第5話 だから私、あの時……

 放課後。将棋部の部室。


「師匠の趣味って何ですか?」


 対局が終わりバラバラに散りばめられた駒たちを並べ直しながら、僕は師匠に問いかけました。ちなみにですが、対局結果は僕の惨敗です。


「趣味? また唐突だね」


「不意に気になっちゃいまして」


「ふむ。しいて言うなら読書かな」


 将棋盤の横に置かれた本を僕に見せながら、師匠はそう言いました。本のタイトルは、『嘘つきの麦わら帽子』。今巷で話題になっている青春ドラマ作品です。


 確かに、師匠が読書をしている姿はよく見かけます。僕との対局中にも本を広げているくらいですから、相当な読書好きなのでしょう。師匠の家の本棚が気になるところですね。一体何冊くらいの本が並べられていることやら。


「読書以外だと何があります?」


「そうだね。うーん」


 腕組みをしながら首をかしげる師匠。数秒後。「あ」と声を漏らした彼女は、僕に向かって優しく微笑みました。


「思いついたんですか?」


「うん。最近一押しの趣味」


「な、何です?」


 読書を差し置いてまで一押しと言わせるほどの趣味。それは一体?


「君をからかうこと」


「ちょ!?」


 思わず椅子から立ち上がってしまう僕。まさかそんな答えが返ってくるなんて思ってもみませんでした。そりゃ、師匠がからかい好きなのは知ってますけど、趣味とまで言われるとは。しかも一押しの。


「ふふ。いい反応だね」


「そりゃ、こんな反応もしちゃいますよ。あ。もしかして、趣味がからかいっていうのも僕をからかってるだけで、実は別の一押し趣味があったり?」


「本当にそう思う?」


「いえ、全く」


 即答できてしまう事実がこんなに悲しいなんて。ハハハ。


 椅子に座り直す僕。先ほどよりも体が重く感じるのは、絶対に気のせいではないでしょう。


「にしても意外。『将棋が趣味じゃないんですか?』って聞かれるかと思ってた」


 不意に、師匠がそう告げました。彼女の綺麗な瞳が、まっすぐ僕に向けられています。


「あー。いや、それはちょっと」


「ん?」


 師匠の趣味は将棋。その考えが全く頭に浮かばなかったわけではありません。けれど、それを言うのは抵抗があったのです。


 だって。


「師匠、将棋の世界で戦ってるじゃないですか。それなのに、『将棋が趣味なんですか?』って聞くのはなんか違うなって。趣味っていう軽い括りの中に入れちゃいけないでしょうし」


「……あ」


 僕の言葉に、師匠は目を大きく見開きました。そのまま、無言で僕を見つめます。


「えっと。師匠?」


「…………」


 返答はなし。まるで時が止まってしまったのではないかという錯覚。それが間違いであることを伝えてくれるのは、窓の外から聞こえる吹奏楽部の楽器音。


 そうしてどれくらい見つめ合っていたのでしょうか。


「君は、初めて会った時からそうだよね。だから私、あの時……」


 部室に差し込む夕日の光が、師匠の頬を薄く染めていました。

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