第7話 残酷な真実

「は? なんだそれ。江戸時代か? 上級武士か? お武家様か? なんだ? もう一人の妻って」


 文也は驚きと呆れを混ぜこぜにしたような口調で、朔也を見遣った。


「妻じゃなくてママだよ」

「どっちでもいいよ! その突っ込みいる?」


 何故か、瞳子の代わりに文也が怒りを露わにしている。

 その様子が、なんだか可笑しくて、気持ちよかった。


 第三者的視点は大事だ。

 やはり、これは異常事態なのだと改めて思う。

「大体、義姉さんの気持ちも考えろよ。逆だったら兄貴許せるのかよ」


 文也はなぜか二人だと瞳子さんと呼ぶのに、他の人の前では義姉さんと呼んだ。


 朔也は何か言いたげな口をへの字に曲げて、うつむいている。

 まるで、とんでもなく理不尽な事を言われているみたいな顔だ。

 瞬も同じ顔で俯いている。

 その姿がかわいそうで、瞳子は思わず瞬に手を伸ばした。


「瞬、ママとお風呂入ろう」


「やだ、パパがいい」


 俊は、今年の6月に5歳を迎えた途端、やたら男同士を意識してか、夫にべったりになった。

 泣きながらトイレにまでついて来ていた頃の事を思うと、有難いやら、寂しいやら、複雑な気持ちになる。


「じゃあ、ママが先に入って来ようかな」


「うん、いいよ。ママ先に入って」


「ちょっと待って」

 文也が、立ち上がりかけた瞳子を制止した。


「瞬、おじちゃんと風呂入ろうか」


「本当?!」


 瞬はたちまち笑顔を輝かせた。


「本当! よし、じゃあ入ろう」

 瞬にそう言った後

「二人でちゃんと話しなよ」


 そう言って、二人に目配せして、瞬の手を取った。


 二人がバスルームへと消えた後、突っ立ったままだった朔也は瞳子の前に正座した。


「ごめん」


 そう言って、両手の拳を膝の上でぎゅっと握った。


「どうして謝るの? 謝るような事したの?」


 そう言うと、朔也は激しく首を横に振る。


「何もしてないし、今後もする気はない。愛してるのは瞳子だけなんだ」


「あのさー、お昼に帰って来た時、私が休みの時は私を優先するって言ったよね? それなのにどうして……」


「ごめん。帰る途中でたまたま会ったんだ」


「誰に?」


「だからその……ママに」


 ママという響きにイラっとした。


「誰なの? それ」


児山こやまさんっていう……人」


「児山? その人がどうして急に瞬のママになる事になったの?」


 朔也の話を要約すると、こうだ。


 その人の名前は児山詩織。

 年は私達よりも4つ下の27歳。

 出会いは2年前で、市役所の窓口に来たのがきっかけだそう。

 児童福祉課に配属されている夫が対応したのは、保育所の入所手続き。

 彼女はシングルマザーらしく、民間の託児所を利用しながら昼夜問わず働いていたらしい。

 なかなか希望の保育所に空きがなく、ようやく入所できるはずだった年に、お子さんが亡くなられたのだそう。

 不慮の事故だったのだとか。


 親身に対応する朔也に、いつしか彼女は恋をして、時々ランチを共にするようになったらしい。


 時には手作りのお弁当を持って来てくれる事も。


「それで、瞬の写真を見たいって彼女が言うから、スマホで見せてたんだ。写真とか動画とか」


「瞬を、その亡くなった子供の代わりにするつもり?」


「そんなんじゃない。ただ、少しの間だけでも母親の真似事がしたいって言うから」


 瞳子だって同じ女だ。

 その児山とかいう女が考えてる事なんて大体わかる。

 瞬は完全に出汁なのだ。

 そう言う風に言えば朔也は断れない事を見抜いているに違いない。


「瞬に会わせたのはいつなの?」


 ぐつっと朔也が唾をのむ音が、やたら大きく響いた。


「先週の土曜日」


「私が夜勤の日ね」


「うん」


「会わせる前に言ってほしかった」


「ごめん」


「それに、彼女には恋愛感情があるんでしょ。朔也の事好きなんでしょう? どうするつもりなの?」


「どうもしない。ただ、彼女が落ち着くまで一緒にいてやりたいんだ。突き放す事なんてできない」


「私はどうなるの? あなたに恋愛感情がある女性とあなたが瞬を連れて会うのを、私はどんな気持ちで見送って、待っていればいいの? しかも、瞬にママなんて呼ばせて」


「ごめん」


「ごめんなんて、一番聞きたくないよ」


「ごめ……、あっ。とにかく、今はどうしようもないんだ。瞳子の事は瞳子に任せるよ。別れるっていうなら、それは仕方ないと思う。俺は別れたくないけど」


 真実は想像していたよりずっと残酷で、容赦なく瞳子の心を抉った。


「もういいよ。これ以上、聞きたくない。聞かなきゃよかった」


「ごめん」


 言葉の無くなったリビングに、バスルームからの楽し気な声が漂っていた。

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