Act5.「月夜のふたり」

 クリスマスにコニーと雪を見に行ってから、早いもので三月が経とうとしている。凍える冬が終わり、春の柔らかな空気を感じる日が増えてきた。

 とはいっても、まだ夜は冷える。わたしは買い替えたばかりのエアコンをONにした。


 ――あの日、ワープマシンの搭乗予約を無断キャンセルした後、母からは日々怒涛のような連絡が続いた。わたしは予約代金に上乗せした金額を母の口座に振り込むだけして、全ての連絡を拒否している。

 決して母が憎いわけではない。この問題はどう話し合ったところで折り合いがつくものではないのだ。最初は良心が苛まれたが、今はもう吹っ切れている。これが、わたしの選んだ道なのだから。


 わたしはベッドの上で、一枚の写真をニマニマ眺めた。積雪地方に日帰り旅行をした際に撮影した“二人”の写真だ。こうして見ると人間同士の普通のカップルにしか見えない。……別に、彼が何であっても構わないけれど。


 写真のコニーの表情は硬く見えるが、撮影の直後、雪に足を取られ顔ごと突っ込んだわたしに「大丈夫ですか? 綺麗な大の字ですね」と悪戯っぽく笑ったことを、わたしは知っている。


(また一緒にお出かけ出来るかなあ……今度はお花見とか?)

 胸のあたりがポカポカした。春だ。完全に浮かれている。年末に死ぬほど悩んでいたのが嘘みたいだ。


 けれど、わたしの実際以上に明るい視界は、一気に暗闇に包まれる。パチンとスイッチが切られたように、一瞬で何も見えなくなった。――驚きはしたものの、一人きりだという無力さが、思考を冷静にしてくれる。


 最初は何も見えないと思ったが、実際はそうではない。薄ぼんやりと“暗闇が見えている”。つまり視力は失われていない。


 ……停電、だ。こんな風も雷もない夜に?


 窓の外を見ると、街灯も消えていた。街全体が暗いのだから、ブレーカーが落ちたのとは違う。


 わたしはベッドの上で横になり、じっと復旧を待った。しかし暫く待っても明かりが戻ることは無い。暗く静かな中、一人で黙っていると……自分の輪郭が曖昧になっていく感じがする。この夜に同化して消えてしまうような孤独と不安が押し寄せた。

 ……違う。暗いからじゃない。静かだからじゃない。きっとこの孤独と不安は常にわたしの中にあった。ただ誤魔化してきただけ。モニターやスピーカーの向こうにしか居ない人々の存在に、誤魔化してもらっていただけ。

 分かっていた筈なのに、覚悟できていた筈なのに、独りぼっちが怖くなる。


 わたしは窓の外の月明りに縋った。優しく照らされたその向こう、もっともっと遥か向こうに、手放したもの達が見え隠れする。


(もうずっと暗いままなのかな? 電力の供給が断たれた?)

 もしかすると、政府は地球を見捨てたのかもしれない。告知されていた移住期間は嘘で、移住先の人口が一定に達したら全てのルートを断ち、残りの人間を地球に置き去りにするつもりだったのかもしれない。そもそもこんな少人数のためにインフラを維持すること自体、おかしいじゃないか……。


 ありもしなくはない妄想ばかりが膨らんで、目が熱くグラグラした。


 今すぐアパートを飛び出して、近所を駆け回ってみようか? 久野もこの停電に困っているかもしれない。久野以外の住人だって居るには居る。不安を共有し助け合うことのできる人間はまだ居るのだ。


 でも。いつだって、わたしの頭に真っ先に浮かぶのは、心が助けを求めるのは――


 電気で動く、彼なのだ。


 コニーは停電に気付いて復旧作業にあたっているだろうか? それとも近隣住人を安心させるため、巡回をしているだろうか?

