第2話


俺がクソッタレゾンビウイルスに感染してしまったのは、柄にもなく人助けなんてしようとしたからだった。


三日前の朝。


俺はいつものように眠い目を擦りながら出社しようと道路沿いの道を歩いていた。


ふと前方を仰ぐと、視界に飛び込んできたのが、フラフラとした足取りのランドセルを背負った小学生。


危ないなぁと思いながら見ていると、その小学生は何を思ったのか、横断歩道でもないところを道路のど真ん中に向かって歩き始めたのだ。


結構車の往来がある場所だったので放っておくと確実に轢かれる。


俺は少しの間迷ったが見殺しにしたら、何か咎めを受けるのではないかという強迫観念から、その小学生を助けに走った。


「おい、危ないだろう。こっちに来い」


フラフラと道路のど真ん中を歩く小学生の手

を引いて無理やり歩道に戻す。


「道路を歩いていたら轢かれるぞ?何考えてんだ?」


「…」


小学生の目は虚で、焦点があっていなかった。


俺が叱っても上の空。


その体は、直立することなく、常に左右に揺れていた。


俺が首を傾げて小学生の顔を覗き込む。


次の瞬間、その小学生の目がぎょろっと動いたかと思うと、いきなり俺の腕に噛みついてきたのだ。


「痛てぇえええええ!?何すんだこのガキ!?」


悲鳴をあげて俺は小学生を振り払う。


腕にくっきりと歯形が刻まれて血が流れた。


痛みを堪えながら、俺は小学生を躾けようと手を振り上げた。


こんな凶暴な子供を碌に躾けずに放し飼いにしている親に無性に腹が立った。


「一体なんのつもりだおい!こんなことをしてタダで済むと思うなよ…!」


感情的になっていた俺は、拳を思いっきりその頭に振り下ろそうとする。


だが、途中で人目があることに気づいてやめた。


通勤途中のサラリーマンと思しき男が不審そうな目で俺のことを見ていたのだ。


俺は慌てて振り上げていた腕を下ろし、そのままその場を立ち去った。


チラリと振り返ると、小学生はそのままフラフラとどこかへ歩いて行ってしまった。


結局その日は、俺は痛みを堪えてなんとか仕事を終えた。


家に帰り、軟膏を塗って包帯を巻いたのだが、痛みは治らなかった。


その日からどんどん痛みは増していき、気分が悪くなった。


会社を休みたかったが、この程度の理由で休めるほどうちの会社はホワイトではなかった。


何しろ親が死んだ社員の欠席願いを無視して出社させるような鬼畜会社だ。


子供に噛まれた程度のことで休むことを上司が許してくれるはずもなかった。


俺は日に日に増していく痛みに耐え、病院にも行けず、働き続けた。


放っておけば治るはず。


基本的な処置はしたはずだし、これ以上悪化するはずがない。


そんな願望を胸に抱いて働き続けたわけだが、ついに痛すぎて普通に立って歩けないまでになってしまった。


噛まれた腕を上げることすらままならなくなり、その日俺は会社を無断で欠席した。


上司に欠席理由を連絡すべきか悩んでいるうちに、出社時刻は過ぎていた。


出社時刻が2時間を過ぎた頃に電話が10分おきになり始めた。


もちろん無断欠席の理由を問い詰める上司からの連絡だろう。


俺は怖くて携帯の電源を切った。


そしてそのまま眠りについた。



で、起きたらゾンビパニックが外で始まっていた。


映画で見たような終末世界の光景がそこには広がっており、俺は一瞬白昼夢を見ているのかと錯覚した。



ニュースは俺の住んでいる街で起こっている異常現象でもちきりだった。


空にはおそらくマスコミのものと思われるヘリが飛んでいた。


悲鳴。


怒号。


衝突。


サイレン。


まるで映画の中のような光景を、俺はぼんやりと窓の外から眺めていた。



ゾンビパニックが始まって二日目。


どんどんどんとドアを叩く音がした。



開けてくれ。

助けてくれ。


そんな声がドアの外から聞こえてきた。


俺は腕の痛みで立ち上がるのが億劫だった。


可哀想だとは思いつつ、その声を無視した。


どうせみんな死ぬ。


それに……多分俺も感染者だ。


ここに他の人間を匿ったところで、やがて正気を失った俺は、そいつを食い殺すことになるだろう。


そう思って、俺はドアを叩く音を無視した。


やがてゾンビ唸り声のようなものと、つんざくような悲鳴が聞こえた。


しばらくして、どんどんとドアを叩く音がまた聞こえ始めたが、今度のは緩慢なものだった。


人の声はもう聞こえなかった。



ゾンビパニックが始まって三日目。


朝起きてみるとテレビもネットも使えなくなていた。


電気も水道も流れない。


俺はまだ正気を保っていた。


最後に見たニュースでは、政府はこの街を隔離することを決定したが、すでに謎のウイルスの感染者は、街の外でも確認されているようだった。


アナウンサーは真剣な表情で、不審な徘徊者を見つけたら通報せよと国民に呼びかけていたが、もう手遅れだろう。


この国は終わるのだ。


そう思うとなんだか楽になった。


死ぬのは俺だけじゃない。


最後にはみんなゾンビになって死ぬのだ。


赤信号、みんなで渡れば怖くない理論。



パサパサの保存食を食べ、湯船に溜めた水を飲みながら、俺は生き延びていた。


なかなかその時は訪れない。


腕の痛みは増して、意識は朦朧としている。


いつになったら俺はゾンビになるのだろうか。


ゾンビになっても意識はあるのだろうか。


それとも完全に自我は消えてしまうのだろうか。



わからないが、どうせゾンビになってしまうのなら、最後に快楽を味わっておこうかと思った。


「へへへ…」


下卑た笑いを漏らし、ズボンを下ろす。


股間を露出し、充電が残りわずかのスマホを手に取った。


エロ画像を検索しようとして、ネットが使えないことに気づく。


仕方がないので、オフラインでも見れる保存しておいたエロ画像を画面に表示する。


スマホを近くの床に置いて、まだ動く方の手を股間に添える。


だが俺のモノはぴくりとも動かない。


スマホのエロ画像を見下ろしても、性欲は湧

き上がってこなかった。


代わりに俺の頭を支配したのは食欲。


裸の女性の肉体を見た時に、早く噛みつきたい、食べたいと、そればかり考えてしまう。



ああ、俺は本当にゾンビになるんだなとそんなことを思った。

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