Act6.「お花見に行きませんか」

 四月上旬、桜の季節。わたしは駅の改札で友人を待っていた。定刻通り電車が来て、一人、二人、ポツポツと人影が現れる。探すまでもないけれど、待ち人は一番目立っていた。


「せんぱーいっ!」

「相変わらずハイテンションだなあ」

 栗色のお団子ヘアに、黒縁メガネ。少女趣味とまではいかないがガーリーなワンピ―スに、ニットのポンチョ。鈴木真実子がひょこひょこと駆け寄ってくる。


 真実子は前の職場の後輩であり、地球に残る最後の友人であり、そして今日、最後に見送った友人となる予定だ。真実子の『地球最後のお花見に付き合ってください』という可愛い願いを叶えるため、わたしは今ここに居る。


 日頃からSNS上でやりとりしているとはいえ、こうして実際に会うのは久しぶりで、わたしはちょっとだけ緊張した。けれど真実子の方はそうでもないようで「先輩! 会いたかったです!」とわたしの手を取りブンブン振り回す。


「いやー、久しぶりに外に出てびっくりしましたよ! 人間よりロボットの方が多いんですもん!」

「確かにね……」

 わたしはコニーとしか深く関わりが無いが、街中には他にもアンドロイドやロボットが存在している。最早、人間より多く目にするくらいだ。ここの駅員もそうであるし、目の前でススーッと地面を滑る環境整備ロボットもそうである。コニーが他のアンドロイドと話をしているところも見かけたことがあった。機械に囲まれていると、わたしも彼らの仲間なのではないかと思えてくる。


「さ、行きましょ行きましょ!」

「はいはい。大丈夫だよ、桜は逃げないから」

「逃げますよ! すぐ散っちゃいますもん」


 元気いっぱいの真美子に引っ張られ、わたし達は駅からほど近い場所にある公園へと向かった。


 ブランコも滑り台も無い公園は、満開の桜のお陰で殺風景ではない。わたし達はベンチに腰掛け、淡いピンク色の空気を胸いっぱいに吸い込む。こんなにいいお天気で、花見日和なのに、花見客はわたし達以外には居ない。桜の下では、人型ではない機械然とした公園管理ロボットが、はらはらと散る花びらを見上げていた。まるで花を愛でているみたいだ。


 あのロボットが施肥や剪定をしているのだろうか? 何のために? 見てくれる人も居ないのに? ……いや、きっとあのロボットは桜が好きなのだ。自分自身のために、美しい桜を守っているのだ。


「喉乾いたよね? コーヒー飲む?」

 わたしはリュックから水筒とプラスチックのコップを取り出し、氷たっぷりのアイスコーヒーを注ぐ。出発当日にわざわざ時間を作って会いに来てくれたのだ。出来る限りもてなしたい。ポテトチップスの袋も出して、パーティー開きにした。


「わあ、ピクニックみたいですね!」

 真実子は大袈裟に喜び「あたしも」とバッグからタッパーをいくつか取り出す。中にはマーブル模様のクッキーに……マフィンに……フィナンシェ! それも手作り! 完全に負けた! わたしは大人しくもてなされる側に回る。


「流石だね……わたしも、もっとオシャレなもの持ってくればよかった」

「やだ先輩、気を使わないで下さいよ! 突然だったし、あたしが会いたくて会いに来たんですから」


 そう。真実子の言うように本当に突然だった。三日前の晩、真実子は何の前触れもなく『地球を発つので、挨拶に行ってもいいですか?』とメッセージを送って来たのだ。わたしは少しだけ、裏切られた気持ちがした。そんな感情を抱く資格は無いけれど。


「いよいよ真実子も移住組かあ。今日この後、すぐ行っちゃうんでしょ?」

「はい。次の電車でターミナルに行きます」

「いつ決めたの? 今日行くって」

「三日前の朝です!」

 その決断力、見習いたいものである。いや、わたしもわたしで中々の決断をしているのだが。


「先輩は、いつまで地球に居るんですか?」


 悪意の無い問い。ずっと居るよ、と言ってしまいたくなった。そうしたら真美子は驚き、理由を尋ねてくるだろう。でもわたしは、本当の理由を話したく無い。

 ことアンドロイドとの恋愛において、世間は何かと邪推をし、憐れみを向けたがるからだ。真美子自身は裏表のないサッパリとした性格だが、世間の思想や、現に“そういう目的”で生産されたアンドロイドの存在も知っている現代人である。少なからず何か思うところはあるだろう。


