第8話 頭、撫でてあげようと思ってさ

 放課後。将棋部の部室。


「ふっふっふ。危ない危ない」


「むぐう。あそこで変な手指しちゃったから。いや、でも」


 視線の先。そこにあるのは、対局の終わった盤面。僕の王様は、あと一歩のところで部長の操る駒たちに打ち取られてしまったのでした。


「最近はまた強くなったんじゃないかな? 師匠ちゃんとの対局のおかげだろうね」


「うーん。実感ないです」


「私が抜かれるのも時間の問題かもしれないよ」


「はあ……」


 確かに、師匠とは対局を繰り返してきましたが、自分が強くなったかなんて分かりません。最近日課にしている将棋アプリの対局でも負けることの方が多いですし。


 盤上から顔を上げる僕。その時、部長の手がこちらに向かって伸ばされているのに気がつきました。


「どうかしました?」


「頭、撫でてあげようと思ってさ。なんか悔しそうだったし」


「はい?」


 また訳の分からないことを言ってますよ、部長は。


「子ども扱いしないでください」


「いやいや。君の方が二個年下じゃん。まだまだ子どもだよ」


「ええ……」


「もう。いいから、頭をもっとこっちに寄せて。このままじゃ撫でられないでしょ」


 部長は、伸ばした手を閉じたり開いたりして催促します。ただからかっているだけなのかと思いましたが、表情は真剣。本当に僕の頭を撫でようとしているのです。


 僕は部長のことをそれほど知っているわけではありません。そもそも彼女は、一週間に一、二回くらいしか部室に来ませんからね。ですがそんな僕でも、彼女がここで過ごす時間を大切に思ってくれていることくらいは分かっているつもりです。


 だから。


「ど、どうぞ」


 僕は、自分の頭を部長の方に少しだけ近づけました。


「うむ。素直でよろしい」


 部長の手が、僕の頭に載せられます。はっきり感じる優しいぬくもり。右へ、左へ。手が揺れるたびに聞こえる、髪のこすれる音。油断すると目を細めてしまいそう。


 部長、頭撫でるの上手いなあ。


「なかなかいい感触だね。これが若さか」


「何言ってるんですか」


 ん。


 ちょっと。


 癖になりそう、かも。


 ガチャリ。


「すいません。遅くなりま…………は?」


 突然、部室に響く扉の開閉音。そして、聞き慣れた女性の声。


「ありゃ? 師匠ちゃん、もう補習終わったの? もう少しかかると思ってたのになあ」


「それはさっき終わりました。で、二人は、何、してるんですか?」


 振り向くと、そこには般若のような表情を浮かべた師匠の姿が。


「し、師匠!? こ、これはですね! その」


「ふふふ。弟子ちゃんが頭撫でてほしそうにしてたからさ。つい」


「へえ」


「部長! 勘違いさせるようなこと言わないでください!」


 一気ににぎやかになった将棋部の部室。窓から差し込む西日が、僕たちを柔らかく照らしていました。

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