バシリー・ベレシャーギン画家の最後のルート

@Torbin

第1話

モスクワのトレチャコフ美術館に行かれた方がベレシャーギン(1842‐1904)による「戦争の果て」という頭蓋骨が嵩張って、その上にカラス何匹かがいるという絵画をきっと覚えていると思います。同画家本人によれば、「人がお互いに殺し合う事実が納得いかず、戦争が生きている所へ行き、その残酷な実態の描写経由平和へ持ち込むべき意志で絵をかいています」。中央アジア戦争、トルコ戦争、日ロ戦争に行ったが、勿論、布や筆を離れ、

手に銃または刀を取って戦う場面も少なくなかった。そういう意味では「文武両道」的な画家と言えるかもしれない。

1901年、初のノベル賞表彰式では、「平和賞」同仁立候補という噂がメディアに回っていたが、今現在その情報が噂のままである(ノベル賞委員会が拒否)。でも、その年、ストックホルムでその戦闘画の展示会を行ったのは事実である。

https://www.nobelprize.org/prizes/lists/all-nobel-peace-prizes/1909-1901/

 

1903年には、3か月程敦賀・京都・東京、日光というルートで日本を旅行し、日本の芸術品数十個(屛風、扇、着物、花瓶等)並びに自分で描いた絵を持って帰った。「日本シリーズ」の絵が今現在サンクト・ペテルブルグの「ロシア美術館」、アゼルバイジャン美術館、クリミアのセバストポリ美術館、モスクワのプーシキン美術館で展示されている。

https://tretyakovgallery.blogspot.com/2017/11/blog-post.html


1904年3月31日、同仁が乗った「ペトロパブロフスク」軍艦が旅順港近辺で水雷衝突で爆発し、戦死。黄海がそのお墓であり、生まれ育ったチェレポベッツ市には画家の記念館がその人生について語っている。

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