第9話 ランチデート

 Side—美月朔也


 お昼の休憩に入り、外に出る。


「美月さん。また奥さんとランチっすか?」


 同じ部署の後輩、天堂が揶揄うような視線を向けて来た。


「あ? ああ、まぁ」


「いつも仲いいっすよね。羨ましいっす。俺も早く結婚したいなぁ。美月さんみたいに、お昼に弁当届けるような甲斐甲斐しい嫁が欲しいっす」


「今日は弁当じゃなくて外食するんだ。妻がいいカフェを見つけたとやらで、そこで食事がしたいって言うもんだから」


「く~~~、いいっすね~。行ってらっしゃい」


 天堂が入庁したのは2年前。

 ちょうど、詩織との付き合いが始まった頃で、たまたまお昼一緒にいるところを見られてしまった。

 天堂は朔也の妻が詩織だと思い込んでいる。

 他の同僚も、結婚式の時以来瞳子を見た事がないばかりか、名前すら記憶にないはずだ。


 他の女と区別できるはずもなく、例え見られたとしても、みんな詩織を妻だと思うだろう。


 市役所と隣接されている図書館前の広場には小さな噴水があり、癒しの水音を立てていた。


 噴水を取り囲むように設置されているベンチに一人座り、鳩と戯れている彼女を見つけた。

 サイドテールにまとめた茶色い髪が揺れている。

 膝上のワンピースの裾からは折れそうに細い足。

 ノースリーブから露わになった白く細い腕を、鳩に向かって楽し気に伸ばしていた。


 その姿に思わず微笑んだ。


 妻、瞳子の陰った表情を思い出し、僅かに胸が痛むが、彼女を切り捨てるという選択肢は今の所ない。

 彼女と過ごせる僅かな時間が、今は大切だった。


「詩織」


「朔也君!」


「待った?」


 詩織は首を横にふり

「5分ぐらいかな」

 そう言って、眩しく笑った。


「行こうか?」

「うん!」


「今日の気分はどう?」


「まぁまぁかな?」


「まぁまぁ? そうか。随分、楽しそうだったけど?」


「んふふ。バレた? 本当はめっちゃ最高な気分だよ。でもちょっと元気なさそうな方が朔也君、優しくしてくれるから」


「俺はいつだって優しいだろう」


「うふふ。まぁそうだね。あ! あそこ! 占いカフェ」


 詩織が指さした先は、二車線の道路の向こう側。

 国道から繋がっている細い路地の角に、怪しげな風体の小さな店があった。


「へぇ。こんな所に、こんな店があったのか。全然知らなかった」


「前からあったらしいんだけど、最近看板出したんだって。元々は隠れ家的喫茶店だったそうよ。神のお告げがあったらしくて、もっとたくさんの人々を救うために看板を出したんだって」


「占いカフェ星読み? ふふ。怪しすぎるなぁ」


「でも普通にカフェメニューも美味しいらしいのよ。だから、ね! 行こう!」


 詩織は、朔也の腕をグイと引っ張って、青になったばかりの横断歩道を渡った。


 詩織は最近、随分と元気になった。瞬と会わせるようになってからは更に本来の明るさを取り戻したのだろう。

 きっと、これが本来の彼女なのだ。


 出会った当時は髪もボサボサで、服はいつも同じTシャツにスエット。みすぼらしいクロックスもどきのサンダルをつっかけて、虚ろな目をしていた。


『あれは絶対、園の落ち度なの。園側も警察も、問題があったのは家庭だって、話も聞いてくれないの』


 児童福祉課の窓口で、彼女はそう言って泣き崩れた。

 対応に困った女性職員に代わり、朔也が対応したのがきっかけだった。

 彼女は園と闘う姿勢を見せたが、司法解剖の結果、生後八ヶ月だった息子の乃蒼のあの頭部には、強くぶつけた痕跡があり、死因は脳挫傷による嘔吐物が喉に詰まった事が原因とされた。

 詩織は、絶対に頭をぶつけたのは家じゃない。園のはずだと主張したが、園側の調査の結果では、その事実はどこにも見当たらなかった。


 損害賠償には至らなかったが、そこそこの死亡保険金が入り、それで留飲を下ろすしか手立てがなかったのだが。

 それで、詩織の気持ちが晴れる事はなく、空っぽになった自宅アパートで何度も自殺未遂を繰り返していた。


 その度に、彼女のスマートフォンの通話履歴に度々登場する朔也に、警察や病院から連絡が入るのだった。


「いらっしゃいませ」

 詩織が開けたドアの向こうは薄暗く、壁には星空のような小さな光が点々と、無数に輝いている。


「うわぁ、すごい」


 詩織は子供のような表情で店の天井を見上げた。


「プラネタリウムみたいだね」


「お二人様ですか?」


「はい。二人です」


「カウンターにどうぞ」


 珍しいデザインの、古風なワンピースを着た年配の女性に促されて、カウンターに腰掛ける。

 昭和の時代にタイムスリップしたかのような内装に、しばし目を奪われていた。


 女性店主は、二人を見るなり眉間を狭くしてこう言った。


「深く痛ましい傷。同じ不運が二人の絆を深めるであろう」


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