 アンドロイドの内蔵バッテリーは、数年充電する必要がないと聞くが、その数年目がちょうど今日だったらどうなるのだろう? そうでなくても、このまま電気が供給されなければ? 彼は、彼は、彼は……。


 最悪な妄想が頭を巡る。まるで、わたし達の未来を知らしめられたみたいだった。




 ドンドンドン、とドアが叩かれる。

 大きく乱暴な音に心臓が跳ね上がった。

 そして、自身の名を呼ぶ聞き慣れた彼の声に、ストンと落ちる。


「大丈夫ですか!」


 わたしは返事をしようとしたが、口が震えて上手く声が出なかった。それでも何とか立ち上がり、躓きそうになりながらドアを開ける。ドアの向こうには、汗一つかかない肌。息が切れて上下することなど決して無い肩。ただその髪は少しだけ乱れていた。


「……、」

 わたしは堪らず、彼の腕の中に飛び込んだ。鼓動のないその胸に顔を押し付け、しがみ付いて泣きじゃくる。安堵と不安が同時に溢れた。彼に対する想いの分だけ苦しくなる。わたしは彼といつまでこうして居られるのだろう?


 コニーはらしくなく「ああ、はい、ええ」と意味のない言葉を何度か繰り返し、不自然に両手を浮かせていた。彼は緊急時以外、自ら人間に触れることは無い。そうプログラムされているのだろう。

 だからわたしは彼に、背中をさすったり頭を撫でたりという動作は期待していなかった。けれどその冷たい手は、そっとわたしの頭に触れ、離れ、触れる。ポン、ポンと乱れることのない作業的なリズムが、わたしの心を落ち着かせた。

 

 コニーはわたしをベッドに座らせ、呼吸と脈拍が通常に戻ったのを確認してから状況の説明をしてくれる。先程と同じ部屋なのに、不思議と真っ暗だとは感じなかった。


 ――この停電は、電力管理システムの誤作動が原因だという。人間が完全に立ち退いた区域の電力供給を断ち切る際、その他の区域まで切ってしまったらしい。数時間もあれば復旧するとのことだ。


 わたしはそれを黙って聞いていた。彼の声を聞いていると安心できるから、遮ってしまいたくなかった。けれど彼はわたしに返答を要求する。


「大丈夫ですか? 落ち着きましたか?」

「大丈夫って言ったら、コニーはもう行っちゃうの?」

 自分でも気持ち悪いくらい甘えた声が出た。コニーの顔が一瞬だけ引き攣ったように見えて、わたしは恥ずかしくなる。


「ごめん……緊急事態だし、忙しいよね。他の人も困ってるかもしれないし」

「停電の情報は携帯端末でもキャッチできますし、そう問題はないでしょう」

「携帯? あ、そっか……はは、忘れてた。でも、久野さんのところには行かなくちゃだよね。あの人携帯の使い方よく分かって無いし」

「まあ、大丈夫ですよ。あの方は一度眠ったら、朝日が昇るまで決して目覚めません」

 コニーはそう言って、わたしの横に腰を下ろした。ベッドが軋む。わたしは想定外のコニーの言動に、また目が溶けそうになった。けれど口はそれほど素直じゃない。


「管理員が、そんなに適当でいいの? 個人を贔屓してるって思われるかも」

「贔屓」

 彼が目を丸くして復唱する。思ってもみなかった言葉だったのか、その反応は少し間抜けだった。


「僕は優先順位を考えているだけですよ。今のあなたには、サポートが必要だと判断しました」


 それは違う。と、わたしは心の中で否定した。わたしに必要なのはサポートではなくコニー自身なのだ。彼にそれを理解してもらえるよう説明するのは難しい。でも、最近の彼の様子からすると、期待できるかもしれない。それでもそうするには……まだ勇気が足りなかった。彼がアンドロイドだから臆しているのではない。ただ、繊細なのだ、恋心というのは。


「もう少ししたら、やっぱり久野さんの様子を見に行かない? わたしも気になるから、一緒に行く」

「分かりました。あなたがそう言うのであれば」

 コニーは了承し、わたしの言う“もう少し”を計るように軽く目を閉じた。わたしはその肩に少しだけ寄り添う。窓から、柔らかな月光がさし込んでいた。

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