STORY2 私の心は知らぬ間に⑤
「はー。どうしようかなー」
私がプロ棋士となって数か月が経ったある日の昼休み。将棋部の部室で咲ちゃんと私は話をしていた。
咲ちゃんの勧めで入ったこの私立高校は、生徒の外部活動に対して寛容なことで有名だ。咲ちゃんと同じクラスにも、海外の大会に何度も参加している男子生徒がいるんだとか。プロ棋士として本格的に活動していく私は、対局やイベントで学校を休むことが多くなるだろう。そういったことに学校側の理解があるのは正直ありがたい。
「咲ちゃんがため息つくのなんて珍しいね」
「いやね。昨日、先輩たちから『来年は部長になってくれ』って言われてさー」
「そうなんだ。まあ確かに、先輩たちが卒業しちゃったら部員は私と咲ちゃんだけだもんね。来年三年生の咲ちゃんが部長をやるのが自然なんじゃないかな。私も私で忙しいし」
「分かるけどさー。うーん。実感わかない」
テーブルにうなだれる咲ちゃん。高校生になった今でもこうして自然体で接してくれる彼女には、こっそり感謝している。恥ずかしいから言わないけど。
「そういえば、他の部員はどうするの? 確か、正式な部活動って認められるには最低五人の部員が必要なんだよね」
「それは問題ないよ。私の友達に頼んで、名前だけ貸してもらうことにしてるから」
「いいの? バレたらまずいんじゃ」
「ふっふっふ。実は、じっちゃんが学校の理事長と深い付き合いでね。ちょーっと手を回してもらったんだよ。ちょーっとね」
笑みを浮かべた咲ちゃんの頭上に小さな角が二本見えたのはきっと気のせいだろう。うん。そうに違いない。
キーンコーンカーンコーン。
昼休み終了五分前を知らせるチャイム。どうやら知らぬ間に時間が経ちすぎていたらしい。咲ちゃんと話しているといつもこうなる。
「さて、教室に戻りますかね。あ、そうだ。これから私のこと、『部長』って呼んでくれないかな?」
「…………え?」
「まだ実感わかないなら、まずは形から入ってみたいんだ」
咲ちゃんの提案に「…………何それ」と返しつつも、小さく口にしてみる。
「…………部長」
「お、おおう。こ、これはなかなか」
ほんのり朱の差した咲ちゃんの顔。案外良かったらしい。もちろん恥ずかしさもあるだろうけど、嬉しさの方が勝っているように見えた。
「…………じゃあ、部長。また放課後に」
「ま、またね」
まだ若干悶え気味の咲ちゃんを置いて、私は足早に部室の外へ。急いで階段を駆け下り、建物の入り口から反対方向にある女子トイレへと駆け込む。
「う。え。えええええええええ」
トイレ内に響く私の声。入り口横にあるトイレに入らなくてよかった。もしそこなら、咲ちゃんに見つかっていたかもしれないから。
先ほどのチャイムが合図だったかのように、突然催し始めた吐き気。我慢が限界を迎え、胃の中から気持ちの悪い何かが逆流してくる。目の前にある便器の水は、いつの間にか薄橙色に濁っていた。
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