第31話 私、嫌だよ
夏休み。将棋部の部室。
「そういえば、夏休みの宿題は終わった?」
対局後の休憩中。師匠の問いに、僕の肩がビクリと大きく跳ねました。
「い、いやー。さっきの対局、もう少しうまく攻める筋がありましたよねー」
「? そうだね。ところで宿題は?」
「つ、次は中盤でもっと時間使って考えてみます。終盤に使える時間が減るのは嫌ですけど」
「…………」
「よーし。次も頑張るぞー」
「終わってないんだね」
「うぐ!」
胸を針で突かれるような感覚。師匠から向けられるジト目。そこから逃れたくて、僕は顔を下に向けました。
「ちなみにどれくらい終わってないの?」
「えーっと。社会の自主課題と数学の問題集がまだでして」
「どっちも量が多いことで有名なやつだよね」
「うぐぐ」
いや、分かってますよ。このままじゃダメなことくらい。けど、量があまりにも多すぎてやる気がなくなると言いますか。特に数学。なんですか。あの問題集40ページって。
「はあ。君が宿題するの苦手なのは知ってたけどさ。夏休みもあと二週間なんだし、さすがにまずいんじゃない?」
「……僕、思うんですよ。『夏休み』なんだから、言葉通りしっかり休まないといけないって。つまり、勉強からも休むことが必要なんじゃないかって」
「屁理屈言わない」
「うぐぐぐ」
テーブルに額をつける僕。ちょっと冷たくて気持ちいいなんて考えてしまうのは、僕の心が現実逃避を求めているからに違いありません。
訪れる沈黙。扇風機の機械音だけが部室内に響きます。顔を上げられない僕と、おそらく呆れ果てているであろう師匠。将棋盤を挟んで、僕たち二人は互いに何も言いませんでした。
そんな時間がどれくらい続いたでしょうか。
「私、嫌だよ」
不意にポツリと師匠が呟きました。
「え?」
「君が宿題提出できなくて補習とかになってさ、部室来られなくなるの。私、嫌だから」
「し、しょう?」
「部長は……多分忙しくて来れないだろうし。部室で一人っていうのは、寂しい」
顔を上げる僕。交差する二つの視線。物憂げな表情と、扇風機の風に揺れる黒髪。
バシリと、背中を誰かに叩かれたような感じがしました。
「だ、大丈夫です! 僕、絶対に宿題終わらせますから!」
体を起こし、宣言します。若干前のめりになりながら。
「今日はとりあえず、半端に残ってる社会の自主課題から! その後は全力で数学!」
「…………」
「あと一週間で終わらせます! だから師匠。安心して待っててください!」
いける。本気でやれば、なんとかなる。絶対に。
僕の宣言に、師匠は目を丸くしました。ですが、それも一瞬。彼女は「ふふ」っと小さく笑いながら、頷いて一言。
「待ってる」
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