馬鹿にされたくはない。この想いを、穢されたくはない。「もうちょっとだけね」と曖昧に答えておいた。どっちみちのは、あと数年だ。



「いっただっきまーす!」

 真実子はゴールデンブラウンに輝くフィナンシェ――ではなく、わたしのポテトチップスを手に取った。バリバリ、ムシャムシャ、顔全体で食べている。こういうところが可愛いな、と思った。わたしは楊枝(真実子には『ピックですよ先輩!』と訂正された)を貰って、フィナンシェをいただく。表面がさっくりしているのに、中はフカフカで、口どけじゅんわり。美味し過ぎた。


 真実子も幸せそうにコンソメの香りを漂わせている。こうして誰かと一緒に食を楽しめるのは、やっぱり嬉しい。


「ねえ、真実子。オアシス行きを決めるのに、何かきっかけでもあったの?」

「はい! よくぞ聞いてくれました!」

 真実子はその質問を待っていたと言わんばかりに「実は……」とバッグの中を漁りだす。出てきた手には、文庫本二冊分ほどの厚さの紙の束があった。


「遂に納得のいくものを書き終えたんです! 鈴木真実子先生の最新作! 地球の最後をテーマにした壮大かつ繊細なSF大長編! 世界的ベストセラー(予定)っ!」

「ああ……」

 そういえば以前、真実子本人から聞いたことがある。真実子は趣味の執筆活動のために、地球に残っているのだと。人の姿が消え、廃れていく東京。それを目の当たりにして、肌で感じることでしか書けないものがある。それを書き終えてから移住するのだとかなんとか。


 真実子は満足そうに紙の束を抱え、来週締め切りのSF小説大賞に応募するのだと熱っぽく語った。真実子の活き活きとした様子をわたしは素直に羨ましく思う。それからムズムズしている真実子を見て、慌てて「どんな話なの?」と尋ねた。そうでもしなければ、この場で読んでくれとでも言い出しかねない雰囲気だったのだ。軽く読むことのできる文量にはとても思えない。


 真実子は「えっと」と、物語のあらすじを話し始める。



 ――物語の舞台は、現代の地球。現実と状況を同じくした、滅びの時を待つ惑星。


 主人公は宇宙観測隊の一人で、別の惑星への移住計画が進む中、隕石の軌道を地球の宇宙センターから観測し続けている女性である。彼女は正義感と探求心に溢れた女性で、恋人である博士と共に、最後まで地球を救う道を諦めなかった。


 地球上の人口の約八割が移住を終えた頃、ある日偶然にも、彼女は気付いてしまう。地球に直撃する隕石の観測システムが、何者かによって操作され、事実とは異なる情報を示していたことを。実際にその軌道の先にあるのは地球ではなく……地球から遥か遠く、既に殆どの人類が移住を終えている希望の惑星であることを。


 全ては自我を持ったアンドロイドと、彼らに洗脳された影の政府の陰謀。地球を乗っ取り新たな理想郷を築き上げるため、邪魔な人類の一掃を目論んでいたのだ。恐ろしい真相に気付いてしまった主人公と恋人は、人類を救うべく奮闘し、アンドロイドとの戦いに身を投じていくこととなる……。


 ――というのが、真実子先生待望の最新作のストーリーであるらしい。


 物語としては面白いし、素人目から見れば、よく出来ていると思う。それでも素直に良いとは言えなかった。アンドロイドを悪者にするその内容が、どうしても受け入れ難い。


 もし真実子の小説が評価され、世に出回ることがあればどうなるだろう? フィクションとノンフィクションが融合した妙にリアルなそのストーリーは、現実のアンドロイドへの疑心を生み、彼らと人類の亀裂に繋がりはしないだろうか?


