるプロ棋士だったりするのかな?
「結構ベテランの人からね。『君より年上だが若い人もいるからどうかな? まあ男性ばかりだが』って。他の棋士と交流することも大切かなと思ったんだけど、断っちゃった」
「へ、へー」
僕の知らない、プロ棋士同士の交流。きっと、僕なんかでは想像もつかないほどの世界が師匠の目の前にはあるのでしょう。
にしても。
プロ棋士は師匠以外全員が男性。もし師匠が特定の若いプロ棋士と関わるようになって。交流を続けるうちに親密になって。プライベートでも会うようになって。
それで……。
それで……。
それで……。
「君。どうかした?」
「え?」
「なんか、怖い顔してるけど」
師匠に言われてハッと気がつく僕。同時に感じ始める顔の熱さ。
「し、師匠。将棋しましょう、将棋。先手は僕ってことで」
「……今、何考えてたのかな?」
「ひ、秘密です」
駒袋を逆さまにし、駒を盤上に広げます。木と木のぶつかる音を聞きながら、僕は頭の中にあった光景を打ち消すのでした。
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