第6話 師匠、頑張って

 放課後。将棋部の部室。


 スマホと睨めっこする僕。起動しているのは、『将棋中継』のアプリ。現在行われている対局の様子がリアルタイムで見られるという優れものです。まあ、一日に行われる全ての対局が中継されるわけではなく、話題の人の対局やタイトル戦などに限られますが。


「あ。進んだ」


 部室に響くのは僕一人の声。今日は師匠のいない日。彼女は今まさに、関西の将棋会館で対局をしている最中なのです。


 僕の手元には、いつも使っている将棋盤。その上に並べられた駒たちの配置は、スマホに表示された盤面と全く同じ。師匠の対局が中継されているときは、僕の方でも同じように駒を並べながら観戦するようにしているのです。ただぼんやりとスマホを見ているよりも勉強になりますからね。


「ん? どうしてここでを動かしたんだろ。桂馬けいまの方がよかったと思うんだけど」


 首をひねりながら、僕は将棋盤の上にある歩を移動させました。


 桂馬を移動させることで何か不都合があった? もしかして、その隙に攻められてしまうとか? それとも、移動した桂馬が狙われてしまうとか?


 頭の中ではグルグルと大量のはてなマークが回転し始めます。


 分かってはいるのです。僕みたいな一般人が、プロの指した手の意図を正確に把握するなんて無理なのだと。


 プロ棋士は、ただ一手先、十手先の進行を予想していれば勝てるという世界ではありません。五十手以上先を考えないといけない時だってあるのです。それに、昔聞いた話ですが、ある局面を境に終局までの流れを全て考えてから指す場合もあるのだとか。一生かかったとしても僕なんかにできる芸当ではありません。


 そう。分かってはいるのです。


「うーん。次の一手は……」


 ですが、考えてしまうことをやめられないのもまた事実。それが師匠の対局となればなおさら。


 だって、僕はあの人の弟子なんですから。


 ふと脳裏によぎるかつての会話。


『私が対局で学校にいない時、君はここで何してるの?』


『そうですねえ。部長が来たら対局してもらったりしてます』


『部長も来ない時は? 部活自体休み?』


『うーん。一応ここに来て、下校時間が来るまでいろいろしてます。本読んだり、宿題したり』


『なるほどね』


『あ、でも、絶対にしてることもありますよ。師匠の応援です』


『え?』


『部室にいると、絶対に「頑張れ」って呟いちゃうんですよね。もう癖みたいになっちゃいました』


『そ、そうなんだ。あ、ありがとう』


 少しだけ慌てた様子で顔を背ける師匠の姿は、なぜか鮮明に覚えています。


「師匠、頑張って」


 思わず出た呟きは、果たして師匠に届いてくれたでしょうか。

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