第1幕 愛、擦り抜ける 三頁 小指のマニュキュア
小指のマニュキュア
「五大さんっ!……五大さん!……何だってこんな事に……。
俺、如何すりゃ…………」 俺は途方にくれて、ウロウロ歩きつつもスマホを取り出し見ていた。
こんな瞬間に出逢っちまう人生を、心底不運に感じたさ。
今までラッキーだったかも知れないのに何も感じはしなかったが、不運だけはこんなにも分かり易いものかと感じる。
やっぱり何度呼んでもピクリともしなかった。
そりゃあそうさ、明らかに死んでいるんだからさ!
こんな時は警察なのか救急車に連絡するべきかも、大の大人が混乱して分からなかった。
回らない頭で考えた。死亡証明書を書くんだから、救急車で良いか。
どうせ警察にも連絡してくれるんだろうさ。
そう、安易に考え救急車に連絡した。
「脈とか確認出来ますか?……呼吸は?」
と、暢気に言いやがる。
「だから死んでいるんですよ!明らかに死んでるの!」
そう苛立って怒鳴り伝えた。
「そうは言われても、倒れているだけかも知れません。今向かっていますから、その間に蘇生出来るかも知れないんですよ?諦めないで……落ち着いて……AEDとかは周りには……」
普通なら其の落ち着き払ったこんな時の救急の人の声は安心する。
けど、僕は違った。
「平気でそう言いますけどぉ!」 思わず毒付いた。
血塗れの真っ赤な顔した五代 大夢(ごだい ひろむ)の遺体を眺め、狼狽えた。
「……パレットに埋もれてるんだよ……何も出来ないんだよ!」
そう……伝えた瞬間……涙で前が真っ赤に滲んで見えなくなった。
こんな不運を前に負けたんだ……。
俺は……負け犬だ。
自分で今……「何も出来ない」と、言ったと同時に知ってしまった。
「諦めないで、諦めないで下さい!」
そんな事を言うのは、此処にいる負け犬の僕を頼らざるを得ない此奴等の言い分で、大義名分も持てない僕は卑怯だ何だと言われようが、此処から一秒でも早く逃げたい事には変わりは無い。
やれ自分が……と、思える様な状況の範疇を明らかに逸脱しているではないか。「だから何も出来ないんですよっ!」
何でこんなにも己の無力を何度も説明しなくてはいけないのかと途方にも暮れた時だ。
「……せめてそのパレットが退かせれば……」
救急の人も既に僕などに期待は持てないと気付いたのか、そんな事を言った。
五代 大夢の流す血液はパレットの間からじわりじわりと流れ出て、未だ乾く事も無い。
パレットの下敷きになってそんなに時間が経過していない事や、中まで見えないが……否、見たいとも思わなかったが相当の重量が掛かりぺしゃんこであろう事ぐらいは想像がついた。
怖いよ……怖いに決まっている。
相変わらず五代 大夢の目玉は奥から僕を見ていたのだから。
だからこそ、出来るだけ視線を外したかった。
僕なんかに最後の望みなんかを託されたって、迷惑なだけだ。
視線を逸らすと何処からか風が入っている事に気付いた。
そうだ……入って来た時、倉庫の扉は開いていた。閉じた覚えは無い。
横の壁を見ると、釣られた貨物を引っ掛け移動する為の小さなクレーンのフックの先が垂れ下がっている事に、影が揺れているのを見て気付く。
何となくだが、影では何ともならないので、現物を探し始めた。
「……あった」
僕は壁に操作パネルを見付け呟く様に言った。
……つもりではいたが、勿論スマホを切っていないので救命の人にも聞こえた様だ。
「何か退かせそうな物、ありましたか!?」
……この明るい声……期待。
