第25話 すごく緊張してきた
夏休み。将棋部の部室。
「……負けました」
目の前にいる師匠に向かって僕は頭を下げます。このセリフも今日で三回目。負けに慣れるなんて御免被りたいところ。でも、さすがにこうも連続すると、またかと思わざるを得ません。
二日後にはいよいよ高校将棋選手権。高校生になって初めての大会ということで、夏休み前から師匠に稽古をつけてもらっているのです。まあ、自分でも呆れてしまうほどひどい将棋を指してばかりですが。
「ちょっと休憩しようか」
そう言って、テーブルの上に置いてあったペットボトルのキャップを開ける師匠。中に入っているお茶を口に含むようにして飲み、「ふう」と一息。
「師匠。ありがとうございます。特訓に付き合ってくれて」
「別に構わないよ。君と対局するのは楽しいからね」
師匠の浮かべた笑みに、小さく跳ねる僕の心臓。対局で負けることに慣れたとしても、この笑みに慣れることは一生ないんじゃないか。なんとなくそう思ってしまいました。
「ん? 君、さっきより顔が赤いけどどうかした?」
「あ、暑さのせいですよ。いやー。夏ですねー」
横に顔をそらす僕。視線の先にあるのは古びた扇風機。生暖かい風を感じながら、僕は顔の赤みが早く引くように願います。
「大会、応援行けたらよかったんだけど。ごめんね」
不意に聞こえた師匠の呟き。どことなく寂しさを感じる口調。
「仕方ないですよ。といいますか、謝らないでください。今こうして特訓に付き合ってくれるだけで十分すぎるほどなんですから」
高校将棋選手権当日。師匠はプロ棋士としての対局が控えているのです。さすがにそれを放り出して応援に来てくれなんて口が裂けても言えません。
「明日の夜とか、不安だったら電話してくれてもいいからね。話し相手くらいにはなれると思う。私、いつも十二時までは起きてるから」
「い、いやいや。さすがにそれは」
「……してくれないの?」
「え?」
「電話。してくれないの?」
まさかの問いかけに、僕は顔を師匠の方に戻します。交差する視線。上目遣いかつほんのり朱の差した頬。そんな彼女の表情に、僕の内側から得も言われぬ何かが湧き上がってくるのを感じました。少しでも気を抜けば、恥ずかしいことを口走ってしまいそう。
「し、師匠。そ、それって」
「…………」
返ってきたのは、無言の訴え。僕の前に転がるただ一つの選択肢。
「えっと。じゃ、じゃあ、電話してもいいですか?」
「ん。いいよ」
頷く師匠。長い黒髪の先を弄び、口元をもごもごと動かすその姿は、どことなく満足げ。
なんか、上手くのせられたような気がするなあ。って、あれ? そういえば、師匠と電話って今までやったことなかったよね。
「さて、そろそろ四局目始めようか」
あ。
やばい。
すごく緊張してきた。
「おーい。聞いてる?」
「ふえ!? な、何でしょう?」
「いや、四局目。やらないの?」
「や、やります! やらせていただきます!」
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