第11話 そっか、そっか

 放課後。将棋部の部室。


「そういえば、今日はテレビの取材があったんですよね。校内で噂になってましたよ」


 いつものように本を読む師匠に向かって、僕はそう問いかけました。


「ん。そうだね。私の学校での様子が取材したかったんだってさ」


「有名人は大変ですねえ」


 現役女子高生かつ初の女性プロ棋士。彼女が一体どんな人物なのか。学校ではどんな風に見られているのか。知りたくないという方がおかしいでしょう。たとえ、将棋に興味がない人だったとしても。


「有名人……ね」


 呟く師匠。思わず出てしまったかのような言葉。彼女が今何を考えているのか僕には分かりません。ですが、その表情が少し陰ったように見えました。


「あの。師匠」


 僕が口を開いたその時。


 コンコン。


 部室の扉を誰かがノックする音。続けて聞こえてきたのは、野太い男性の声。


『すいませーん。少しいいですかー? テレビ局の者なんですけどー』


 顔を見合わせる僕と師匠。まさか、取材の話をしている最中にテレビ局の人が訪ねてくるなんて。あまりにタイムリーすぎやしませんか。


「そういえば、部活の様子も知りたいって言ってたなあ」


 軽くため息をつきながら、師匠はそう口にしました。さらに増していく顔の陰り。


 師匠……。


 胸がキュッと締め付けられるような感覚。僕の中で、黄色いアラームが煌々とその光を放っています。


「君、ごめんね。せっかくの部活の時間に」


 師匠の引きつった笑顔。


 不意に感じる懐かしさ。


『中にいますよねー。出てきてくださいよー』


 ああ。


 このままじゃいけない。


 たぶん。いや、きっと。


 ここで何かしないと。


 僕にできる何か。


「……師匠。ちょっとそこの押し入れの影に隠れててくれませんか? 自分の荷物も持っててください」


「え?」


「いいですから。早く」


「う、うん」


 僕たちがそんな会話をしている最中でも、扉の向こうでは『すいませーん』と声が聞こえます。多少のイラつきが感じられるのは、果たして気のせいなのでしょうか。


 僕は、師匠が完全に隠れたのを見計らい、小さく扉を開けました。そこにいたのは、額に深いしわの刻まれた中年の男性。胸には、地方のテレビ局名が書かれたプレート。彼は、僕の姿を認識するやいなや、ニコリと君の悪い笑顔を浮かべました。


「お。やっと出てくれたね。あんまり反応がないから勝手に入っちゃおうかと思ったよ」


「えっと。すいません。ちょっと疲れて寝ちゃってたもので」


「ふーん。まあいいか。ところで、ここって将棋部だよね。あの子いるかな? ほら。話題の女子高生プロ棋士」


「いませんよ」


「え?」


 その時、男性の笑顔が消え去りました。


「今日は来てませんね。家に帰っちゃったんだと思います。多分、将棋の研究で忙しいんじゃないですか?」


「いや、そんなはずないでしょ。先生からここにいるって聞いてるし」


 そう言いながら、男性は扉に手をかけ力任せに開きます。ドアノブを握っていた僕が転びそうになるのも無視。思わず言い返してやりそうになりましたが、僕はグッとその感情を胸の内に押しとどめました。変に言い合いになってボロが出ても困りますしね。


「……本当にいない」


「荷物もないですよね。さっきも言いましたけど、彼女、今日は来てませんよ」


「……そうなのか。うーん。仕方ないなあ」


 頭をガシガシと掻きながら、踵を返す男性。そのまま、何の断りもなく去っていきました。


 男性の姿が見えなくなってから、僕は扉を閉めます。響き渡る大きな音。まるで、扉が壊れるんじゃないかと思ってしまうほど。


「君、どうして?」


 押し入れの影から出てきた師匠が、開口一番僕にそう尋ねました。


「すいません。師匠、なんだか取材されるのが嫌そうだなと思って、つい」


「…………」


「ん? あれ? これ、もしかして師匠の営業妨害になったり?」


「…………」


「え。あ。ま、まずい。や、やっちゃいました」


「…………」


「せめて、師匠にちゃんと確認してから。ああ。し、師匠。本当にごめんなさい」


 全力で謝罪する僕。今更ながら自分が大変なことをしてしまったと気づきました。師匠に何の確認もなく勝手に取材を断るなんて。これ、訴えられたら負けるやつなのでは? いや、師匠がそんなことしないのは分かってますけど。


「ふふ」


 僕の耳に届いたのは、小さな笑い声。


「し、師匠?」


「そっか、そっか。君は本当に相変わらずだね」


 僕の目の前。柔らかな笑みを浮かべる師匠がそこにいました。

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