それが今、一番気が滅入ると分からないかなぁ~と、僕は心に思う。
確かに瀕死の人なら印象は違っただろうが、僕にとってはプレッシャー以外の何物でも無い。
「小さなフック式の貨物専用クレーンがある。パネルも見付けましたが、僕はこんな物……触った事も無い。間違えたら逆にご遺体を更に潰してしまうかも知れない。お勧め出来ませんし、やりたくないですね」
僕ははっきりと期待されても困るので、先に断る。
だが、そのパネルに書いてあるメーカー名と型番を調べるので言えと言うのだ。 ……何て事だ。
「良いですか?僕はあんな血塗れパレットには触りたく無いんですよ!」
そう言ったが、相手は話など聞いてなどいない。 恐らくは到着に時間が掛かるからだろう。
だかと言って素人に何をやらすのかとも思うが、奴等はそう……「ご協力」を名にきせ何でもやらすに違いない。
スマホの相手の指示の通り、寸分違い無く操作した。
未だ誰も到着していない、僕と五代 大夢のご遺体だけの倉庫だ。
五代 大夢の上に幾重も折り重なっていたパレットが、轟音と甲高い木の割れる音も含み、崩れ落ちて行った。
「何とか救出出来ませんか?……もう少し、もう少しで到着します」
そう救命の人が言った。
「ああ~、もうっ!一般人がやる事じゃないだろう!二次被害に曹ったら助けてくれるんだろうなっ!」
と、僕はやけになって残りの古いパレットを、一枚ずつ腕を通し遠くへ投げる。 割れようがこの際どうでも良かった。
今日はやたら付いてない上に、タダ働きまでさせられてこれも全部全部、五代 大夢の所為だと思った。
夏緒は何だってこんな出来損ないの噂だけの探偵に、大事な自分の居場所を託したのだろう。
パレットのやっつけ仕事の所為か、夏緒にまで苛立ちを感じていた。
愛しても愛しても……結局は何もお互いが知らなくても済む夜の街
そんな此の街にありふれた愛を……僕は、否定した
そんな街の住人だからこそ、僕は永遠に否定し続けるだろう
夏緒がどんな想いで僕と暮らしていたかなんて、今となっては何も分からない
利用だったかも知れないし、それでも構わないと思っている
僕はそうじゃなかった
それだけで良い……
今はそんな事も伝えられない
……あんな街じゃ
次第に五代 大夢のご遺体の全貌が現れて来た。
後頭部は大きく凹み髪の毛も血痕だらけ。
顔は真っ赤な鬼の様に充血した眼だけが見開き、見るも無残とは此の事を言うのだと思った。
僕は生きていた五代 大夢が重なり、吐き気を覚え嗚咽を堪え重くグニャグニャになった身体をパレットの横に仰向けに寝かせた。
自分の両腕は五代 大夢の血で真っ赤に染まる。
繋いだままのスマホから大丈夫ですかと何度も応答するようにと、ハンズフリーにしていたので声が聞こえる。
「……大丈夫な訳……」
……ないだろうと続けようとした時だ。
死後硬直で筋肉の伸縮があった為か、偶然五代 大夢が握っていた手を緩めた。
勿論、確認したが死亡している。
其の掌からコロコロと印鑑の様な薄白く細長い物が転がり落ちたのだ。
何か大事な印鑑でも持っていたのだろうか……。
探偵なのだから、そんな事もあるかも知れない。
僕は茫然としていたが、その何かが転がった先を追い……
其れを拾い上げた……。
「……夏緒……」
思わず其の名を小さく呼んだ。
僕の手に取った物は……真っ赤なマニュキュアが爪に塗られた、人間の小指だった。
「……夏緒!……夏緒っ!」
僕は此処に来た理由を思い出した。 五代 大夢のご遺体を掘り出す事じゃあない。 夏緒だっ!
