STORY2 私の心は知らぬ間に⑦

 だめだ。うんざりしてる場合じゃない。


「ようこそ、将棋部へ。私がここの部長だよ」


「ど、どうも、部長さん。ぼ、僕、来年ここに入学する予定でして」


 部長と男の子が会話する傍で、私は小さく首を振る。心の中で深呼吸をし、無理矢理に口角を上げる。


「おっと。私ばっかり話してちゃいけないね。ほらほら、あなたも話さないと。というか、今日来た人は皆あなたに会いに来てるんだから」


 部長がこちらに顔を向けると同時、彼もまた私の方を見る。変わらない緊張した面持ち。怯える子犬みたい。柄にもなくそう思ってしまった。


「初めまして」


 笑顔。笑顔。


「私の名前は……って、言わなくても分かるかな?」


 プロ棋士として、恥ずかしくないように。


「えっと」


「どうしたの? もしかして、緊張してる?」


「その」


「せっかく来てくれたんだし、一局指したいところだけど。あいにく、部長の言う通り時間がなくてね。ごめんよ」


 私、頑張れ。


「あの……」


「ん?」


 一体どうしたのだろうか? どうにも彼の様子がおかしい。会話らしい会話ができていない。ただ緊張して上手く話せないだけ? それとも他に理由が?


 首をひねる私に向かって、彼ははっきりとこう告げた。







「疲れてませんか?」







「え?」


 想像もしていなかった言葉。これまで尋ねられたことのない質問。驚いた私は、思わず椅子から立ち上がって一歩後ろへ。椅子の脚が床にこすれ、ガガッという不快な音が部室に響き渡る。


「ちょ。君、急に何言ってるの?」


 部長の問いかけに、彼が慌てて弁明を始める。どうやら、彼は無意識で私にそう言ったらしい。謝り続ける彼の様子に、嘘偽りは微塵も感じなかった。


 私が、疲れてる?


 そんなわけ。


 そんな、わけ。


 ない。


 ……はず。


「ぼ、僕、今日はこれで失礼しますね。ありがとうございました」


 いたたまれなくなったのか、踵を返して部室の扉を開ける彼。とっさに私は彼を呼び止める。


「ま、待って!」


 聞きたかった。


 いや、聞かなければならないと思った。


「な、何でしょう?」


「……君、私が疲れてるって言ったね」


「は、はい」


「私、そんなに疲れてるの?」


「す、すいません。それ、忘れてくだ」「謝らなくていいから。本当のこと、教えて」


 私に気圧されたかのように体を少し震わせる彼。数秒の沈黙の後、彼は口を開く。


「えっと。何となく、そう思いました」


 彼の真剣な瞳が、嘘偽りのない瞳が、まっすぐ私を貫いた。


「……そっか…………そっか………………そ……っか」


 私が、疲れている。


 私は、疲れている。


 ああ。


 分かった。


 私。


 ずっと。


 疲れてたんだ。


 目尻が熱くなる。視界が滲み始める。何かが頬をつたう感触。自分が泣いているのだとすぐに分かった。


「あ。ち、ちが。こ、これは、その」


 手で目を拭う。でも、止まらない。


「違う。ヒグッ。違う、の。グスッ」


 滲む視界に、驚く二人の顔。


「グスッ。う、ううううう。ヒッグ」


 夕日の差し込む将棋部の部室。そこに、私の嗚咽だけが静かに響いていた。

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