第11話 ほんの小さな不注意は致命的

 Side—朔也


 朔也は焦っていた。


 後部座席に座らせた瞬が、チャイルドシートの上から「パパー、お腹すいたー」と訴え始めていたからだ。


 詩織のアパートまでは自家用車で向かっていた。

 瞬の声には聞こえてないふりで無視を決め込み、渋滞を避けるべく細い路地へとハンドルを切った。


 車が一台ギリギリ通るほどの狭い道路は一方通行ではない。

 対向車が来れば、譲り合いながら僅かに膨らんだスペースを見つけては、離合しなくてはならない。


 すっかりエネルギー切れになっている瞬を気にしながら、目的地へと向かった。


「さぁ、付いたぞ。お行儀よくするんだぞ」


 後部座席から瞬を下ろして、気付いた。

 ケーキを忘れてしまった。

 取り合えず、瞬を詩織の部屋まで連れていき、その後買いに行こう。


 質素な造りのアパートの階段を上り、一番奥の部屋のインターフォンを押した。


 既にドア越しに香ばしい匂いが立ち上っていた。


「はぁい」

 と顔を出した詩織は、エプロン姿で顔には白い粉が付いていて、料理作りに奮闘していた事が伺える。


「ごめん。ケーキを忘れて来たんだ。すぐに買って来るから瞬をお願いできるかな?」


「もちろん」


「お腹すいたー」


 瞬はまた泣きごとのようにそう訴えた。


「お腹空いた? 我慢できない? じゃあ、先に食べちゃう? もう出来てるのよ」


 詩織は朔也の顔を見上げた。


「いいでしょう? 先に食べさせちゃって」


「ああ、頼む。車の中でもずっとお腹空いたってうるさかったから」


「そっか。瞬君お腹ペコペコだ。さぁ、ママと一緒に先に食べちゃおう」


「晩御飯なに?」


「ママ特製のお好み焼きよ」


「お好み焼き? わーい! お祭りで売ってるやつだ」


 そんな会話を聞きながら、朔也は駐車場へと向かった。


 来た道を少し戻り、いつも瞳子が利用しているケーキ屋へと向かう。

 朔也は特にグルテンフリーを妄信しているわけではなかったが、瞳子が買って来る米粉のケーキは、あっさりしていて好きだった。


 目的のお店に付き、デコレーションしてあるロールケーキを購入し、再び詩織のアパートへと車を走らせた。


 帰宅ラッシュで、車は最高潮に混んでいる。

 なかなか進まない渋滞にため息を吐き、助手席に置いたスマホのスクリーンに視線を移した。


「ん?」


 不在着信が3件っ入っている。


 通知をタップすると、「詩織」の文字。


 運転中にスマホを操作するわけにはいかない。

 遠くでパトカーのサイレンの音も聞こえる。

 朔也はカバンにスマホを仕舞った。


 通常なら車で10分ほどの距離を20分以上もかかって、やっとアパートにたどり着いた。


 ケーキの箱を取り、階段を上った。

 インターフォンは押さなかった。

 ノブを回すと、ドアはすんなり開き

「瞬君! 瞬君!!! 大丈夫? しっかりして」


 そんな詩織の悲鳴にも似た声が飛んで来た。


 何があったのか?

 こういう事は家でも度々あった。

 子供はよく突然怪我をしたり、病気になったりする。

 そして、それはさほど重篤ではない事が殆どだ。


「どうした? 大きな声出して」


 朔也は落ち着いていた。

 リビングで、詩織の腕の中で、ぐったりと意識を失っている瞬を見るまでは。


 ボトっと手に持っていたケーキが床に転がった。


「瞬! しゅーーーーーん!」


 顔は真っ赤に腫れ上がり、体はピクリとも動いていない。


 テーブルの上には、大き目のボウルに入ったお好み焼きの生地

 ホットプレートの上では二つの生地が焦げ始めていた。


「小麦粉……。アレルギーだ! 瞬はやっぱり、小麦アレルギーだったんだ。救急車! 救急車を呼んでくれ」


 救急車の手配を詩織に委ね、既に呼吸をしなくなっている瞬の胸を強く押した。


 口から息を吹き込み、何度も何度も心臓マッサージを試みた。


「瞬、戻って来い! 瞬! 行かないでくれ!!」



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