 ……とはいえ、真実子の熱意と努力を批判することはしてはいけない。


 わたしは「凄いじゃん。頑張って!」と空っぽの言葉にそれらしい抑揚を付けた。詳しい感想を求められる前に、プラスチックのコップを呷る。アイスコーヒーの氷が一緒になだれ込んできた。冷たい口に、続けてマフィンを頬張る。



 仕事の話とか、ゲームの話とか……中身の無いお喋りを楽しんでいると、いつの間にか日が傾き始めていた。もうじき電車が来る時間だ。


「え、もうこんな時間ですか?」

「そろそろ行かなくちゃだね。駅まで送るよ」

「もっとピクニックしてたかったなあ。ね、先輩も早く来てくださいよ? あっ、でも人の居ない地球でいいネタがあったら、随時メッセージで教えて下さい!」

「気が向いたらねー」


 公園を出て、駅までの道を歩く。さっきまであんなに暖かかったのに、夕方は風が冷たい。わたしは薄手のコートを引き寄せ、ホットコーヒーにすれば良かったかな? と思った。



 ……違う。


 この寒さは風のせいじゃない。言うなれば寒気。背筋を走る悪寒だ。誰かに見られている気がして、わたしは横目で周囲を探る。けれどどこにも怪しい人影はなかった。ドラム缶みたいな見た目の清掃ロボットが数体、こちらを視ているだけ。


 ……何故、ロボットはこちらを視ているのだろう。何故、この場所に集まっているのだろう。嫌な、予感がした。


 数歩先では、真実子がふわふわ歩いている。その後ろ姿はわたしを置いてけぼりにして、すっかり春の陽気に夢見心地で、非現実的に見えた。

 ふわふわ、ふわふわ。白い帽子に、アイボリーのニットポンチョ。柔らかな印象の彼女には春が良く似合う。真実子自身もそれを自覚しているみたいなその動きは、たんぽぽの綿毛のように軽やかで、




 風に吹かれて、飛んで行った。




 それは突然だった。道路を走っていたトラックが歩道に突っ込んできたのだ。たんぽぽの綿毛は……やはり重量のある物体だったのだと思い知らせる鈍い音を立て、車体に潰される。


 完璧に整備された交通機関。自動車はまさに“自動”車で、信号を無視することはもちろん、許可されたエリア外を走行することなどあり得ない。自動車が人に接触することも、安全システム上あり得ない。システムが、何らかの意思で改竄でもされない限りは。


(どうして……)


 わたしは膝がカクンとなって、その場に座り込む。体のどこにも力が入らなかった。

 事故現場には、待っていたかのように清掃ロボットが集り、無感情に道路の清掃と車体の整備を始める。彼らが機会然とした外見であることも理由の一つかもしれないが、それはとても恐ろしい光景に感じた。まるで人間がゴミみたいに機械に処理されている……。


 わたしはこんな時に何故か、真実子の書いた小説の話を思い出していた。真実に気付いてしまった人間を、機械が排除しようとする世界の話を。


(まさか、そんな、だって……なんで……)


 思考が散らばる。無駄も慈悲もない清掃作業で、真実子の痕跡が消されていく。血液も、細切れの何かも、嘔吐感を催させるにおいも、ホースから勢いよく噴射される水で洗い流されていく。


 わたしはそれを黙って見続けた。悲しいけれど、泣けない。本当は泣かなくてはいけないのに。何も知らない、気付いていない無知な一般人でいなければいけないのに。恐怖で硬直した体は人間の機能を忘れていた。


 清掃ロボットがわたしの方を振り返り、モップの足を引きずりながら近付いてくる――が、ピタリと止まった。代わりに背後からコツ、コツ、と聞き慣れた足音が響く。


 それは、わたしが常に恋しく思う足音だった。なのに今この時だけは、恐ろしく感じた。冷徹で無機質な、彼の足音。


 やっとの思いで首だけ回して見たコニーの顔は、音に反して人間じみた弱々しいものだった。真実子の小説に出てくる悪役らしさはない。

 僅かに震える声で、懇願するような響きを持って、彼は言った。



「今週末、お花見に行きませんか?」



 ああ……わたしは絶望に突き落とされる。この状況に全く触れないその言葉は、つまり肯定であり、黙秘である。残酷で優しい誤魔化しだ。


 彼はじっと、わたしの言葉を待っている。わたしが彼を、彼らを受け入れるのを待っている。


 清掃ロボットが、街中の監視カメラが、ありとあらゆる機械が、わたしに注目している。監視している。わたしを……“人類”を見ている。




 差し出される彼の手を、わたしは、




 わたしは――。






【人口密度100東京】 完

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