そう思って、夏緒を更に探そうと、大事な小指を握り閉めた時だ。
夏緒の姿も探せぬまま、僕は後頭部に鈍痛を覚え、その場に倒れたのである。
薄れゆく意識の中……
掌に握り閉めた小指の赤だけを……
意識が途切れる最後まで……
慈しむ様に眺めていた。
……目覚めたら……
夏緒がいたあの日に戻りたい……。
――――――――――
「それで小指が出たって事は、岸島 夏緒(きしじま なお)さんって人……亡くなっちゃったの?」
優魅は聞き辛そうに隼人に聞いた。
まさか、此の探偵事務所を開業した理由を聞いたら……そんな壮絶な話になるとは、誰も思わなかっただろう。
何処で如何間違えて転んで、浮気囮り調査専門の探偵になってしまったかが不思議でならない。
「否……僕はそう思っていない、夏緒は言ったんだ。”これは隠れん坊”だと。その後、僕が夏緒と五代さんを殺した容疑者にされ掛かった。あの場に倒れていて、他に誰もいなかったんじゃ無理もなかったけれど、救命の人がずっと話していた内容の録音データを提出してくれたお陰で助かった。……それからとてもホストに戻る気もしなくてフラフラしていたんだ」
「隼人って感じね~、そのフラフラ~な感じは」
と、優魅は茶化す。
「悪かったな……。でも、あの小指を警察に提出する前に、ちゃんと指紋採取らしき事はしてみたんだよ。ネットでどうやるか調べて。片栗粉に耳かきのふわふわで優しく余分な粉を取るだろう?後はテープで採取して黒い台紙か何かに貼るだけ。案外簡単なんだ。部屋にある夏緒の指紋と比べてみても、全然違った。そう思いたいだけなのかも知れないけれど、夏緒の小指じゃない気がして……。未だ生きているんじゃないか……だったらあの知らない人の小指と言い、五大さんの事と言い……とんでもない事に巻き込まれているんじゃないかって思って此処に来たんだ」
隼人はそう言った。
何ら根拠は無いが、本人にとっては大まじめな話なのだ。
だからこそ、今も五代 大夢みたいに死にたくは無いと思い乍らも、この五代 大夢の経営していた探偵事務所跡に残っているに違いない。
まともな探偵になれなくても、たった一人……
岸島 夏緒と言う女の為に。
「私も……赤いマニュキュア、塗ろうかな……」
優魅はボソッとそんな事を言った。
「おい、冗談は辞めろよ」
と、隼人は明から様に怪訝そうな顔をする。
隼人は出逢った頃から、元々浮気囮り調査専門の探偵だと知っている。
だから仕事中も知らないし、誰といようが付き合おうが、それが生き方なら特に気にした事も無かった。
……なのに、今更そんな一途なところを見せて何なのよ……
優魅は何でその時、不愉快に思ったかも分からなかった。
……きっと遊び人が一丁前に格好付けた様な言い訳をするから呆れただけよと、思う事にしたのだ。
「……あっ、仕事だ……」
隼人はスマホの着信に気付き、画面の番号を確認すると言った。
「仕事終わったら、その完璧な彼の話……聞かせろよ」
と、通話を押す前に優魅に一声掛ける。
「良いわよ。……幾らにもならない下らない話だわ」
優魅がそう言うと、横を向くので何か機嫌でも悪いのかと、首を傾げ乍ら隼人は、
「否、聞くよ」
そうとだけ伝えると通話を押した。
隼人はあっという間に待ち合わせの場所と時間を決めている。
常連さん……って事だろうか。
”何時もの場所”で通用するのだから、何回かは会っているのだろう。
その先は考えない。きっと下らない男と女の騙し合いの世界よ……。
優魅はそう思って、漠然と自分の小指を見詰めた。
たった小指一本で繋ぎ止める愛……か。
……約束の指……。
誰かは約束を壊そうと、その小指さえ差し出した。
……小指の持ち主の生存は不明のままである……。
隼人がホストだった頃なのだから、客と言う線もある。
二人の中を邪魔したかった客がいてもおかしくはない。
優魅はそんな事を考えついたのだ。
「じゃあ、悪いけど行ってくるから。配信未だだろう?特に何もないとは思うけれど、留守を頼むよ。何か分からない事があったら……」
「美耶子さんに聞け……でしょう?」
何時もの事なので、優魅はそんな事ぐらい分かっているわと、手を面倒そうに振る。
「もう少し、愛想良く送り出せないかな」
と、隼人は文句を言ったのだが、
「そんなの、沢山いるマダムに頼みなさい」
と、言われる始末である。
優魅はまた、一言二言文句でも返って来るかと思っていたが、何も言葉は返って来なかった。
無言で怱々と事務所を後にした隼人に、ムッとしつつも外階段をせわしなく降りていく音を聞いていた。
「……赤。……何故他の色じゃなくて……赤……」
岸島 夏緒がどんな女性であったかなんて、優魅には想像が付かない。
正しくは、人物像として纏まりが無いとも言える。
素朴であるのか、派手好きなのか……。
本当の岸島 夏緒は……どっち?
そう考えた時、飲み物を飲んでいた手がピタリと止まる。
違うわ隼人……これはきっと……
岸島 夏緒が岸島 夏緒自信を隼人に知って欲しくて始めたゲームなのよ。
何も知らなくて良い……
そんな出逢いの延長線上に
本当の愛を岸島 夏緒は
求め始めたのかも知れない。
噓の上手な……No,1ホストだった隼人に
噓では知る事の出来ない……生身の人間を使ったゲームで、挑もうとしているのかも知れない。
此の街にありふれた愛を 黒影紳士@泪澄 黒烏るいすくろう @kurokageshinshi
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